青山丘
青山 丘 あおやま たかし | |
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生年月日 | 1941年4月11日(83歳) |
出生地 | 愛知県瀬戸市 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部卒業 |
所属政党 |
(自由民主党→) (民社党→) (新進党→) (自由党→) (保守党→) (自由民主党→) (新党日本→) 国民新党 |
称号 |
旭日大綬章 法学士(慶應義塾大学・1964年) |
選挙区 |
(旧愛知2区→) (愛知7区→) 比例東海ブロック |
当選回数 | 9回 |
在任期間 |
1976年 - 1990年1月24日 1993年 - 2005年8月8日 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1971年 - 1976年 |
青山 丘(あおやま たかし、1941年4月11日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。
衆議院議員(9期)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院労働委員長、文部科学副大臣などを歴任。
概要
愛知県瀬戸市生まれ。1964年に慶應義塾大学法学部を卒業後、青山硝子に入社。
1971年、瀬戸市議会議員選挙に立候補し当選。自由民主党に所属し、以後2期務める。
衆院選立候補にあたり自民党の公認を得られなかったため、1976年第34回衆議院議員総選挙に民社党から立候補し当選する。以後、落選を挟んで9回の当選を果たすことになる。民社党では最後の国会対策委員長に就任。
1990年の第39回衆議院議員総選挙では落選するが、1993年の第40回衆議院議員総選挙で日本新党から推薦を受けて当選し中央政界に復帰。
1994年12月、新進党の結党に参加。小沢一郎に近い立場を取り、新進党分裂後は、小沢について自由党に参加した。しかし、自自連立後は、自由民主党への合流を指向するようになり、2000年の自由党分裂では保守党に参加する。しかし、選挙区の愛知7区には自由民主党公認の鈴木淳司が既にいたため、選挙協力と引き換えに自由民主党に入党。鈴木との間でコスタリカ方式を結び、自身は比例区(比例東海ブロック)から当選。
自民党では志帥会に参加。2001年、小泉内閣が成立すると、文部科学副大臣に任命。
2005年7月5日の郵政民営化法案の衆議院本会議採決で反対票を投じた。同8月21日自由民主党を離党し、田中康夫を代表とする新党日本立党記者会見に参加、副代表に就任する。同9月11日、第44回衆議院議員総選挙に比例東海ブロックより出馬するが、あと一歩届かず落選。
2006年5月、国民新党に加入、国民新党参議院比例区第1支部長に就任。
2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙で国民新党公認で比例代表区から出馬したが、次点で落選。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙で前回と同様に比例東海ブロック(国民新党1位)より出馬したが落選。
政策
所属していた議員連盟
出典
議会 | ||
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先代 岡島正之 |
衆議院労働委員長 1996年 - 1997年 |
次代 玉置一弥 |
公職 | ||
先代 大野功統・河村建夫 |
文部科学副大臣 2001年 - 2002年 岸田文雄と共同 |
次代 河村建夫・渡海紀三朗 |
党職 | ||
先代 結成 |
新党日本副代表 初代 : 2005年 |
次代 宮本一三 |