易建聯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イー・ジャンリャン
Yi Jianlian
Yi Jianlian.jpg
広東サザンタイガース  No.9
ポジション PF
基本情報
愛称 "阿联"
中国語 易建聯
国籍 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
生年月日 (1987-10-27) 1987年10月27日(34歳)
出身地 広東省鶴山市
身長 213cm (7 ft 0 in)
体重 108kg (238 lb)
ウィングスパン 230cm  (7 ft 7 in)
キャリア情報
出身 中華人民共和国の旗 広東サザンタイガース
ドラフト 2007年 1巡目 5位  MIL 
選手経歴
2002-2007
2007-2008
2008-2010
2010-2011
2011
2012
2012
2012-
広東サザンタイガース
ミルウォーキー・バックス ミルウォーキー・バックス
ニュージャージー・ネッツ ニュージャージー・ネッツ
ワシントン・ウィザーズ ワシントン・ウィザーズ
広東サザンタイガース
ダラス・マーベリックス
テキサス・レジェンズ (Dリーグ)
広東サザンタイガース
受賞歴
  • CBAチャンピオン (2004–2006, 2013)
  • CBAファイナル MVP (2006, 2013)
  • CBA MVP (2013–2016)
  • CBAオールスターゲーム出場 (2004–2007, 2013–2016)
  • CBAスラムダンクコンテスト優勝 (2015, 2016)
  • FIBAバスケットボールアジア選手権 MVP (2011, 2015)
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
代表歴
キャップ 中華人民共和国の旗 中国 2004年-現在
獲得メダル
男子バスケットボール
中華人民共和国の旗 中国
FIBAアジア選手権
2005 ドーハ
2009 天津 大会ベスト5
2011 武漢 MVP
アジア大会
2006 ドーハ
アジアジュニア選手権
2002 クウェート

易 建聯えき けんれんイー・ジャンリャンYi Jianlian1987年10月27日 - )は、中国のプロバスケットボール選手広東省鶴山市出身。ポジションはパワーフォワード。213cm、108kg。

NBA加入前[編集]

プロハンドボール選手である1m99cmの父親と1m72cmの母親の間に生まれた。母親は中国代表候補に選ばれたこともあった[1]。 12歳の時にバスケットボールを始めて[2]、13歳の時には1m93cmに成長し、3m51cmの高さに手が届いた。2002年に広東サザンタイガースに入団した[1]。その年ニュージャージー州で行われたアディダスのABCDキャンプに参加している。 [2] 彼の名が初めて世界に知られたのはタイム誌の2003年8月24日号でタイトルはThe Next Yao Ming.(将来の姚明)だった。

易は中国プロバスケットボールリーグで2002-2003シーズンの新人王になり、チームを3回優勝に導いた[3]。2005年2月には16本全てのシュートを成功させ、34得点をあげている[4]。2006-07シーズン、チームは八一ロケッツに敗れて4連覇を逃した。これが彼の広東サザンタイガースでの最後のプレイとなった。

国際試合ではバスケットボールU-19世界選手権に出場した際、1試合平均18.9得点、11.5リバウンドと活躍しNBAスカウト達からの評価を上げた。2004年に行われたアテネオリンピックバスケットボール中華人民共和国代表に選ばれ、2006年バスケットボール世界選手権では1試合平均6.2得点、5.7リバウンドをあげて[5] 中国チームのコーチのみでなく、他国のコーチからも評価された[6]

NBAドラフト[編集]

ワークアウト後の易

22歳になる2009年まで中国リーグがNBA加入を認めないのではないかと予想されていた[7]。彼は2006年の初頭にその年のNBAドラフトにエントリーすることを表明したが、指名を受けることはなかった[8]

その後、2006年11月に広東サザンタイガースから彼が2007年のNBAドラフトにエントリーすることが発表された。その際、彼がシカゴ・ブルズゴールデンステート・ウォリアーズのいずれかでプレイしたいと言っていることが報道された[9][10]

そしてドラフトでミルウォーキー・バックスから指名を受けると、易はバックスとの契約をボイコットしようとした。両者の交渉は難航したが、8月29日に無事バックスと契約した。

NBAキャリア[編集]

ルーキーイーヤーとなった2007-08シーズンから先発として抜擢され、8.6得点5.2リバウンドの成績を残し、12月には月間新人賞を獲得した。11月9日ヒューストン・ロケッツ戦では中国出身のスター選手姚明との対決が実現。この試合は中国でもテレビ中継され、2億人が観戦したと言われている。 2008年オフにリチャード・ジェファーソンとのトレードでニュージャージー・ネッツに移籍した。しかし、NBAには定着することが出来ず、その後はワシントン・ウィザーズダラス・マーベリックスなどを転々とした後、2012年に広東サザンタイガースに復帰。その後リーグの中心選手として活躍し、再びNBAのスカウト陣の注目を集めるようになった。そして2016年8月17日にロサンゼルス・レイカーズと契約を結び、5シーズン振りのNBA復帰となった[11] が、チームでの役割が自身の予想と合わなかったため、シーズン開幕前に自主退団した。その後広東サザンタイガースに復帰した。

年齢詐称疑惑[編集]

NBAの公式記録では生年月日を1987年10月27日としているが、2008年12月に1984年生まれであると報道された[12]。本人はこの問題についてコメントしていない。

その他[編集]

2012年ロンドンオリンピックの開会式では中国選手団の旗手を務めた。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]