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精華町

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せいかちょう ウィキデータを編集
精華町
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
相楽郡
市町村コード 26366-4
法人番号 3000020263664 ウィキデータを編集
面積 25.68km2
総人口 35,415[編集]
推計人口、2024年5月1日)
人口密度 1,379人/km2
隣接自治体 京田辺市木津川市
奈良県奈良市生駒市
町の木 かし
町の花 バラ
精華町役場
町長 杉浦正省
所在地 619-0285
京都府相楽郡精華町大字南稲八妻小字北尻70番地
精華町役場
精華町役場
外部リンク 町の公式サイト

精華町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

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精華町(せいかちょう)は、京都府の南西端に位置する関西文化学術研究都市の地理的な中心であり、国立国会図書館関西館ATRなどがある。エビイモ万願寺とうがらし、イチゴが特産。

地理

役場の位置は北緯34度45分28秒 東経135度47分19秒(日本測地系)、北緯34度45分40秒 東経135度47分09秒 / 北緯34.761034度 東経135.785776度 / 34.761034; 135.785776(世界測地系)。 西の京阪奈丘陵と東の木津川に挟まれ南北に延びる地帯である。京都府の南端を占め、東側は木津川市・北側は京田辺市・西側は生駒市・南側は奈良市に接しており、奈良県の県境に位置する町であり、大阪府には接していないが京田辺市生駒市を介して僅か2km先に大阪府枚方市交野市域がある。近年は関西文化学術研究都市として、更に大阪市京都市奈良市などへのベッドタウンとして丘陵が宅地開発されてきたことから人口流入が増え平成16年度の人口増加数は1290人、人口伸率は4.0%に達している。また平成17年実施国勢調査速報値によると、人口増加率は29.9%と全国の他の市町村を大きく引き離して1位である(平成17年度に34540人)。

町名と郵便番号

町名 郵便番号 町名 郵便番号 町名 郵便番号
乾谷 619-0233 下狛 619-0245 菱田 619-0246
植田 619-0236 菅井 619-0242 祝園 619-0241
北稲八間 619-0244 精華台 619-0238 祝園西 619-0240
桜が丘 619-0232 光台 619-0237 南稲八妻 619-0243
柘榴 619-0234 東畑 619-0235 山田 619-0231

歴史

1889年、市制町村制の施行により、現在の精華町の区域に旧来からあった村が再編成されて相楽郡狛田村祝園村稲田村、山田荘村が置かれた。1931年、狛田村、祝園村、稲田村の3村が合併して川西村が成立した。

戦後昭和の大合併により、相楽郡でも合併が検討された。1949年2月、京都府自治制度調査委員会によって出された町村合併の試案によると、相楽郡の合併の組み合わせはいずれも新制中学校の区域に基づいたものであった[1]。相楽郡北西部では精華中学校の区域である川西村・山田荘村・相楽村の3村の合併が検討された[1]。最終的に相楽村は木津町との合併を決定し、川西村・山田荘村の2村合併となったが、ともに精華中学校を運営している仲間の村々ということが強く意識され、1951年4月、精華中学校の名を由来とする精華村が誕生することとなった[2]。(精華中学校の名称は戦前の精華高等小学校に由来している[3]。精華高等小学校の「精華」は、1890年明治23年)10月30日に発布された教育勅語の「国体の精華」(日本の国の最も美しい美点)という一節からとられたものである[2]。詳細は精華町立精華中学校を参照。)

1951年の合併の際に町制施行の希望があったが、合併が短時日のうちに進められたことにより実現されなかった。その後も風水害の復旧工事などもあり、町制施行は見送られたが、1953年町村合併促進法が出され、精華村は町制施行の機運をより高めた。1954年7月、新町村建設計画に基づく町制実施の基本方針が立てられることになり、翌1955年2月10日に区長会で町制実施の計画が明確に出され、2月23日には村議会全会一致で可決、町制施行促進委員会が設けられ、府会の議決を経て、4月1日に町制施行し、現在に至る。

年表

開発された丘陵
(桜が丘2丁目)

行政

町長は木村要。町議会構成員は21名。

経済

産業

精華町に本社のある企業

姉妹都市・提携都市

地域

人口

平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、4.08%増の35,633人であり、増減率は県下26市町村中3位、36行政区域中4位。

精華町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 10,929人
1975年(昭和50年) 13,894人
1980年(昭和55年) 15,334人
1985年(昭和60年) 16,095人
1990年(平成2年) 17,519人
1995年(平成7年) 22,691人
2000年(平成12年) 26,357人
2005年(平成17年) 34,236人
2010年(平成22年) 35,630人
2015年(平成27年) 36,376人
2020年(令和2年) 36,198人
総務省統計局 国勢調査より


教育

京都府立大学 精華キャンパス
南京都高等学校

大学

高等学校

中学校

合計生徒数897人(2004年5月1日)

小学校

合計生徒数2472人(2004年5月1日)

特別支援学校

京都精華大学および京都精華女子高等学校京都市左京区に所在し、精華町とは無関係である。

交通

JR学研都市線 祝園駅

鉄道

道路

高速自動車国道

  • 路線なし

一般国道

主要府道

一般府道

バス

施設

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

けいはんなプラザ

旧跡

お千代と半兵衛の墓

レジャー

観光

  • いごもり祭(祝園神社、1月)

精華町出身の有名人

脚注

  1. ^ a b 精華町史編纂委員会『精華町史(本文編)』800-801頁,1996年
  2. ^ a b 精華町『広報せいか No.410(1997年5月号)8頁』1997年5月
  3. ^ 精華町史編纂委員会『精華町史(本文編)』797頁,1996年

参考文献

  • 精華町史編纂委員会『精華町史(本文編)』1996年

関連項目

外部リンク