国鉄ホキ6000形貨車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄ホキ250形貨車から転送)
国鉄ホキ6000形貨車
基本情報
車種 ホッパ車
運用者 日本国有鉄道
日本貨物鉄道(JR貨物)
所有者 日本ゼオン、第一物産→三井物産呉羽化成→呉羽化学工業、日本合成化学工業三菱化成工業昭和電工信越化学工業、錦商事
旧形式名 ホキ250形
改造年 1963年(昭和38年)*
改造数 98両
消滅 1987年(昭和62年)
常備駅 能町駅和賀仙人駅
主要諸元
車体色
専用種別 カーバイド
化成品分類番号 侵(禁水)44
軌間 1,067 mm
全長 10,500 mm
全幅 2,700 mm
全高 3,633 mm
ホッパ材質 普通鋼一般構造用圧延鋼材
荷重 30 t
実容積 30.0 m3 - 33.0 m3
自重 17.0 t - 21.1 t
換算両数 積車 5.0
換算両数 空車 2.0
台車 TR41C→TR41D
車輪径 860 mm
軸距 1,650 mm
台車中心間距離 6,400 mm
最高速度 75 km/h
備考 *称号規程変更年
テンプレートを表示

国鉄ホキ6000形貨車(こくてつホキ6000がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍したホッパ車である。

本形式より改造され別形式となったホキ6100形についても、本項目で解説する。

ホキ6000形[編集]

ホキ6000形は、カーバイド輸送用30 t 積の私有貨車である。

1956年(昭和31年)10月19日から1962年(昭和37年)4月14日にかけて川崎車輛汽車製造三菱重工業富士重工業日立製作所ホキ250形98両(ホキ250 - ホキ347)が製作された。内3両(ホキ333 - ホキ335)はタサ4000形3両(タサ4000 - タサ4002)からの改造車である。ホキ250形は、1963年(昭和38年)7月26日の称号規程変更によりホキ6000形に改められ全車改番された。

所有者日本ゼオン、第一物産(その後三井物産へ社名変更)、呉羽化成(その後呉羽化学工業へ社名変更)、日本合成化学工業三菱化成工業昭和電工信越化学工業、錦商事の8社であり、夫々の主な常備駅は能町駅和賀仙人駅勿来駅西大垣駅黒崎駅鹿瀬駅黒井駅であった。

1962年(昭和37年)10月13日に、日本ゼオン所有車2両(ホキ273 - ホキ274)が東北開発へ名義変更され常備駅は笹木野駅へ移動した。更にこの2両(ホキ6023 - ホキ6024)は1969年(昭和44年)11月1日に、福島製鋼へ名義変更された。

1966年(昭和41年)12月14日から1968年(昭和43年)4月11日にかけて、三菱化成工業所有車14両(ホキ6029、ホキ6031 - ホキ6035、ホキ6038、ホキ6051 - ホキ6053、ホキ6094 - ホキ6097)が呉羽化学工業へ名義変更された。

1967年(昭和42年)6月8日に、三菱化成工業所有車7両(ホキ6043、ホキ6064、ホキ6073、ホキ6079、ホキ6091 - ホキ6093)が電気化学工業へ名義変更され常備駅は八木原駅へ移動した。この7両は、後にホキ6100形へ改造される(後述)。

1975年(昭和50年)7月28日に、三井物産所有車4両(ホキ6040 - ホキ6042、ホキ6045)が電気化学工業へ名義変更され常備駅は八木原駅へ移動した。

1979年(昭和54年)10月より化成品分類番号侵(禁水)44」(侵食性の物質、水と反応する物質、可燃性固体、禁水指定のもの)が標記された。

箱型有蓋ホッパ車である内部は4室又は6室構造になっており、夫々の積込口、取出口を備えていた。荷役方式はホッパ上部積込口よりの上入れ、側面の取出口からの横出し式であった。

車体塗色はで、全長は10,500 mm、全幅は2,700 mm、全高は3,633 mm、台車中心間距離は6,400 mm、実容積は30.0 m3 - 33.0 m3換算両数は積車5.0、空車2.0である。台車は、ベッテンドルフ式のTR41Cであったが後に改造されTR41Dとなった。

1987年(昭和62年)5月に最後まで在籍したホキ6063が廃車になり形式消滅した。

年度別製造数[編集]

各年度による製造会社(*改造会社)と両数、所有者は次のとおりである。(所有者は落成時の社名)

  • 昭和31年度 - 5両
    • 川崎車輌 2両 日本ゼオン(ホキ250 - ホキ251→ホキ6000 - ホキ6001)
    • 汽車製造 2両 日本ゼオン(ホキ252 - ホキ253→ホキ6002 - ホキ6003)
    • 三菱重工業 1両 日本ゼオン(ホキ254→ホキ6004)
  • 昭和32年度 - 21両
    • 三菱重工業 2両 日本ゼオン(ホキ255 - ホキ256→ホキ6005 - ホキ6006)
    • 富士重工業 2両 第一物産(ホキ257 - ホキ258→ホキ6007 - ホキ6008)
    • 汽車製造 3両 日本ゼオン(ホキ259 - ホキ261→ホキ6009 - ホキ6011)
    • 川崎車輌 2両 日本ゼオン(ホキ262 - ホキ263→ホキ6012 - ホキ6013)
    • 富士重工業 4両 呉羽化成(ホキ264 - ホキ267→ホキ6014 - ホキ6017)
    • 川崎車輌 2両 日本ゼオン(ホキ268 - ホキ269→ホキ6018 - ホキ6019)
    • 汽車製造 6両 日本ゼオン(ホキ270 - ホキ275→ホキ6020 - ホキ6025)
  • 昭和33年度 - 13両
    • 富士重工業 2両 日本合成化学工業(ホキ276→ホキ6026)
    • 富士重工業 2両 第一物産(ホキ277 - ホキ278→ホキ6027 - ホキ6028)
    • 三菱重工業 9両 三菱化成工業(ホキ279 - ホキ287→ホキ6029 - ホキ6037)
  • 昭和34年度 - 32両
    • 三菱重工業 2両 三菱化成工業(ホキ288 - ホキ289→ホキ6038 - ホキ6039)
    • 富士重工業 3両 三井物産(ホキ290 - ホキ292→ホキ6040 - ホキ6042)
    • 三菱重工業 2両 三菱化成工業(ホキ293 - ホキ294→ホキ6043 - ホキ6044)
    • 富士重工業 2両 三井物産(ホキ295 - ホキ296→ホキ6045 - ホキ6046)
    • 富士重工業 3両 呉羽化成(ホキ297 - ホキ299→ホキ6047 - ホキ6049)
    • 三菱重工業 4両 三菱化成工業(ホキ300 - ホキ303→ホキ6050 - ホキ6053)
    • 日立製作所 2両 昭和電工(ホキ304 - ホキ305→ホキ6054 - ホキ6055)
    • 富士重工業 2両 信越化学工業(ホキ306 - ホキ307→ホキ6056 - ホキ6057)
    • 富士重工業 2両 錦商事(ホキ308 - ホキ309→ホキ6058 - ホキ6059)
    • 汽車製造 3両 日本ゼオン(ホキ310 - ホキ312→ホキ6060 - ホキ6062)
    • 三菱重工業 2両 三菱化成工業(ホキ313 - ホキ314→ホキ6063 - ホキ6064)
    • 富士重工業 3両 日本ゼオン(ホキ315 - ホキ317→ホキ6065 - ホキ6067)
    • 富士重工業 2両 三井物産(ホキ318 - ホキ319→ホキ6068 - ホキ6069)
  • 昭和35年度 - 13両
    • 川崎車輌 3両 日本ゼオン(ホキ320 - ホキ322→ホキ6070 - ホキ6072)
    • 三菱重工業 1両 三菱化成工業(ホキ323→ホキ6073)
    • 富士重工業 5両 呉羽化成(ホキ324 - ホキ328→ホキ6074 - ホキ6078)
    • 三菱重工業 1両 三菱化成工業(ホキ329→ホキ6079)
    • 富士重工業 3両 三井物産(ホキ330 - ホキ332→ホキ6080 - ホキ6082)
  • 昭和36年度 - 12両
    • 三菱重工業* 2両 日本ゼオン(タサ4001,タサ4002→ホキ333 - ホキ334→ホキ6083 - ホキ6084)
    • 日立製作所* 1両 日本ゼオン(タサ4000→ホキ335→ホキ6085)
    • 日立製作所 2両 昭和電工(ホキ336 - ホキ338→ホキ6086 - ホキ6088)
    • 富士重工業 5両 呉羽化成(ホキ339 - ホキ340→ホキ6089 - ホキ6090)
    • 三菱重工業 2両 三菱化成工業(ホキ341 - ホキ342→ホキ6091 - ホキ6092)
  • 昭和37年度 - 5両
    • 三菱重工業 5両 三菱化成工業(ホキ343 - ホキ347→ホキ6093 - ホキ6097)

ホキ6100形[編集]

ホキ6100形は、セメント輸送用30 t積の私有貨車である。

1971年(昭和46年)7月21日に、日立製作所にてホキ6000形7両(ホキ6092, ホキ6093, ホキ6043, ホキ6064, ホキ6091, ホキ6073, ホキ6079)の専用種別が変更され、カーバイド専用からセメント専用となった。形式名は新形式であるホキ6100形(ホキ6100 - ホキ6106)とされた。

改造内容は、側扉、吸湿缶の撤去、エアスライド、底部取出し口の新設である。この改造により自重が 17.7 t となり、換算両数は積車4.5、空車1.8になった。

所有者は、種車のまま電気化学工業であり八木原駅を常備駅とした。その後常備駅は、北陸本線青海駅に変更されたが、所有者は、生涯変わることはなかった。

1979年(昭和54年)10月23日に後閑駅にて発生した青海発、高崎操車場行き上り貨物列車脱線事故にて本形式の内1両(ホキ6100)が廃車となった。除籍日は、1980年(昭和55年)2月28日である。

セメントターミナルタキ1900に置き換われて1984年(昭和59年)1月31日に残り全車(6両、ホキ6101 - ホキ6106)が廃車になり形式消滅した。

参考文献[編集]

  • 鉄道公報
  • 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)
  • 吉岡心平『RM LIBRARY 140 有蓋ホッパ車のすべて(上)』(ネコ・パブリッシング、2011年)ISBN 978-4-7770-5306-3
  • 吉岡心平『RM LIBRARY 141 有蓋ホッパ車のすべて(下)』(ネコ・パブリッシング、2011年)ISBN 978-4-7770-5307-0

関連項目[編集]