世界デザイン博覧会

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世界デザイン博覧会[1]
World Design Exposition 1989[1]
白鳥会場の白鳥センチュリープラザ(現名古屋国際会議場)
白鳥会場の白鳥センチュリープラザ
(現名古屋国際会議場
イベントの種類 地方博覧会
通称・略称 デザイン博、デ博
開催時期 1989年7月15日 - 11月26日(135日間)[1]
会場 白鳥公園(白鳥会場)
名古屋城名城公園(名古屋城会場)
名古屋港(名古屋港会場)
主催 財団法人世界デザイン博覧会協会
後援 通商産業省、外務省、文部省、他50団体
来場者数 1518万2822人(3会場合計)[1]

世界デザイン博覧会(せかいデザインはくらんかい)とは、1989年平成元年)7月15日から11月26日までの4か月間、愛知県名古屋市内の3会場で開催された博覧会である[2]。名古屋市制100周年を記念して開催された。テーマは「ひと・夢・デザイン───都市が奏でるシンフォニー」[1]マスコットは、デポ。略称は「デザイン博」・「デ博」。会期中(1989年10月18日 - 10月21日)には、開催のきっかけともなった「世界インダストリアル・デザイン会議(世界デザイン会議)」が開催された[2]

開催の経緯[編集]

1989年(昭和64年・平成元年)は、1889年明治22年)に全国で市制が敷かれてから38都市が一斉に100周年を迎える年であった。それらの都市では100周年の記念事業が企画され、その多くの都市が中心行事として博覧会を開催することになった。

1981年(昭和56年)に、1988年(昭和63年)のオリンピック誘致に失敗していた名古屋市を始めとする関連自治体は代替のイベント開催を模索していた。名古屋は100年で工業都市として大きく成長し、今後100年を展望するにあたりソフト面の強化を見出した。そこで、デザインに関する世界的なイベントの誘致を考え、1985年(昭和60年)のワシントンで、1989年(昭和64年・平成元年)の世界デザイン会議(工業デザイン部門)の誘致に成功[3]、100周年記念事業の中心となるイベントとして「世界デザイン博覧会(仮称)」が公表された。また、当時の名古屋市には、適当な場所に大規模な用地が確保できなかったため、会場の分散策が取られた。

各会場の概要[編集]

●白鳥会場
■名古屋城会場
▲名古屋港会場

パビリオン[編集]

映像技術を駆使した「空飛ぶ車」の冒険劇を上映し、270万人を集めたトヨタグループ館が最も人気を博した[2]

●白鳥会場
■名古屋城会場
▲名古屋港会場

会場内輸送機関[編集]

ポッカライナー[編集]

白鳥会場では、しろとり広場駅 - 日本庭園駅間を連絡するコンピュータ制御のミニモノレール「ビスタライナーVL-NE」が運行された[8]

  • 6人乗り客車15両に、運転車と機械車を合わせた計17両連結で、4編成が泉陽興業で製造された[9]
  • 車両にはスポンサーロゴと博覧会ロゴが配され、鮮やかな色彩を纏った。
  • 単線ループ構造で、両駅間を平均10km/hでゆっくりと遊覧走行した。
  • 利用料金は1人500円
  • 利用者数は62万5000人

世界デザイン会議名古屋[編集]

  • 会期:1989年(平成元年)10月18日 - 21日[10]
  • 主催:国際インダストリアルデザイン団体協議会(ICSID)
  • 内容:国際インダストリアルデザイン団体協議会(ICSID)の総会を中核とする世界会議
  • 参加者:46か国、3,764人(海外参加者857人)[11]
  • 認定展示会:世界デザイン博覧会
  • ネットワーク協賛: DEPO-NET/名古屋市、NTT協同運営
  • (出典『世界デザイン博覧会 公式記録』p75~p78)

開催と結果[編集]

開催前は入場券の売り上げが芳しくなく、博覧会協会理事長の加藤誠之が自ら売り歩くなどしたが、3会場合わせた入場者数は目標の1,400万人を上回る約1,518万人に達し、約2億1000万円の黒字を残す「もっとも成功した地方博」と呼ばれた[2]

しかし、後に博覧会自体は約8億2600万円の赤字だったということ、その穴埋めのため名古屋市が世界デザイン博覧会協会から物品や施設を約10億2600万円購入していたことが発覚した。なお、名古屋市民オンブズマンが当時の名古屋市長の西尾武喜らに購入費の返還を求めた住民訴訟では、名古屋高裁は「基本財産と入場料収入等だけでは賄いきれない費用については、名古屋市において負担すべき義務があったものと解するのが相当である。」とし、2007年4月27日付けで名古屋市民オンブズマン側の敗訴が確定している。

その他[編集]

  • メインテーマ館として利用された白鳥センチュリープラザは、現在、名古屋国際会議場として様々な文化事業や学術会議に利用されている。
  • テーマ曲『DREAMES COME TRUE 〜この街のどこかで〜』を愛知県出身の斉藤さおりが歌った[12]
  • 開場公開時間は午前9時30分~午後6時迄だったが、夏休み期間の7月21日~8月31日迄は閉場時間が午後9時迄だった。
  • 開催期間中は『DESIGN EXPO '89 スタンプラリー』が行われた。完走者には全員に、ファッションテレビ(1等)・カメラ(2等)・名古屋上空の遊覧飛行券3名分(3等)・ディレクターチェア(4等)・遊園地入園券他いずれか1点(5等)、消しゴム鉛筆他(6等)が贈られた。
  • 当博覧会の開催に際し、開催数日前にJR東海名古屋鉄道名古屋市営地下鉄の金山駅(東海道本線には金山駅ホームを新規設置、名鉄のみ金山橋駅から改称)が統合されて金山総合駅が設置された。
  • ナディアパークはこの博覧会に合わせて整備された[2]
  • ホシザキ電機がこの博覧会に出展していたため、創業者の出身地である山陰地方でも、マスコットのデポや博覧会の様子を使ったCMがローカルスポンサー枠で流れた。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 電通 1990, p. 66.
  2. ^ a b c d e 「デザイン博成功で光 時流の先へ 中部財界ものがたり 第17部 変わる名古屋財界<4>」中日新聞2014年8月15日付朝刊、地域経済面13ページ
  3. ^ 日本での開催は、1973年の京都に次ぐ2回目。
  4. ^ 電通 1990, p. 101.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 電通 1990, p. 109.
  6. ^ a b c d e f 電通 1990, p. 107.
  7. ^ a b c d e f 電通 1990, p. 113.
  8. ^ 『世界デザイン博覧会 公式記録』 電通、財団法人世界デザイン博覧会協会、1990年3月
  9. ^ VL - 泉陽興業、2018年5月30日
  10. ^ 電通 1990, p. 75.
  11. ^ 電通 1990, p. 76.
  12. ^ 電通 1990, p. 358.
  13. ^ 『JR時刻表』 弘済出版社、弘済出版社、1989年7月(日本語)。

参考文献[編集]

  • 『世界デザイン博覧会 公式記録』 電通、財団法人世界デザイン博覧会協会、1990年3月(日本語)。

文献案内[編集]

  • 『世界デザイン博覧会公式ステージガイド』 名古屋流行発信、財団法人世界デザイン博覧会協会、1989年7月1日(日本語)。
  • 『世界デザイン博覧会公式ガイドブック』 世界デザイン博覧会公式ガイドブック刊行委員会、財団法人世界デザイン博覧会協会、1989年6月13日(日本語)。ISBN 4-8062-0212-6
  • 『世界デザイン博覧会「あいち21世紀館」公式記録』 愛知県、1990年3月(日本語)。
  • デポちゃんクラブ 『デザイン博非公式記録―デポちゃんクラブ奮闘記―』 名古屋流行発信1990年8月9日(日本語)。ISBN 4-89040-004-4

関連項目[編集]

外部リンク[編集]