橋本清
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府摂津市 |
生年月日 | 1969年5月22日(54歳) |
身長 体重 |
188 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1987年 ドラフト1位 |
初出場 | 1992年9月30日 |
最終出場 | 1997年6月9日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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橋本 清(はしもと きよし、1969年5月22日 - )は、元プロ野球選手(投手)。現在は野球解説者・タレント。大阪府摂津市出身。
来歴・人物
地元・大阪のPL学園高校の右のエース(背番号・10)として、左のエース野村弘との二枚看板で1987年に甲子園で春・夏連覇に貢献(同校初)。同学年のチームメートに立浪和義[1]・片岡篤史・野村弘[2]・桑田泉らがいた。また、入学当初PL学園の寮では通常1年生と3年生が同部屋になる決まりで、入学前から憧れていた清原和博と同部屋で部屋子として、寮内外問わず可愛がっていただいたと後に語っている。
同年秋のドラフト会議で読売ジャイアンツが1位指名で交渉権を獲得したが、本田技研への入社が内定していたため指名後は「今でも本田に行きたい気持ちは変わらない」とコメントしていた[3]。数回の入団交渉を経て契約金5500万円、年俸480万円(金額は推定)で入団して合意[4][5]。
プロ入り後しばらくは芽が出なかったが、入団6年目となる1993年には一軍に定着し、150km/h超のストレートとフォークボールを武器にセットアッパー役を務めた。抑え役の石毛博史につなぐ継投策は、当時の監督である長嶋茂雄によって勝利の方程式と名付けられた。
その後、二度の右ひじ手術を経て2001年にはテスト入団で福岡ダイエーホークスへ移籍。その年限りで現役引退。
引退後は、熱心に自腹で球場へと足を運び、選手の動向をチェック。その様子を認めた清原和博達からの推薦もあり、スポーツライターとしての仕事を徐々に増やしている。また、タレント活動をする一方で野球教室を主宰する(高岡ボーイズで2年間コーチをしていた当時の教え子には西野勇士がいる[6])ほか、フジテレビONEの『プロ野球ニュース』やJ SPORTSで野球解説を務めるなど精力的に活動している。
妻は女優の里見和香。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1992 | 巨人 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 6 | 1.2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 1.20 |
1993 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 4 | 3 | -- | .600 | 357 | 88.1 | 63 | 8 | 30 | 3 | 2 | 91 | 1 | 0 | 23 | 18 | 1.83 | 1.05 | |
1994 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 3 | -- | .333 | 273 | 67.1 | 48 | 6 | 28 | 2 | 0 | 69 | 0 | 0 | 21 | 18 | 2.41 | 1.13 | |
1995 | 19 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 2 | -- | .250 | 100 | 21.1 | 25 | 6 | 11 | 2 | 0 | 21 | 2 | 0 | 23 | 20 | 8.44 | 1.69 | |
1996 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 33 | 6.0 | 13 | 4 | 2 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | 8 | 8 | 12.00 | 2.50 | |
1997 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 13 | 3.0 | 4 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 2.33 | |
通算:6年 | 134 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 12 | 8 | -- | .429 | 782 | 187.2 | 155 | 25 | 74 | 7 | 2 | 186 | 6 | 0 | 77 | 66 | 3.17 | 1.22 |
表彰
- ジュニア日本選手権MVP:1回(1989年)
記録
- 初登板:1992年9月30日、対横浜大洋ホエールズ24回戦(横浜スタジアム)、7回裏1死に4番手で救援登板・完了、1回2/3を無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に田辺学から
- 初勝利:1993年5月1日、対ヤクルトスワローズ2回戦(東京ドーム)、4回表に2番手で救援登板、2回無失点
- 初セーブ:1993年5月14日、対広島東洋カープ6回戦(広島市民球場)、7回裏に2番手で救援登板・完了、3回無失点
背番号
- 30 (1988年 - 1998年)
- 92 (1999年 - 2000年)
- 60 (2001年)
関連情報
主な出演
テレビ番組
- J SPORTS STADIUM
- スポーツワイド プロ野球ニュース(フジテレビONE)
- メジャーリーグ中継 (J SPORTS)
- 旅打ち!我らパチンコ漂流隊(スカパー! 旅チャンネル)
- 有吉反省会 (2013年 日本テレビ) - バラエティ番組
- 年末特番 Mrなでしこ (2013年 フジテレビ) - バラエティ番組
- 私の何がイケないの? 巨人軍の妻たち SP (2014年 TBS) - バラエティ番組
- 水曜日のダウンタウン (2014年 TBS) - バラエティ番組
- ぐるぐるナインティナイン (2015年 日本テレビ) - バラエティ番組
MV
- がんばれ!Victory「ラリラリラ」(2015年9月2日)[7]
著書
- 『元・阪神:謎のトレード・突然のFA・不可解な解雇・12の理由』[8](中田潤・矢崎良一・池田浩明・高橋安幸共著、竹書房、2004年5月、ISBN 978-4812416655)
- 『元・阪神』(廣済堂文庫、2006年6月、ISBN 978-4331653975)
- 『水谷宏112万球のプロ野球人生:60歳までマウンドに立ち続けた男』(学習研究社 (GAKKEN SPORTS BOOKS)、2008年3月、ISBN 978-4054032064)
- 『7 (SEVEN)西岡剛:OFFICIAL BOOK』(三修社、2008年8月、ISBN 978-4384077773)
- 『PL学園OBはなぜプロ野球で成功するのか?』[9](ぴあ、2009年3月、ISBN 978-4835617282/新潮文庫、2012年4月、ISBN 9784101361611)
- 『52(fifty two)川崎宗則:オフィシャルbook』(徳間書店、2010年3月、ISBN 978-4198629229)
- 『前田健太「感謝!」:オフィシャルBOOK』(徳間書店、2011年3月、ISBN 9784198631352)
- 『あの夏のエースたち:甲子園ファイナリストの光と影』(佐々木亨・久保田龍雄・渡辺勘郎・寺下友徳・佐伯要・矢崎良一共著、竹書房、2013年7月、ISBN 9784812495940)
関連項目
脚注
- ^ 幼稚園時代からの幼なじみで、ボーイズリーグでも一緒にプレーしていた。
- ^ エースとして背番号1を付けていた。橋本は背番号10。
- ^ 朝日新聞、1987年11月19日付朝刊 (21面)
- ^ 朝日新聞、1987年12月11日付朝刊 (23面)
- ^ 江川投手現役引退の影響で急遽投手が必要になった。背番号は江川と同じ30。
- ^ “橋本清:ファームはロッテが日本一!”. ワイズ・スポーツ株式会社 (2010年10月7日). 2013年6月30日閲覧。
- ^ “がんばれ!Victory、新曲MVで元プロ野球選手と乱闘”. 音楽ナタリー (2015年8月4日). 2015年8月4日閲覧。
- ^ 第二章『中込伸×郭李建夫 We will do it again.』を橋本が担当。
- ^ 橋本が桑田真澄、宮本慎也、立浪和義、清原和博、木戸克彦、金石昭人、吉村禎章、片岡篤史、野村弘樹、中村順司、前田健太を取材。