堺区
表示
さかいく ![]() 堺区 | |
---|---|
国 |
![]() |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 大阪府 |
市 | 堺市 |
市町村コード | 27141-1 |
面積 |
23.66km2 |
総人口 |
149,368人 [編集] (推計人口、2024年5月1日) |
人口密度 | 6,313人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 |
堺市(西区、北区) 大阪市(住吉区、住之江区) |
堺区役所 | |
所在地 |
〒590-0078 大阪府堺市堺区南瓦町3番1号 北緯34度34分24秒 東経135度28分58.8秒 / 北緯34.57333度 東経135.483000度座標: 北緯34度34分24秒 東経135度28分58.8秒 / 北緯34.57333度 東経135.483000度 ![]() |
外部リンク | 堺市堺区役所HP |
![]() | |
ウィキプロジェクト |
堺区(さかいく)は、堺市を構成する7行政区のうちのひとつ。中世以来の環濠都市であった地域を含み、市役所、裁判所などの官庁やシティホテル、商店などが集積している堺市の中心部である。
地理
堺市の北西部に位置し、北を大和川が流れ、西は大阪湾に面する。沿岸部は主に埋立地が広がり、堺泉北臨海工業地帯が広がる。中西部には中世の自治都市の流れを汲む堺市街地が、環濠の名残りである内川・土居川に囲まれて広がる[1]。内陸部は上町台地に続くごくわずかな台地が南北方向に存在するがおおむね平坦である。南北を鉄道と高速道路・国道が貫き、大阪と和歌山・高野山に通じている。
区の中心的地域は、市役所、裁判所、法務局や百貨店がある南海高野線堺東駅西側である。
歴史
1880年(明治13年)、堺市街地は郡区町村編制法施行により堺区(郡区制)となった。その際、沿岸部に形成されていた附洲(つきす)新田も堺区(郡区制)に組み込まれた。1889年(明治22年)、堺区(郡区制)は市制施行により堺市となった。2006年(平成18年)、堺市が政令指定都市へ移行したことにより、行政区としてではあるが「堺区」の名称が堺市街地にとっては117年ぶりに帰ってきたことになる。
市名と行政区名の一致は川崎市川崎区に次いで2例目。ただし、後に市名となった郡区制の区名[2]と行政区名の一致は全国初となる。このため、「堺区」の場合は市の前身か行政区か注意する必要がある。
沿革
- 1880年(明治13年) 郡区町村編制法施行により、堺(195町)、梅ケ香町附洲新田、海船町附洲新田、戎島附洲新田、新地附洲新田、紺屋町附洲新田、新在家町附洲新田、蘆原町附洲新田、南半町附洲新田[3]を大鳥郡より分離し、堺区(郡区制)が発足。
- 1889年(明治22年)4月1日 市制施行により、堺区(郡区制)が堺市へ移行。町村制施行により、大鳥郡向井村、舳松村、湊村、三宝村、神石村が発足。
- 1891年(明治24年)2月25日 神石村大字踞尾が踞尾村として分立。
- 1894年(明治27年)2月10日 向井村大字七道を堺市に編入。
- 1896年(明治29年)4月1日 郡の統廃合により、大鳥郡から泉北郡に変更。
- 1913年(大正2年)11月1日 向井村が町制施行。向井町となる。
- 1915年(大正4年)10月1日 湊村が町制施行。湊町となる。
- 1920年(大正9年)4月1日 向井町、湊町を堺市に編入。
- 1925年(大正14年)10月1日 舳松村を堺市に編入。
- 1926年(大正15年)10月1日 三宝村を堺市に編入。
- 1938年(昭和13年)2月11日 神石村を堺市に編入。
- 2000年(平成12年) 神石出張所を廃止して堺市役所本館内に堺支所が開所。
- 2006年(平成18年)4月1日 堺市が政令指定都市に移行。堺支所管内の区域を以って堺区(行政区)を設置。
行政
区長
- 番所護(2006年4月1日 - 2009年3月31日)
- 古川洋子(2009年4月1日 -)(前南区長)
経済
商業施設・商店街
堺駅前
堺東駅前
堺市駅前
- ベルマージュ堺
- 堺市駅商店街
堺市街地
- 堺山之口商店街
堺浜
本社を置く企業
教育
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6f/Sakai_Women%E2%80%99s_Junior_College1.jpg/250px-Sakai_Women%E2%80%99s_Junior_College1.jpg)
大学
- 関西大学(堺キャンパス)
短期大学
高等学校
中学校
小学校
閉校:堺市立湊小学校、堺市立湊西小学校→2007年堺市立新湊小学校へ統合
特別支援学校
交通
鉄道
路線バス
道路
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/9f/Kishukaido-Sakai.jpg/200px-Kishukaido-Sakai.jpg)
有料道路
一般国道
府道
愛称路
- 大道筋(大阪府道197号深井畑山宿院線、綾之町から御陵前)
- 大小路筋(吾妻橋(堺駅前)から堺東駅南口)
- フェニックス通り(国道26号大浜北町から国道310号一条通)
- けやき通り(田出井町から向陵西町)
- 海岸通り(国道26号大和川大橋南詰から大阪府道204号堺阪南線浜寺公園南)
- 御陵通り(大阪府道197号深井畑山宿院線、出島から百舌鳥駅前)
- 堺中央線(大阪府道30号大阪和泉泉南線 、遠里小野橋から富木)
- 堺大和路線(大阪府道12号堺大和高田線、戎島町から南花田町東)
名所・旧跡
環濠内
環濠外
著名な出身者
- 与謝野晶子 - 歌人、作家(与謝野鉄幹の妻)
- 清水耕介 - 元プロバスケットボール選手(bjリーグ・埼玉ブロンコス所属)
- 大口真洋 - プロバスケットボール選手(bjリーグ・浜松・東三河フェニックス所属)
- 野中和夫 - 競艇選手(日本モーターボート選手会の元会長でもある)
- 横山やすし - 漫才師(野中和夫とは中学の同級生であった)
脚注
- ^ 中世、とりわけ戦国時代に栄華を極めた堺市街地は、1615年(慶長15年)の大坂夏の陣において全焼。現在見られる町割は、元和年間の復興によるものである。
- ^ 1区だけ置かれた場合は市名、複数の区が置かれた場合(東京の15区・大阪の4区・京都の2区)は行政区名となった。
- ^ 堺区(郡区制)発足と同時に、梅ケ香町附洲新田と海船町附洲新田を統合して北附洲新田、新地附洲新田を中附洲新田に改称、紺屋町附洲新田・新在家町附洲新田・蘆原町附洲新田・南半町附洲新田を統合して南附洲新田となった。現在の町名では、北附洲新田は三宝町1丁、戎島附洲新田は戎島町4・5丁と北波止町、中附洲新田と南附洲新田は大浜各町に概ね該当する。
参考文献
![]() | この節の加筆が望まれています。 |