中村是好

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
なかむら ぜこう
中村 是好
本名 中村 愚堂
生年月日 1900年12月6日
没年月日 1989年12月6日(満89歳没)
出生地 日本の旗 日本 佐賀県杵島郡朝日村大字南上滝
(現在の同県武雄市朝日町大字甘久南上滝)
職業 喜劇俳優盆栽家
ジャンル 軽演劇映画小品盆栽
主な作品
舞台

らくだの馬さん


映画
素晴らしき日曜日


著書
『小物盆栽』

備考
略歴

1929年7月10日 カジノ・フォーリー設立に参加
1969年1月 日本小品盆栽会 (現日本小品盆栽協会) 会長

中村 是好(なかむら ぜこう、1900年12月6日 - 1989年12月6日)は、日本の喜劇俳優僧侶盆栽家である。愛称はゼコやん。本名、中村愚堂。

人物・来歴[編集]

1900年(明治33年)12月6日佐賀県杵島郡朝日村大字(現在の同県武雄市朝日町大字甘久北上滝)に生まれる。1911年嬉野市の瑞光寺で得度。このとき名を禅徳、号を愚堂と改め、のち愚堂を本名とする。1919年京都市大徳寺の般若林に入学。1921年、新派新声劇の伊東好郎のもとに入門し、道頓堀の山長一座や神田劇場の中村歌扇一座や根岸大歌劇団で活動、関東大震災後は曽我廼家十吾の家庭劇に出演。1929年(昭和4年)7月10日、28歳のとき、友人の榎本健一(エノケン)が石田守衛に誘われて東京・浅草に創立した軽演劇の劇団「カジノ・フォーリー」の第1次旗揚げに参加する[1]。その後、同年10月の第2次「カジノ・フォーリー」、1930年(昭和5年)8月の「新カジノ・フォーリー」、同年11月1日の「プペ・ダンサント」、1931年(昭和6年)12月16日の「ピエル・ブリヤント」、1938年(昭和13年)の東宝入社、「東宝榎本健一一座」旗揚げ、と榎本につねに行動をともにした[1]

1934年(昭和9年)からは、ピー・シー・エル映画製作所(P.C.L.)で榎本とともに山本嘉次郎監督の作品に多く出演した。第二次世界大戦後になって、黒澤明監督第6作の映画『素晴らしき日曜日』に「饅頭屋」の役で出演、同作は1947年(昭和22年)6月25日に公開された。黒澤は、P.C.L.での「ピエル・ブリヤント」映画の華やかだった当時、山本嘉次郎の助監督であった。

1962年(昭和37年)、「小品盆栽」についての初めての著書『豆盆栽愛好』を徳間書店から上梓する。1963年(昭和38年)9月、「東京アマチュア小品盆栽愛好会」の発会に参加、副会長に就任する[2]。1969年(昭和44年)1月、同会が「日本小品盆栽会」と改称、会長に就任、死去まで約21年、同職をつとめた[2]

1970年(昭和45年)1月7日、榎本の死去まで、終生の友人であった。

1989年(平成元年)12月6日自らの誕生日に死去した。満89歳没。春の叙勲で「大杯一組台付」を賜る[2]

おもなフィルモグラフィ[編集]

映画[編集]

太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品

テレビドラマ[編集]

ビブリオグラフィ[編集]

  • 『豆盆栽愛好』、徳間書店、1962年
  • 『小品盆栽』、鶴書房、1968年
  • 『小もの盆栽』生活をたのしむ本、主婦の友社、1969年
  • 『小物盆栽』園芸入門、主婦の友社、1973年
    新版 『小物盆栽 - 特徴を生かす木作り』カラー園芸入門、主婦の友社、1980年2月

関連事項[編集]

[編集]

  1. ^ a b 国立音楽大学音楽学部音楽学学科作成の資料「エノケンさんに 会いにゆこう!」(2004年11月)の記述を参照。
  2. ^ a b c #外部リンク欄の「日本小品盆栽協会」公式サイト内の「沿革」の記述を参照。二重リンクを省く。

外部リンク[編集]