千羽鶴 (小説)

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千羽鶴
Thousand Cranes
著者 川端康成
イラスト 装幀:小林古径。題字:川端康成
発行日 1952年2月10日
発行元 筑摩書房
ジャンル 長編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本
ウィキポータル 文学
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千羽鶴』(せんばづる)は、川端康成長編小説。川端の戦後の代表作の一つで、芸術院賞を受賞した作品である。亡き不倫相手の成長した息子と会い、愛した人の面影を宿すその青年に惹かれた夫人の愛と死を軸に、美しく妖艶な夫人を志野茶碗ののように回想する青年が、夫人の娘とも契る物語[1]。匂うような官能的な夫人の肉感に象徴される形見の志野茶碗の名器の感触と幻想から生まれる超現実な美的世界と、俗悪に堕した茶の湯の世界の生々しい人間関係が重なり合って描かれている[1][2]

雪国』や『山の音』同様、『千羽鶴』も最初から起承転結を持つ長編としての構想がまとめられていたわけではなく、1949年(昭和24年)から1951年(昭和26年)にかけて各雑誌に断続的に断章が連作として書きつがれたが、一章ごとが独立の鑑賞に堪え、全体として密度が高い小説となっている[1]。なお、続編に未完の『波千鳥』(なみちどり)があり、近年はこれと合わせて一つの作品として扱われ、論じられることが多い。

発表経過

まず1949年(昭和24年)に、雑誌『読物時事別冊』5月号(第3号)に「千羽鶴」(挿絵:猪熊弦一郎)、雑誌『別冊文藝春秋』8月号(第12号)に「森の夕日」が断章として分載された。翌1950年(昭和25年)には、雑誌『小説公園』3月号(第1巻第1号)に「絵志野」、同誌11月号(第1巻第8号)と12月号(第1巻第9号)に「母の口紅」(挿絵:佐藤泰治)が分載された。翌1951年(昭和26年)には、雑誌『別冊文藝春秋』10月号(第24号)に「二重星」が掲載された。

そして以上の断章を纏めた単行本『千羽鶴』が1952年(昭和27年)2月10日に筑摩書房より刊行され、芸術院賞を受賞した。

続編となる『波千鳥』(なみちどり)は、1953年(昭和28年)、雑誌『小説新潮』4月号(第7巻第5号)に「波千鳥」(挿絵:佐藤泰治)、5月号に「旅の別離」(「旅の別離」1章から3章)、6月号に「父の町」(「旅の別離」4章と5章)、9月号に「荒城の月」(「旅の別離」6章と7章)、10月号に「新家庭」(「新家庭」1章と2章)、12月号に「波間」(新家庭」3章と4章)が分載された。翌1954年(昭和29年)、同誌3月号に「春の目」、7月号(第8巻第9号)に「妻の思ひ」が分載された。

しかし、これ以降は取材ノートが盗難にあったために、この8回までで中断された。そして、章として完結している6回までの断章を纏めた未完作が『千羽鶴』の続編として、1956年(昭和31年)11月25日に新潮社より刊行の『川端康成選集第8巻』に初収録された。なお、削除された7回と8回分の章は、川端没後の『川端康成全集第22巻・未刊行作品集(2)』に収録された。

文庫版は、『千羽鶴』と続編『波千鳥』と合わせて新潮文庫より刊行されている。翻訳版も1957年(昭和32年)のエドワード・サイデンステッカー訳(英題:“Thousand Cranes”)をはじめ、世界各国で行われている。

作品背景・エピソード

千羽鶴

『千羽鶴』に見られる「茶器」や風呂敷の「千羽鶴」の絵模様などへの川端の関心やこだわりには、日本の伝統美に対する造詣の深さがうかがわれ、こういった題材を盛り込んだ作品は、川端にしか成し得ないものだとされている[3]

作中で妖しさを見せる美しい夫人の象徴であり、『千羽鶴』で重要な役割を演じている志野焼は、尾張美濃に産した陶器で、室町時代茶人志野宗信が美濃の陶工に命じて作らせたのが始まりであるとも、今井宗久が始めたとも伝わり、文禄慶長を盛期とする。茶器が多く、白釉を厚く施し、釉下に鉄で簡素な文様を描いた絵志野をはじめ、鼠色の鼠志野、赤志野、紅志野、無地志野などがあり、それぞれ雅趣豊かで独創性に富む[1]

波千鳥

続編『波千鳥』の作品背景としては、1952年(昭和27年)10月に、続きを書きたいと考えていた川端の元へ、当時大分県在住の画家高田力蔵が偶然、大分県の案内役をかって出て、諸所をめぐる旅の機会が与えられたことが大きいという[4]。しかし作品の核心が迫ってきた最終段階で取材ノートが紛失し、中断を余儀なくされた。当初この事件は旅行中に鞄ごと紛失したことになっていたが、川端没後の6年経った1978年(昭和53年)、実は東京の仕事部屋として使っていた旅館で、執筆中のほんのわずか席を立った合間に、盗難にあったものだったことが、川端夫人により公表された[5]。これは川端がいつも世話になっていた旅館に迷惑が及ぶのを慮って、川端が秘密にしたのだという[5]。盗まれた取材ノートには、「写生」がつぶさに記されてあったため、9回目以降の執筆を不可能にし、断念させるほどであった[4]

未完に終ってしまった続編『波千鳥』は、川端の構想の中では、結婚した菊治とゆき子はうまく行かなくなり離婚し[6]、文子が鉱山の売店で働いているところに菊治がやってきて、二人が再会するところで結末を迎えることになっていたという[5]。川端はその部分について、「あそこの山の中で心中させることを考えていたんです」とも述べている[7]

あらすじ

千羽鶴

の師匠・栗本ちか子の主催する鎌倉円覚寺の茶会の席で、今は亡き情人・三谷の面影を宿すその息子・菊治に妖しく惹かれた太田夫人は、あらゆる世俗的関心から開放され、どちらから誘惑したとも抵抗したともなく、菊治と夜を共にした。太田夫人には、菊治の父と菊治の区別すらついていないようにも思え、菊治もまた、素直に別世界へ誘い込まれた。菊治には、夫人が人間ではない女とすら思え、人間以前の女、または人間最後の女とも感じさせた。太田夫人の娘・文子は二人の関係を知り、菊治に会いに行こうとする母を引き止めた。

同じく菊治の父の愛人だったことがある栗本ちか子は、菊治の父に終生愛され続けた太田夫人を憎んでいた。ちか子は自分が仲介役をしている稲村ゆき子と菊治の縁談が決まったかのような電話を太田夫人に入れ、邪魔するなと警告する。恋にやつれた太田夫人は自分の罪深さを思い自殺した。菊治は文子から譲り受けた夫人の形見の名品である艶な志野の水差しの肌を見るにつけ、太田夫人を女の最高の名品であったと感じ、名品には汚濁がないと思った。その後、文子はもう一つ、母が湯呑みとして愛用していた志野茶碗を菊治に譲った。その茶碗には夫人の口紅のあとが、血が古びた色のようにしみついているように見えた。

ある日、栗本は、ゆき子も文子も他の男と結婚してしまったと菊治に告げた。そんな折、文子から菊治に連絡があり、栗本の話が嘘だとわかった。文子は菊治を訪ね、母の湯呑み茶碗を割ってほしいと言った。そしてその夜、菊治と結ばれた文子は隙を見て、庭のつくばいに茶碗を打ちつけて割ってしまった。文子の純潔の余韻と共に菊治の中で文子の存在が大きくなり、文子は菊治にとって「比較のない絶対」、「決定の運命」になった。翌日菊治は、文子の間借り先を訪ねるが、文子は旅行に出たという。母と同じ罪深い女と自分をおそれた文子は死へ旅立ったのかと不安を覚えた菊治の背に冷たい汗が流れた。

波千鳥

九州の竹田市の地から菊治の元に文子からの長い手紙が来て、母や自分を忘れて稲村ゆき子と結婚するよう綴られていた。菊治は文子を血眼に探したが行方は知れなかった。1年半後にゆき子と結婚した菊治は新婚旅行で熱海伊豆山を訪れた。菊治は自らの汚辱と背徳の記憶を強く意識し、清潔なゆき子に口づけ以上の関係を結べなかった。明るい家庭に育ったゆき子に神聖な憧憬を感じつつも、菊治は、やはり結婚すべきでなかったという噛むような後悔を覚える。(未完)

登場人物

三谷菊治
26 - 28歳くらい。会社員。東京に在住。4年前に父を亡くし、その後に内気な母も死去。兄弟はいない。茶道が趣味だった父には外にも女がいた。幼い頃の菊治はそのことで義憤を感じ苦しめられた。父は楽器会社の株主。
太田夫人
45歳前後。未亡人。菊治の父親の不倫相手で、三谷に終生愛された女。鎌倉市円覚寺の茶会で成長した菊治と出会う。色の白い長めな首と、それに不似合いな円い肩。恰好のいい小さな鼻と、小さなやや受け口の唇。年上の女という感じがしない。しなやかな受身。
栗本ちか子
お茶の師匠。独身。茶会の用で三谷家に出入り、半ば世話人のようになっている。左の乳房に掌ほどの黒紫のがある。菊治の父親の情婦だった時期がある。菊治は8歳か9歳の頃、父に連れられて栗本の家を訪れ、その醜い痣に生えた毛を切っているちか子を見たことがある。現在は中性化しているが、太田夫人をまだ憎んでいる。
太田文子
22歳。太田夫人の一人娘。母より黒目がちな目。10歳の時に父親が死去。戦時中は生活力のない母親の代りに、空襲で危ない中、少女ながら新潟まで米や食料を買い出しに行った。父親の故郷は九州の竹田市久住町
稲村ゆき子
菊治の見合い相手。桃色のちりめんに白の千羽鶴風呂敷を持っていた。のち菊治と結婚する。四人姉妹の賑やかな明るい家庭で育った令嬢。父親はをやり、娘たちにもやらせている。
女中
三谷家の女中。菊治の父の代からいる老女。

作品評価・解釈

『千羽鶴』の文学的評価は総じて高く、『山の音』と並ぶ川端の戦後の代表的作品である。作中には随所に日本の伝統美の古雅が見られるが、後年、川端康成は『千羽鶴』について、以下のように語っている。

私の小説『千羽鶴』は、日本のの心と形の美しさを書いたと読まれるのは誤りで、今の世間に俗悪となつた茶、それに疑ひと警めを向けた、むしろ否定の作品なのです。 — 川端康成「ノーベル文学賞受賞記念講演」

しかしある意味、川端独自の目線で「日本の茶の心と形」を小説として表現していると保昌正夫は解説している[3]

三島由紀夫は『千羽鶴』を「川端の擬古典主義様式の一つの完成品であり、谷崎潤一郎でいうなら、『盲目物語』や『蘆刈』の作品系列に該当する」と評し[2]、悪役のちか子に「性わるな命婦」、主人公の菊治に「光源氏」の面影が見られ、菊治の婚約を知り服毒自殺をする太田夫人や、夫人の娘が母の罪を背負って菊治に抱かれた後、身を隠して生死不明となる結末など、全般的に王朝の物語の人物や物語的情趣の風味があると解説している[2]

そしてそれと同時に、『千羽鶴』の面白さは、「日本的風雅の生ぐささの諷刺になっているところ」でもあると三島は述べ[2]、「俗悪な女茶人」ちか子が催す茶会で披露される美しい茶道具は、ちか子の「俗な職業的知識」の関心でしかなく、その道具の一つ一つが、「醜い情事を秘めて伝承され」、太田夫人の志野茶碗にも、口紅のあとが罪のように染みついているところなどが、「小説の小道具として生ぐささにおいて申し分ない」としながら[2]、以下のように解説している。

茶道におけるひどく俗なもの、茶道具の授受や鑑賞にまつはる秘められたエロティシズム、……美的形式を経てゐるために、ただの人間関係よりも、さらに深く澱んで生々しい肉感的な人間関係を暗示する、さういふ日本的美学独特の逆説を、「千羽鶴」は抜け目なくロマネスクに仕立ててゐる。それがこの小説を、ただの唯美主義の作品以上のものにしてゐるのである。 — 三島由紀夫「解説 千羽鶴」(『日本の文学38 川端康成集』)[2]

山本健吉は、主人公・菊治には、『禽獣』の主人公や『雪国』の島村と共通したものが見られ、「その実生活は完全に捨象された存在であり、美に対する感受性だけが生きて動いている」存在で、シテである「太田夫人のあでやかな舞姿」を、「ワキとして、見所を代表する者として眺めている非行動人」だとし[1]、以下のように『千羽鶴』を解説している。

太田夫人の美しさは、すぐその後に崩壊が待っているような、はかない美しさであり、ここではその滅びの美しさが、絶えずを意識することによって鋭ぎすまされた虚無的な眼によって捕えられるのである。死ぬことによって生きる外ない無償の美しさである。だが、現実的に見れば、それは中年女の匂うような肉感性である。(中略)それは肉感的なものであればあるだけ、罪の意識があとに残り、母の口紅がついたように赤みがかって見える志野の筒茶碗は、その死後、娘の文子によって打ちくだかれねばならない。 — 山本健吉「解説」(文庫版『千羽鶴』)[1]

梅澤亜由美は、『千羽鶴』の終局近くに、菊治が処女の文子と結ばれることで、「純潔そのものの抵抗」を知り、太田夫人の「女の波」から解放され、父の「不潔」との同化や、ちか子の「あざ」に象徴される過去の負の記憶からも解放されて、そこで「菊治の自己浄化の物語」は完結するはずであったとし[8]、成就しかけた菊治の物語を破綻させたのが、「文子の失踪」であるとしている[8]

そして、なぜ川端が『千羽鶴』の結末を壊さなければならなかったのかについて梅澤は、続編『波千鳥』に挿入されている文子の長い手紙の中で綴られている、母の不倫による少女時代の文子の「罪の意識」と、母を死なせてしまった悔恨と悲しみ、また自分も菊治を愛し関係を持ってしまった文子の苦悩の心情に焦点を当て[8]、文子は、ゆき子と結婚する菊治の幸せのために、母と文子自身の情念の象徴である「志野の湯呑み」を割って全てを終らせ、遁走するしかなかったと解説している[8]。そして梅澤は、未完となった『波千鳥』の川端の構想の中に、「菊治と文子の再会」や「心中」があったことを鑑み、「川端は、菊治と文子二人の救済、できることなら二人の再会による救済の成就という形を目指して、『波千鳥』の執筆へと向かったのだ」とし[8]、それまでの川端作品に見られるような男性のみの自己浄化の形でないものを川端が考えていたが、今度はゆき子が不幸になり、その自責を菊治が再び負うことになってしまうことに気づいた川端が、菊治と文子の心中という方向に構想を変化せざるをえなくなり、やがて書き継ぐ意思もなくなり、未完となったのではないかと梅澤は考察している[8]

文学碑

続編『波千鳥』の舞台となった九重高原のなかの飯田高原の大将軍という地には、1974年(昭和49年)7月21日に、「川端康成先生景仰会」によって建立された「川端康成文学碑」がある。碑面には、「雪月花の時、最も友を思ふ」と刻まれ、碑の裏面には、『波千鳥』からの、高原を描写した一節が記されている[9]

映画化

舞台化

テレビドラマ化

関西テレビ制作・フジテレビ系列 白雪劇場
前番組 番組名 次番組
千羽鶴
関西テレビ制作・フジテレビ系列 川端康成名作シリーズ
母の初恋
千羽鶴
(終了)

ラジオドラマ化

おもな刊行本

脚注

  1. ^ a b c d e f 山本健吉「解説」(文庫版『千羽鶴』)(新潮文庫、1989年)
  2. ^ a b c d e f 三島由紀夫「解説 千羽鶴」(『日本の文学38 川端康成集』)(中央公論社、1964年3月)
  3. ^ a b 保昌正夫『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)
  4. ^ a b 郡司勝義「解題」(文庫版『千羽鶴』)(新潮文庫、1989年)
  5. ^ a b c 川端秀子「川端康成「波千鳥』未完の秘話」(朝日新聞夕刊 1978年8月28日号に掲載)
  6. ^ 川端康成「名作『千羽鶴』の映画化を語る会」(婦人倶楽部 1952年12月号に掲載)
  7. ^ 川端康成(武田勝彦との対談)「川端康成氏へ聞く…」(國文學 1970年2月号に掲載)
  8. ^ a b c d e f 梅澤亜由美「『千羽鶴』から『波千鳥』へ―川端康成がめざしたもの―」(法政大学日本文學誌要、1998年7月)
  9. ^ 九重町 - 川端康成文学碑”. 九重町公式サイト. 2015年3月10日閲覧。

参考文献

  • 文庫版『千羽鶴』(付録・解説 山本健吉郡司勝義)(新潮文庫、1989年)
  • 『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)
  • 『決定版 三島由紀夫全集第32巻・評論7(新潮社、2003年)
  • 旧版『川端康成全集第8巻』(新潮社、1969年)
  • 『川端康成全集第12巻』(新潮社、1980年)
  • 梅澤亜由美「『千羽鶴』から『波千鳥』へ―川端康成がめざしたもの―」(法政大学日本文學誌要、1998年7月) [1]

関連項目

外部リンク

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