抒情歌 (小説)

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抒情歌
著者 川端康成
イラスト 挿画:高井貞二
発行日 1932年2月
発行元 中央公論社
ジャンル 短編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 雑誌掲載
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抒情歌』(じょじょうか)は、川端康成短編小説。川端が新境地をみせた初期の代表作の一つで、川端の死生観がよく示されている作品である[1][2][3]。また、川端自身が最も「愛してゐる」作品の一つでもある[4]

ある霊感の強い女人が、恋人に捨てられ、その人の死を知り、その苦悩や失意の中で「輪廻転生抒情詩」に救いを求める愛と死の物語[2]嫉妬や呪詛、悲しみの末、禽獣草木天地万物のうちに愛する人や自身を見出し、霊の国冥土来世で愛する人の恋人になるよりも、一つのになりたいという汎神論的心境に思い至るまでの詩的な心の軌跡が、的モチーフで神秘的に描かれている[2][5]

発表経過[編集]

1932年(昭和7年)、雑誌『中央公論』2月号に掲載され(挿画:高井貞二)、翌年1933年(昭和8年)6月に新潮社より刊行の『化粧と口笛』に収録された。その翌年1934年(昭和9年)12月25日に『抒情歌』として竹村書房より単行本刊行された。文庫版は新潮文庫講談社文芸文庫に収録されている。

作品背景[編集]

『抒情歌』の作品成立には、川端の青春を支配したといわれている初恋の人・伊藤初代への失恋が、川端の内部で整理され10年後に客観的に顧みられたことがあるとされている[6]。伊藤初代は東京府東京市本郷区本郷真砂町(現:文京区本郷四丁目)のカフェ・エランにいた女性で、1921年(大正10年)10月に二人は婚約したが、すぐに破談となった[7][1]。婚約破談の原因は初代が忽然と川端の前から姿を消し、カフェの支配人をしていたNと結ばれていたためだった[8][9]。川端は初代からの破談の手紙(いわゆる「非常」の手紙)を11月17日に受け取った[10]

川端は初恋の失敗で失意の内にあったが、その後、当時住んでいた菅忠雄(『オール讀物』編集長)の家の留守を預かっていたお手伝いの女性・松林秀子と知り合い、1926年(昭和元年)から同居生活をはじめ、約6年後の1931年(昭和6年)12月に婚姻届を出した[7]。川端は同棲中の1928年(昭和3年)5月に荏原郡入新井町大字新井宿字子母澤(現:大田区西馬込三丁目)に移り、その後すぐ同郡馬込町の臼田坂近辺(現:南馬込三丁目)に居住し[注釈 1]、1929年(昭和4年)9月に下谷区上野桜木町(現:台東区上野桜木二丁目)へ転居した[2][1][7]

16歳から天涯孤独となっていた川端は、24歳で伊藤初代と別れることにより、激しく虚無主義に落ち込み、10年を過ぎた34歳の時に『抒情歌』を創作して彼の初期の抒情文学を完成させていったと権海珠は解説している[2]

あらすじ[編集]

「私」は、まだ字も読めない幼少の頃、詠われるかるたの札を次々と小さな手に取り当り、周りの大人たちを驚かせ「神童」と呼ばれていた。その透視能力や予知能力も娘の年頃になると、時々発揮されるだけとなるが、それでも幼い弟の危機を霊感で救ったこともあった。「私」は、夾竹桃の花ざかりの海岸の小路で、一人の青年に行き会う夢を見て、その青年に恋をし、岸近くを走る汽船の名前まで覚えていたが、その夢から2、3年後、初めて訪れた温泉場の夢とそっくり同じ風景の中で、「私」は、その青年である「あなた」と出会う。それから「私」と「あなた」の間には不思議な魂の霊感の共鳴があり、愛し合い暮らしはじめた。ある日、母の幻影を見た「私」は、母親の死を直感し帰省した。葬儀の後、「私」は父親から「あなた」との結婚を許され、実家にしばらく滞在することになった。しかしその期間に「あなた」は「私」に黙って、友人の綾子と結婚してしまう。「私」はそれとは知らずに、二人の新婚旅行の新床の同時刻、香水の匂いを霊能力で突然嗅いだ。その出来事は4年前のことだったが、それ以来、心の翼が折れた「私」から透視能力も霊感もなくなり、その後の突然の「あなた」の死も察知できなかった。

「私」は失った愛や苦しみを癒すため、古今東西の経典仏法霊媒の話を読みあさり、輪廻転生を、「人間が作った一番美しい愛の抒情詩」だと思う一方で、昔の聖者も今の心霊学者も、人間の霊魂のことだけ尊び、動物や植物を蔑んでいるように感じ、人間は結局何千年もかけ、人間と自然界の万物とを、様々な意味で区別する方向ばかりにひたすら歩み、その「ひとりよがりの空しい歩み」が、今こんなに人間の魂を寂しくしているのではないかと考える。「私」は、いつか再び人間は、もと来た道を逆に引き返すようになるかもしれないとも思った。人はそれを、「太古の民の汎神論」と一笑にふすかもしれないが、万物流転と唱えたレイモンド・ロッジの「香のおとぎ話」も、「科学思想の象徴の歌」にすぎず、物質が不滅であるなら、智恵浅い女である「私」でさえ半生の中で悟られずにいられなかった「の力」だけが滅びるとするのは矛盾があると「私」は考える。そして「私」は、「魂」という言葉を、「天地万物を流れる力の一つの形容詞」と感じ、動物を蔑んでいる因果応報の教えを、「ありがたい抒情詩のけがれ」と呼び、エジプト死者の書や、ギリシャ神話はもっと明るい光に満ち、アネモネの転生はもっと朗らかな喜びであると思った。

「私」は「あなた」に捨てられ、アネモネの花の心を知り、「哀れな女神」でいるよりも美しい草花になった方がどんなに楽しいか、「あなた」や綾子への恨みに日夜責められ、哀れな女でいるよりも、いっそアネモネの花になってしまいたいと何度も思っていた。けれども「あなた」を失い、花の色も小鳥のさえずりも味気なくなり、「輪廻転生の抒情詩」を読むうちに、その歌に教えられ、「私」は禽獣草木のうちに「あなた」を見つけ、「私」を見つけ、次第に、天地万物をおおらかに愛する心を取戻していった。「あなた」の死を知った時、「私」は、呪いの一念から人を祈り殺した生霊死霊の話を想起したゆえに、「私」はなおさら草花になりたいと思い至った。「私」は、霊の国冥土来世で「あなた」の恋人になるよりも、「あなた」も「私」も紅梅夾竹桃の花になり、花粉を運ぶ胡蝶に結婚させてもらうことを、遥かに美しいと感じた。そうすれば、今こんなふうに、悲しい人間の習わしのように、死人の「あなた」に話しかけることもありますまいと「私」は悟った。

登場人物[編集]

私(竜枝)
霊感があり、子供の頃は神童と言われた。娘になると、その超能力は時々来るだけになる。夢に出てきた「あなた」と、現実に出会い恋仲となり、親の許しのないまま同棲していたが、友人の綾子に「あなた」を奪われ、「あなた」は「私」に黙って綾子と結婚。それ以来「私」は霊能力を失う。
あなた
「私」のかつて恋人。眉の濃い、笑う時に唇の左が少しあがる青年。「私」と出会った時、飛行服のようなものを着て皮手袋をし、オートバイ旅行をしていた。魂が通じ合うほど愛し合っていたが、「あなた」は4年前に綾子と結婚。その後、「あなた」は死亡。「あなた」の死の霊感は「私」に起らなかった。
透視能力のある幼い「私」を自慢にし、「私」を深く愛していた母。「私」を連れ、呼ばれた家で娘の超能力を披露していた。舌癌で死去。しかし現在の「私」は、あんなにまで愛の証を求めていた母を、かえって西洋の香水のように厭わしいと思う。
客人
幼少時の「私」の霊能力に驚いていた客人たち。
友人たち
大人になっても「私」の家のかるた会に集まる古くからの友人たち。もう皆、夫も子もある。
8歳の時に、姉(「私」)の霊視によって命拾いする。海で溺れる幼い弟の像が脳裡に浮んだ「私」は、ちょうど海岸で「私」の友人の女学生や男子高校生一人が操縦するヨットに一緒に乗り込もうとしている弟を海岸で引き止める。その後、そのヨットは夕立に会い転覆し、救助される。
綾子
「私」と「あなた」の友人。「私」から「あなた」を奪った女性。母の葬儀のため一か月ほど帰省している間に、「あなた」の身のまわりの世話をしていた。
母亡き後、「私」と「あなた」の結婚を許す。
小学校の校長
学校に上る前の神童の「私」を見たいと言い、母と「私」は校長宅を訪問。校長が手に持っている本(枕草子)の頁番号や内容を透視する幼い「私」の千里眼に驚嘆する。
雪掻きの男
赤ちゃんをおんぶしている貧しい老けた男。赤ん坊に飲ませる乳が買えず、大雪の日に「あなた」の家の前に現れ、雪掻きの仕事を女中に懇願。その時、男がシェパードに吠えられる像を「私」は予知。「あなた」は「私」の手紙を読み、犬小屋を裏に移動しておく。「私」はまだ行ったことのない「あなた」の部屋の壁の絵も透視していた。

作品評価・解説[編集]

『抒情歌』は川端の主要作品として、神秘的で難解とされ、早くから「死後の生存」といったことを考えていた川端の「死生観の集成」がある作品であると羽鳥徹哉権海珠は考察し[2][3]三島由紀夫も「『抒情歌』は川端康成を論ずる人が再読三読しなければならぬ重要な作品である」としている[11]

『抒情歌』を「清麗たぐひない」作品で、「明治の女のきりりとした着附を思はせるやうな文体」によって描かれた川端の「つつましやかな独白」、切実な「童話」(最も純粋に語られた告白)であると述べる三島由紀夫[5][11]、『抒情歌』の稀な「真昼の幻想」こそが本来、日本の風土に深く根ざし、小泉八雲が「東洋の希臘人」と呼んだ「日本人のよき面」であり、「素朴にして豊かな情緒と包容力を兼ねそなえた真昼の精神」であるとしている[5]。そして、そこでは「理智も霊感も同じ白光のもとに照らし出され、凡ゆる悲劇が破滅と妥協のいづれにも与(くみ)しない超自然な健やかさを具へる」に至り、そこではじめて神秘が、「本然の神秘そのものであることができる」と考察し[5]、以下のように『抒情歌』を評している。

このユウトピア(その言葉)自身が一つの逆説であるかの物語は、抽象と壮大さを遥かに離れて微風のやうな悲しみに包まれ肉体のかげにひつそりと息づいてゐるやうだ。明らさまな心理の詩である前に、思ひふかい身の音楽である。ふと触れたが立てる天界の妙音にも似た気高い響きは、金属的な抽象化された心理の上には生れず、潔らかな身に守られて伝はるのだ。(中略)霊肉一致といふ痛ましい努力で追ひまはされた理想はかうした童話めいた明るさ豊かさの真昼の一刹那に、ふと叶へられてしまふものではなからうか。

三島由紀夫「川端氏の『抒情歌』について」[5]

三枝康高は、『抒情歌』における「神秘的ともいうべき魂の呼応」は、掌の小説『心中』ですでに現われたものの再現であるとし[12]、『浅草紅団』のヒロインも、「死んだ姉の恋人をたずねて歩く不良少女」であった点を指摘して[12]、「川端のこの種の志向は、『抒情歌』の女主人公によっては、“汎神論”という言葉で言い表されている」と解説している[12]。そしてそれを川端に即せば、「おそらくはフロイド心理学の深化であり、きわめて日本的な実存主義である」ともいえると述べ[12]、汎神論的な魂の呼応について論考している。

権海珠は『抒情歌』の進行について、その経糸は「心霊現象を中心」となり、その肉付けとしての緯糸は主に「レイモンド霊界通信、仏教説話、東西古今の神話キリスト教挿話などを中心」にして織り込まれていると説明し[2]、その展開様式は「広くは心霊現象と万物一如が、狭くは愛欲と悟りが限り無い葛藤をする様式」になっていくと解説している[2]。そしてヒロインの「私」は、「霊魂不滅と自他一如と輪廻転生の童話を自由連想と反復という方法」で語り、「非現実の世界の中でなどで何回も重ねて、そういう抒情の歌をほのぼのと謳い上げたのである」[2]と作品要約している。

さらに権海珠は、ヒロイン竜枝は、「仏教の因果応報による輪廻転生ではなく、仏教の以前のインドヴェダ経による倫理的・宗教的色彩が払拭された、あるがままでよい転生」を願っていると説明し[2]、そういった「東方の心」のアニミズムは、西方にもギリシア神話の花物語などの動植物への転生が多くあることと通じ、竜枝は、「一休禅師精霊祭の心や太古の民の汎神論を自分の死生観に受け入れていった」と解説している[2]。そして、東西洋のそういった「草木転生・国土転生・悉皆転生を通ずる万物一如の宇宙論的・汎神論的哲学観」を自分自身の死生観として受け入れた竜枝は、「夢の中の夢のような童話をほのぼのと読み上げ」、その「抒情詩」は、「原始的転生による万物一如の汎神論の死生観を吟じている」と権海珠は述べている[2]

テレビドラマ化[編集]

おもな刊行本[編集]

  • 『抒情歌』(竹村書房、1934年12月25日)
    装幀:木村荘八
    収録作品:抒情歌、浅草の姉妹、水仙、寝顔、ほか5編
  • 文庫版『伊豆の踊子』(新潮文庫、1950年8月20日。改版2003年)
    カバー装幀:宮本順子。付録・解説:竹西寛子「川端康成 人と作品」。三島由紀夫「『伊豆の踊子について』」。年譜。
    収録作品:伊豆の踊子、温泉宿、抒情歌、禽獣
  • 文庫版『抒情歌・禽獣―他五篇』(岩波文庫、1952年6月25日)
    装幀:精興社。付録:川端康成「あとがき」。
    収録作品:抒情歌、二十歳、寝顔、禽獣、田舎芝居、童謡イタリアの歌
  • 文庫版『水晶幻想/禽獣』(講談社文芸文庫、1992年4月3日)
    装幀:菊地信義。付録・解説:高橋英夫
    収録作品:青い海黒い海、春景色、死者の書、水晶幻想、抒情歌、それを見た人達、禽獣、散りぬるを
  • 『文豪怪談傑作選 川端康成 片腕』(ちくま文庫、2006年7月10日)
    カバー装幀:山田英春金井田英津子。付録・解説:東雅夫「心霊と性愛と」 。
    収録作品:片腕、ちよ、処女作の祟り、怪談集1―女、怪談集2―恐しい愛、怪談集3―歴史、心中、龍宮の乙姫、霊柩車、屋上の金魚、顕微鏡怪談、卵、不死、白馬、白い満月、花ある写真、抒情歌、慰霊歌、無言、弓浦市、地獄、故郷、岩に菊、離合、薔薇の幽霊、蚤女、Oasis of Death ロオド・ダンセニイ、古賀春江、時代の祝福

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ この頃、馬込文士村尾崎士郎宇野千代らと交友する。

出典[編集]

  1. ^ a b c 『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 権海珠「川端康成の『抒情歌』の主題と死生観」(筑波大学比較・理論文学会、2002年3月)
  3. ^ a b 羽鳥徹哉「川端康成と心霊学」(国語と国文学 東京大学国語国文学会、1970年5月)
  4. ^ 川端康成「文学的自叙伝」(新潮 1934年5月号に掲載)
  5. ^ a b c d e 三島由紀夫「川端氏の『抒情歌』について」(民生新聞 1946念4月29日号に掲載)
  6. ^ 森本穫「愛の呪縛―『抒情歌』の意味するもの―」(『川端康成研究叢書補巻』 1983年6月)
  7. ^ a b c 「年譜」(文庫版『伊豆の踊子』)(集英社文庫、1977年。改版1993年)
  8. ^ 川嶋至『川端康成の世界』(講談社、1969年)
  9. ^ 今村潤子『川端康成研究』(審美社、1988年)
  10. ^ 「川端康成 初恋の手紙発見」(読売新聞 2014年7月9日号に掲載)
  11. ^ a b 三島由紀夫「解説」(文庫版『伊豆の踊子』)(新潮文庫、1950年8月20日。改版2003年)
  12. ^ a b c d 三枝康高「美はどこに存在するか」(『川端康成』)(有信堂、1961年)

参考文献[編集]

関連項目[編集]