孫継海

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孫 継海 Football pictogram.svg
SunJihai.JPG
名前
カタカナ スン・チーハイ
ラテン文字 SUN Jihai
簡体字 孙 继海
基本情報
国籍 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
生年月日 (1977-09-30) 1977年9月30日(43歳)
出身地 遼寧省大連市
身長 182cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1998 中華人民共和国の旗 大連万達 71 (1)
1998-1999 イングランドの旗 クリスタル・パレス 23 (0)
1999-2001 中華人民共和国の旗 大連実徳 52 (6)
2002-2008 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 130 (3)
2008-2009 イングランドの旗 シェフィールドUtd. 12 (0)
2009 中華人民共和国の旗 成都謝菲聯(loan) 10 (0)
2010-2014 中華人民共和国の旗 貴州人和 118 (1)
2015 中華人民共和国の旗 重慶力帆 28 (0)
2016 中華人民共和国の旗 北京人和 9 (0)
通算 453 (12)
代表歴
1996-2008 中華人民共和国の旗 中国 78 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

孫 継海 (スン・チーハイ、漢音読み: そん けいかい、簡体字中国語: 孙继海繁体字中国語: 孫繼海拼音: Sūn Jìhǎi1977年9月30日 - ) は、中華人民共和国大連市出身で、元同国代表の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(サイドバック)。

来歴[編集]

1995年に地元の大連万達(のちの大連実徳)でデビュー、3シーズン過ごしたのちに范志毅と共に1998年8月14日にイングランド1部リーグ(現在のFLC)、元中国代表アシスタントのバクストン(Ted Buxton)率いるクリスタルパレスに加入。9月15日にワージントンカップのBury戦でデビュー(0-3)。初年度はイングランドのサッカーになじめず、リーグ戦23試合及びカップ戦2試合出場で退場2回を食らっている。

その後、大連実徳への復帰を経て、FIFAワールドカップ2002前の2002年2月27日に当時1部(2部相当)のマンチェスター・シティに200万ポンドで加入。デビュー戦はコベントリーに4-2で勝利、この年チームは昇格し、中国人初の英国プレミアリーグ選手となった。

2002年10月26日、アウェーのバーミンガム戦でヘディングから得点し東アジア人初のプレミアリーグ得点者となり2-0の勝利に貢献。12月9日サンダーランドAFC戦でも得点。2003年元旦、李鉄が在籍するエバートンと「中国人ダービー」で注目された(2-2)。3月22日チェルシー戦で0-5の大敗、孫は初めてプレミアで退場処分受けた。

2003年8月14日、UEFAカップのTNS戦(5-0)でチーム3点目決め,欧州カップ戦初得点を記録。三日後はリーグのチャールトン戦(3-0)で得点。11月30日にホームのミドルズブラ戦でオウンゴールしてしまいチームは0-1で敗戦した。

2004/05シーズン、監督のケヴィン・キーガンは孫を前に移し右MDで起用、2004年10月16日のチェルシー戦でエイドゥル・グジョンセンのタックル受け重傷負いシーズンを棒に振った。05年4月1日に1年契約延長。

2005年11月20日のブラックバーン戦でシティでの100試合出場達成。2006年3月20日にFAカップ準決勝のウェストハム戦、56分にエザリントンへの肘打ちで退場、1-2に敗れチームメイトに謝罪した。5月3日に08年まで2年契約を延長。

2006/07年シーズンはケガで序盤を欠場、2006年11月23日にドイツのミュンヘンで手術。2007年3月24日にはオーストラリア代表戦で18か月ぶりに代表復帰している。

2008年夏にマンチェスターシティとの契約満了を迎え、当時「中国人選手の墓場」の異名があったシェフィールド・ユナイテッドに加入した(それまでに在籍した郝海東、李鉄ともにリーグ戦出場が無かった)。7月17日のパリ・サンジェルマン戦でデビューし、わずか19分間で警告を2枚受け退場となってしまった。9月16日ホームのコベントリー戦では相手FWのミフスド(Michael Mifsud)を倒しPKを与えてしまった、幸いPKは失敗したが数分後また同じミフスドにファウルし退場。さらに3試合の出場停止処分が下った。この一連の流れがチーム幹部のブラックウェル(Kevin Blackwell)の怒りを買ってしまった。11月22日のチャールトン戦以降リーグ戦出場はなく、09年はカップ戦4試合出場にとどまった。

2009年、ケガなどの理由でチームで居場所を失い、6月にシェフィールド・ユナイテッドと関係ある成都謝菲聯に選手兼コーチとして加入。2010年1月8日、陝西滻灞と2年契約。

2012年、陝西が貴州移転後もプレイ、14年12月に退団。

2015年に重慶力帆に移籍も、1年で貴州人和へ復帰し、2016年に現役を引退した。

中国代表としてデビューしたのは1996年。以来、10年以上にわたって息の長い活躍を見せた。中国が初出場した2002年FIFAワールドカップでは、初戦のコスタリカ戦で先発出場したが、この試合で前半早々負傷してしまいグループリーグの残り2試合には出場できなかった。

2008年6月7日、ホームのカタール戦ではベンチだったがレバノン人審判を再三罵り出場してないにも関わらず退場、その後追加で5試合出場停止となり以降代表入りすることは無かった。若いころから血気盛んで、1999年シドニーオリンピック予選で審判と騒動起こし1年全試合出場停止処分を受けている。

多くのポジションをこなし、代表では主に右サイドバックだったが、マンチェスターシティでは両サイドバック、両サイドMF、ボランチをこなした。2004年アジアカップでは控えFWとして扱われた。中国復帰後は攻撃的MFもこなし、引退間際はセンターバック(CB)を務めた。

引退後、U20代表監督に就任している。またマンチェスター・シティの殿堂入りを果たしている。

クラブレベルで国外での評価はとても高いが、前述の通り代表での不祥事や退場なども多く、中国内の評価はそこまで。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
1995 大連万達 甲A 13 0
1996 21 0
1997 19 0
1998 18 1
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
1998-99 クリスタル・パレス チャンピオンシップ 23 0 1 0 1 0 25 0
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
1999 大連実徳 甲A 8 1
2000 27 21 2 1 0 22 2
2001 27 23 3 4 0 27 3
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2001-02 マンチェスター・C チャンピオンシップ 7 0 0 0 0 0 7 0
2002-03 プレミアリーグ 28 2 2 0 1 0 31 2
2003-04 33 1 1 0 3 0 37 0
2004-05 6 0 1 0 0 0 7 0
2005-06 29 0 1 0 4 0 34 0
2006-07 13 0 0 0 1 0 14 0
2007-08 17 14 0 2 0 0 0 16 0
2008-09 シェフィールドFC 12 チャンピオンシップ 12 0 1 0 4 0 17 0
中国 リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2009 成都謝菲聯 22 超級 10 0 10 0
2010 陝西宝栄 17 27 0 27 0
2011 20 0 3 0 23 0
2012 19 0 5 0 24 0
2013 28 1 5 0 33 1
2014 24 0 2 0 26 0
2015 重慶当代 28 0 0 0 28 0
2016 北京人和 甲級 9 0 0 0 9 0
通算 中国 1部 279 8 0 0 20 0 307 8
中国 2部 9 0 0 0 0 0 9 0
イングランド 1部 123 3 7 0 9 0 139 3
イングランド 2部 42 0 2 0 5 0 49 0
総通算 452 11 9 0 34 0 495 11
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
UEFAUEFA ELUEFA CL
2003-04 マンチェスター・シティ 5 1 -
通算 UEFA 5 1

タイトル[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]