高橋峻希
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名前 | ||||||
カタカナ | タカハシ シュンキ | |||||
ラテン文字 | TAKAHASHI Shunki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1990年5月4日(33歳) | |||||
出身地 | 埼玉県朝霞市 | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 71kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 浦和レッドダイヤモンズ | |||||
ポジション | RWG、RSH、RSB | |||||
背番号 | 5 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
2008- | 浦和 | 7 (0) | ||||
代表歴2 | ||||||
2005-07 2009 |
日本U-17 日本U-20 |
7 (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2009年7月5日現在。 2. 2010年3月3日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
高橋 峻希(たかはし しゅんき、1990年(平成2年)5月4日 - )は、埼玉県朝霞市出身のサッカー選手。ポジションは右サイドハーフ、右ウィング、右サイドバック。J1、浦和レッドダイヤモンズ所属。
来歴
中高生年代では、ジュニアユース、ユースと浦和レッドダイヤモンズの下部組織に所属。ジュニアユース時、キャプテンを務めていた2005年に、高円宮杯U-15で優勝を飾った。
2006年のAFC U-17選手権にU-17日本代表として参加。続いて2007年8月に行なわれたU-17W杯にも出場。本職の右サイドハーフではなく右サイドバックを務め、3試合に出場した。また、2007年から浦和レッドダイヤモンズのサテライトに山田直輝と共にたびたび出場。2007年のサテライトリーグでは6試合に出場、1得点を挙げている。翌2008年のサテライトリーグでも5試合に出場している。
2008年、U-23日本代表との練習試合でゴールを決める。4月に、2種登録選手としてトップチーム登録され[1]、5月10日、対川崎フロンターレ戦にて初のベンチ入りを果たした。また、5月25日、ナビスコカップ第4節、対名古屋グランパス戦で公式戦初出場を果たすが、自身のパスミスから失点するなど、苦いデビュー戦となった。その後のナビスコ第5節、対ヴィッセル神戸戦、第6節対名古屋グランパス戦にも連続出場。第6節では先発し、フル出場を果たしている。7月31日、さいたまシティカップ、対バイエルン・ミュンヘン戦に後半途中出場、縦への突破から相手ゴールを脅かすなど会場を沸かせた。ユースでは10月13日、高円宮杯U-18決勝の、対名古屋U-18戦にて2得点1アシストをあげ、悲願の『優勝』に貢献した。AFC U-19選手権2008に出場するU-19サッカー日本代表に選出されるも、体調不良のため辞退する。
2009年、山田直輝、濱田水輝、永田拓也とともにトップ昇格[2]。怪我により出遅れていたが、5月10日の川崎フロンターレ戦、後半18分に途中交代で投入され、リーグ初出場を果たした。以後、左右のサイドハーフとして途中出場で投入されるケースが増え、5月30日のナビスコカップ第4節、対アルビレックス新潟戦では、フル出場を果たした。リーグ初先発は、7月4日、対モンテディオ山形戦。累積警告によって出場停止の山田暢久に代わって右サイドバックとして先発、後半は左サイドバックに移り、フル出場した。7月11日の対サンフレッチェ広島戦では、左サイドバックとして先発するなど、多様なポジションで起用されていた。その後は負傷などもありしばらく試合から離れていたが、再び山田暢久が出場停止となった影響で10月3日の対ジェフユナイテッド千葉戦に久々に右サイドバックで先発出場、その試合でプロ初ゴールを記録し、11月8日の対FC東京戦ではプロ初アシストも記録した。12月19日、U-20代表の国際親善試合、対韓国戦に出場。山田直輝へのパスで1アシストをマークした。
2010年、シーズン序盤から度重なる負傷に苛まれ、復帰しては離脱を繰り返す苦しいシーズンを送っていたが、ようやく負傷が癒えたシーズン終盤からは右サイドハーフのスタメンに定着、鋭いドリブル突破とセンタリングから得点に結びつくプレーを披露し、復調をアピールした。
2011年はプレシーズンマッチ、開幕戦とベンチ入りメンバーからも外れていたが、東日本大震災での中断期間中に行われたモンテディオ山形とのトレーニングマッチで右サイドバックのレギュラーだった平川忠亮が故障したため、中断明け以降は右サイドバックのレギュラーとして定着した。しかし、終盤戦は故障の影響もあり殆どの試合を欠場することになった。
ポジション
サイドアタッカー。ユース時代は3トップの右ウィングとしてプレイしたが、ユース代表で右サイドバックを務めるなど、右サイドのポジションであればどこでもこなすことができる[3]。登録ポジションはミッドフィールダーだが、センターバックとゴールキーパー以外全ポジションでプレー経験を持つ。プロ入り後は、主に右サイドバックとして起用されている。
人物
山田直輝や原口元気とともに「浦和ユース黄金世代」と呼ばれる右サイドの逸材。同期の中では一番人見知りする性格らしく、普段は口数が少なく大人しい青年である。しかし練習などで同期や年の近い選手といる時は口数は多くなる。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2008年(平成20年)4月- 浦和レッドダイヤモンズ
個人成績
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国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 浦和 | 33 | J1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
2009 | 12 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 17 | 1 | |||
2010 | 14 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 20 | 0 | |||
2011 | 5 | 27 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 32 | 0 | ||
2012 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 53 | 1 | 14 | 0 | 5 | 0 | 72 | 1 | |
総通算 | 53 | 1 | 14 | 0 | 5 | 0 | 72 | 1 |
- 2008年は、ユース所属
経歴
- 公式戦初ベンチ: 2008年5月10日 J1第12節 vs川崎フロンターレ (等々力)
- 公式戦初出場: 2008年5月25日 ナビスコカップ第4節 vs名古屋グランパス (豊田)
- 公式戦初得点: 2009年10月3日 J1第28節 vsジェフ千葉 (埼玉)
- Jリーグ初ベンチ: 公式戦初ベンチと同
- Jリーグ初出場: 2009年5月10日 J1第11節 vs川崎フロンターレ (埼玉)
- Jリーグ初得点: 公式戦初得点と同
代表歴
- 2006年
- U-16日本代表 AFC U-17選手権2006 : 優勝
- 2007年
外部リンク
脚注
- ^ レッズユースの高橋&山田をトップ登録
- ^ レッズユース4選手、加入内定について
- ^ “【 J旬 vol.5高橋峻希(浦和レッズ)】攻守に安定感がある高橋。その資質とは?”. エル・ゴラッソ. (2011年8月4日) 2011年8月4日閲覧。