酒田港

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。CIAMI6KGB (会話 | 投稿記録) による 2016年3月30日 (水) 08:26個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

酒田港
酒田港と最上川河口〔奥〕
酒田港の位置(日本内)
酒田港
酒田港
酒田港の位置
所在地
日本の旗 日本
所在地 山形県酒田市
座標 北緯38度56分23.46秒 東経139度48分45.04秒 / 北緯38.9398500度 東経139.8125111度 / 38.9398500; 139.8125111座標: 北緯38度56分23.46秒 東経139度48分45.04秒 / 北緯38.9398500度 東経139.8125111度 / 38.9398500; 139.8125111
詳細
管理者 山形県
種類 重要港湾
統計
統計年度 2010年
貨物取扱量 3,152,342t
コンテナ数 5,486TEU

酒田港(さかたこう)は、山形県酒田市にある港湾である。港湾管理者は山形県。港湾法上の重要港湾港則法上の特定港に指定されている。

酒田港の位置と歴史

酒田港は山形県内を縦断する一級河川である最上川河口に位置する。同港は、藤原秀衡の妹とも後室とも言われる徳尼公(とくにこう)が酒田に落ち延びた際に随伴した家臣36人により開かれたと言われる。その時の家臣が「酒田三十六人衆」と呼ばれ、子孫らは後に酒田を代表する大商人になった。

万治2年(1659年)に出羽国村山郡の幕領米の輸送を請け負った江戸商人正木半左衛門らにより西廻り航路が開かれ、酒田港は西廻り航路の起点となった。最上川の舟運より運ばれた紅花や米、各地の特産物が北前船に積まれ、日本海から瀬戸内海を廻って、大坂、さらには江戸に運ばれた。
「西の、東の酒田」と呼ばれ、「酒田三十六人衆」でもある鐙屋(あぶみや)や本間家は大商人になった。中でも本間家は戦前までは日本一の大地主としても知られており、『本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に』と謳われるほどの財力を誇った。最も権勢を誇った本間光丘は、日枝神社の創建や庄内砂丘に防砂林を植林するなど、今日の酒田の基礎を作った。

明治期に入り、日本初の木造灯台である酒田灯台が作られるなど、発展を続けたが、大正初期に羽越本線が開通したことにより、輸送の主力は鉄道に取って代わられた。

戦後、国際港湾に指定され、主にソ連から北洋材を輸入していたが[1]、最上川の河口に位置するため次第に手狭になり、1974年昭和49年)11月に、大型船舶への対応や港の国際化さらに企業誘致を目的として、宮海地区の砂浜を埋め立てて酒田北港が開港した[2][注 1]。しかし、臨海工業地区に誘致した住軽アルミニウム工業(住軽アルミ)がオイルショックなどの影響で操業から僅か5年で撤退するなど不遇が続いた。

1992年平成4年)5月には酒田港からアムール川を遡って中国黒竜江省ハルビンに到るユニークな国際航路「東方水上シルクロード」を開設[3]。専用船「木蘭」により中国東北部から穀物を輸入している。さらに1995年(平成7年)には、韓国釜山とのコンテナ航路も開かれ順調に取り扱いが増加している。

近年、リサイクルポートの一つに指定され、リサイクル工場の集積を図り、循環型社会の拠点にすべく注力している。また2014年(平成26年)4月に花王酒田工場が新設した紙おむつ製造工場が[4]、フル生産を続けていることもあり国際コンテナ取扱量が急増したため、県が2017年(平成29年)秋までに高砂埠頭のコンテナヤードを現在の約1.4倍に拡張し整備を完了させる方針と伝えられている[5][6]

定期旅客航路としては飛島との間に離島航路があり、長距離フェリーの誘致活動も行っている。また、海上保安庁第二管区海上保安本部酒田海上保安部があり、PS型巡視船「つるぎ」が配備されている。

鉄道では羽越本線の支線として、日本貨物鉄道(JR貨物)の酒田港駅が設けられている。

年表

酒田港と酒田市中心部周辺の空中写真。最上川河口の右岸に酒田の町は形成されている。1976年撮影の14枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

定期旅客航路(船場町)

酒田市定期航路事業所旅客ターミナル。ここから旅客船「とびしま」が発着している。

定期国際コンテナ航路(高砂地区)

※荷役は、ガントリークレーン一基、タイヤマウント式ジブクレーン1基で対応。

油槽所(大浜地区)

脚注

注釈

  1. ^ 国、県などの公共団体は北港建設と港湾整備に約1500億円、工業団地造成に約300億円の併せて約1800億円もの巨費を投じた。

出典

  1. ^ 『山形県地域開発史』P 485
  2. ^ 『山形県地域開発史』P 486
  3. ^ a b 『山形県史 第7巻 現代編 下』P 238
  4. ^ “花王、山形県に紙おむつ工場 12年ぶり国内新設”. 日本経済新聞. (2013年6月24日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD240PC_U3A620C1TJ1000/ 2016年2月27日閲覧。 
  5. ^ “<酒田港>紙おむつ好調 コンテナヤード拡張へ”. 河北新報. (2015年10月10日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201510/20151010_52047.html 2016年2月27日閲覧。 
  6. ^ “コンテナ取扱量、過去最多2万個突破 15年酒田港、前年比5%増”. 山形新聞. (2016年2月17日). http://yamagata-np.jp/news/201602/17/kj_2016021700367.php 2016年2月27日閲覧。 
  7. ^ “その先へ 山形ものづくり立県[27]消費者ニーズ反映、技術実用化 花王酒田工場(酒田)”. 山形新聞. (2015年8月9日). http://yamagata-np.jp/feature/sonosaki/kj_2015080900185.php 2016年3月30日閲覧。 
  8. ^ 『山形県地域開発史』P 496
  9. ^ a b 『山形県地域開発史』P 489
  10. ^ 「日本海側拠点港に北九州港など19港 国交省」『朝日新聞』2011年11月12日
  11. ^ “酒田港に中国航路復活 国際コンテナ週5便に”. 河北新報. (2015年5月15日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201505/20150515_52035.html 2016年3月30日閲覧。 
  12. ^ “<酒田港>上海・寧波航路復活 コンテナ週6便に”. 河北新報. (2015年6月11日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201506/20150611_52040.html 2016年3月30日閲覧。 

参考文献

  • 山形県地域開発史作成事務局 『山形県地域開発史』 山形県職員研修所、1993年。
  • 山形県編 『山形県史 第7巻 現代編 下』 山形県、2004年。

外部リンク