千原兄弟
CHIHARA KYODAI | |
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メンバー |
千原せいじ 千原ジュニア |
結成年 | 1989年 |
事務所 | 吉本興業東京本社 |
活動時期 | 1990年 - |
出身 | NSC大阪校8期 |
出会い | 兄弟 |
旧コンビ名 |
せいじ・こうじ ブラザーズ |
現在の活動状況 | テレビ・ライブなど |
芸種 | コント |
ネタ作成者 | 千原ジュニア |
過去の代表番組 |
すんげー!Best10 やりすぎコージー |
同期 |
FUJIWARA バッファロー吾郎 なだぎ武 白川悟実(テンダラー) 博多華丸・大吉 堀内健・原田泰造(ネプチューン)など |
公式サイト | プロフィール |
受賞歴 | |
1994年 ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞 1994年 上方漫才大賞新人賞 |
千原兄弟(ちはらきょうだい)は、吉本興業に所属する日本のお笑いコンビ。実の兄弟によるコンビで、共に京都府福知山市出身。最近ではお互いピンで活動することが多い。
メンバー
1989年6月コンビ結成。
- 千原 せいじ(ちはら せいじ、本名および旧芸名:千原 靖史(ちはら せいじ)1970年1月25日 - )NSC8期生。ツッコミ担当。既婚。
- 千原 ジュニア(ちはら じゅにあ、本名および旧芸名:千原 浩史(ちはら こうじ)1974年3月30日 - )NSC8期生(卒業はしていない)。ボケ・ネタ作り担当。既婚。
エピソード
- NSCには兄のせいじが先に入学しており、相方を決める時に「明日、弟連れてくるわ」と言い、当時引きこもりであった15歳のジュニアを入学させた。
- まだ無名だった大阪時代、コンビ名を「S.K.B.(せいじ こうじ ブラザーズの略)」として活動していた時期があったと木村明浩(バッファロー吾郎)によって明かされたが、あくまでも案のためこのコンビ名での活動は行っていない。ちなみにバッファロー吾郎がこのコンビ名を聞いた時の感想は「ダサい」の一言だった。
- コンビ名の名付け親は吉本の女性広報社員。お笑い新人コンテストのエントリーシートに記入する際、「千原兄弟でええやん!」と言われたことがきっかけ[1]。
- ネタは基本的にジュニアが1人で書いている。コンビ結成当初はジュニアがネタを書いている場にせいじも同席していたが、ある日夜中にネタを作っている際にせいじが「今日、親友が来てんねん」と席を外し、早朝に顔中キスマークだらけで帰ってきた。それをキッカケにせいじはネタ作りに同席しなくなった[2]。
- ダウンタウンや雨上がり決死隊が上京した後にシュールなコントが受け、ジャリズムと共に心斎橋筋2丁目劇場で頭角を表し、お笑いライブで異例となる大阪城ホール公演を開催し超満員にしたこともある。
- 現在ではルミネtheよしもとに出演の他、「チハラトーク」 というフリートークライブを毎月行っている。なお、『チハラトーク』での出囃子は「はじめTOUR'99 ビィ」に収録されている[ComedianSuicide]という曲を使用している模様。
- ジュニアは若手の映画監督から出演のオファーが多く、俳優としても著名。瀬々敬久、豊田利晃、三池崇史などの監督作品に出演経験がある。デビュー当時は「2丁目劇場の尾崎豊」「ジャックナイフ芸人」などと呼ばれていた。
- せいじは「マンスリーよしもと」芸人ブサイクランキングにおいて毎年上位にランクインする顔面の持ち主だがスタイルやプロポーションは抜群で、デザイナーの知人がモデル用に誂えた洋服のサイズがピッタリだったこともある。
- 「週刊少年ジャンプ」に連載されていた『ろくでなしBLUES』に、兄弟揃って漫画の登場人物として登場したことがある。
- せいじは交友関係が非常に幅広く、芸能人ではない様々な職種の知人がいる。近所のおじさんなどともすぐに打ち解けて飲み仲間になり、ジュニアが街を歩いていると全然知らない中年男性から「せいじは元気か?」「お兄さんにはお世話なってます」と言われて驚いたことがある。また、ジュニアが司会の番組にてSM嬢がゲストの際に現役女王様たちから「お兄さんも緊縛得意なんですよね?」と聞かれ、せいじの友人にはプロの緊縛師がいて一時期教室に通っていた事が判明した。兄弟で新幹線を大阪から乗り、隣同士になったおばちゃんと仲良くなったと思ったら名古屋あたりで大喧嘩し、ジュニアから「普通の人なら1年かかる事を1時間でやっていた」と言われた。せいじのネットワークを総称して「せ」リーグと呼び、それを羨んだジュニアは「J」リーグと称して自身の交友を『チハラトーク』にて明かすが、こちらは芸人仲間が多い。
- ジュニアは15歳という若さでデビューしたため年齢に比べ芸歴が長く、同い年や年上の後輩を多く持つ(例:ナインティナイン、くりぃむしちゅー、陣内智則など)。故に年上の芸人から敬語で話されることもよくあるが、一部の後輩芸人(主に吉本以外)に対しては自身が敬語を使うこともある。
- 2人の母はかつてパーフェクトを達成したこともあるほどボウリングが上手く、地域のボウリング大会の誘いを「自分が参加するとつまらなくなってしまうから」と断ったというエピソードもある。
- ジュニアより4歳下で、やり投の選手だった小学校教員の妹がいる。
- 母方の叔父は大学教授。
- 父親は福知山で旭一級設計を営んでいる。「メガネの三城福知山店」などを設計した。
- ネタは主にコントだが、2006年正月のお笑い番組をはじめ数回漫才を披露したことがある。
- 『ドラえもん』について造詣が深く、雑誌の『ぼく、ドラえもん』で思い入れを語ったり『アメトーーク!』などドラえもんが特集されたテレビ番組に出演している。
- 成人すると、両親から今までにかかった養育費1600万円程を請求された。
- お互いの住所は知らない。
- 後輩のナインティナインやほぼ同期の加藤浩次(極楽とんぼ)とは番組共演がほとんどなかった。せいじは「DOORS 2009春」に出演した他、せいじの家をナインティナインが下宿代わりにしていたと、せいじと同居していた竹若元博(バッファロー吾郎)が述べており[3]、せいじとはある程度の親交があったようだが、ジュニアは「ほとんど喋ったこともない」「岡村なんてテレビでしか見たことがないから、テレビ局の地下駐車場で挨拶されて緊張した」と発言していた。その後2011年、「FNS27時間テレビ」の「笑っていいとも!増刊号生SP」で初めてジュニアと岡村が共演。2人は近くにいたが、大人数ということもあってか直接本番中に会話することはなかった。そして2012年6月23日、「めちゃイケ」にて本格的にナインティナインや加藤と共演することとなった。
- ジュニア曰く「せいじとはずっと一緒に生きてきて合ったことがない」。
- ジュニアとせいじの関係は、ジュニア曰く「京都ではお兄ちゃん、大阪では相方、東京では他人」。
- 戦場カメラマン・渡部陽一は、自身の知名度を上げるきっかけを作ったジュニアにはとても感謝しており、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」では「お友達…。2010年、最も一年間お力を頂いた方です。それは千原兄弟! はい、2人なんです。僕が戦場カメラマンとして、こうしてテレビに出させていただいた一番最初から。千原せいじさん・ジュニアさん、千原兄弟さんです!」と述べ、翌日のテレフォンゲストに千原兄弟を紹介した。ジュニアは電話で「渡部さん。僕は、いいとも!レギュラーやらせていただいてまして、レギュラーの方って、テレフォンショッキング出れないんですよ。その辺のしきたり、ご存じなかったですか? 本来、ちょっと難しいんですけど。そうですね、(レギュラーではない)せいじさんと一緒にじゃあ、っていうことでいいですかね? タモリさん、すいません」と述べた。タモリは「クリスマスにせいじが来るのか」と苦笑した[4]。
- 最近ではお互いピンで活動することが多く、ジュニア曰く「会うのは(チハラトークでの)月1回程度」。
- 2018年9月29日放送の『ENGEIグランドスラムLIVE』にて久々にコントを披露。
受賞歴
- ABCお笑い新人グランプリ 1994年度/第15回 優秀新人賞
- 上方漫才大賞(ラジオ大阪) 1994年度/第29回 新人賞
出演
千原兄弟としての出演番組を記載。個別での出演番組は千原ジュニア、千原せいじを参照。
現在の出演番組
過去の出演番組
- 爆笑BOOING(5週勝ち抜きチャンピオン、関西テレビ)
- 2丁目ワチャチャTV(1993年、テレビ大阪)
- 2丁目ワチャチャTVII(1993年10月 - 1995年9月、テレビ大阪)
- 笑いの剣(1994年、ABCテレビ)
- すんげー!Best10(1995年 - 1997年、ABCテレビ)
- Radio Easy 2丁目GANG(1995年、エフエム大阪)
- UP'S〜Ultra Performer'S radio〜 千原兄弟の!(1995年10月 - 1996年9月、TBSラジオ)
- 男二匹!千原テレビ
- 千千原原(1996年10月 - 1997年3月、テレビ大阪)
- PUSH!(1997年 - 1998年、朝日放送)
- エンタメゆうえんち 東京移住計画(1995年 - 1996年、フジテレビ)
- アメジャリチハラ(1996年 - 1997年、テレビ朝日)
- 光速脳天!ベタキング(1996年 - 1997年、関西テレビ)
- ブレイクもの!(1998年、フジテレビ)※不定期出演
- 爆笑・千原の天然パラダイス(1998年、NHK)※不定期放送
- 夜の××自慢(2000年 - 2001年、TBS)
- 鈴木あみのアイドルダウンロードショー(2000年 - 2001年、BSフジ)
- もっとアイドルダウンロードショー(2001年、BSフジ)
- アイドルアイランド(2001年-2002年、BSフジ)
- ヨシモト∞(ヨシモトファンダンゴTV)※不定期
- 愛のお言葉バラエティー 千のバイブル(2001年4月2日 - 9月24日,テレビ愛知)※レギュラー
- BSマンガ夜話 (NHK) ※不定期ゲスト
- 踊る!さんま御殿!!(2001年 - 、日本テレビ)※不定期ゲスト
- ダウンタウンDX(読売テレビ)※不定期ゲスト
- おかしや?さんま!(2003年4月2日 - 2003年9月24日、TBS)
- 千原兄弟の夜明け(2008年11月15日・2009年3月14日、テレビ東京)
- やりにげコージー(テレビ東京)
- やりすぎコージー(テレビ東京)
- 世界の村で発見!こんなところに日本人(2013年4月 - 2019年3月、朝日放送)
CM
- シゲキックス(UHA味覚糖、1994年)
- 「卒業旅行」キャンペーン(日本旅行、1994年)
- ユニクロ(1995年)
- 「豚焼うどん」(エースコック、1995年)
- トヨタ・ラッシュ(2008年)
- ウィルコム(2011年)
書籍
- 千原史(角川書店)
- ブラッドブラザー(豊田利晃著 リトルモア)
- 岸和田少年愚連隊血煙り純情篇 撮影日記(愛育社)
- チハラトーク(双葉社)
ビデオ・DVD
- 千原・ジャリのバカビデオ(1997年3月21日、ポニーキャニオン、全2巻)
- 渋谷系HYPER WA CHA CHA LIVE Vol. 1』(1997年5月21日、ビクター)
- 千原兄弟はじめTOUR '97〜右から2番目の星に住む迷子達の声〜(1997年9月22日、ビクター)
- 千原兄弟はじめTOUR金龍飛戦1998 VERSION(1998年1月21日、ビクター)
- FINAL! 渋谷系HYPER WA CHA CHA LIVE PART.1(1998年1月21日、ビクター)
- PINK(1998年11月21日、ビクター)
- 踊る!ほっとけさん その弐(2000年12月20日、ソニー・ミュージックエンタテインメント)
- 深く潜れ〜八犬伝2001〜(2001年、徳間ジャパンコミュニケーションズ、全5巻)
- プロペラを止めた、僕の声を聞くために。(2004年2月25日、R and C)
- やりすぎコージーDVD Vol.1 - 20(2006年 - 2010年、R and C)
- 15弱(2007年1月17日、R and C)
- ラブ♡(2009年8月19日、R and C)
- チハラトーク#1(2008年1月16日、R and C)
- チハラトーク#2(2008年7月30日、R and C)
- チハラトーク#3(2009年1月21日、R and C)
- チハラトーク#4(2009年7月26日、R and C)
- チハラトーク#5(2010年1月20日、R and C)
- チハラトーク#-1(2008年3月13日、R and C)
- チハラトーク#-2(2008年3月13日、R and C)
- チハラトーク#-3(2008年3月13日、R and C)
- チハラトーク#-4(2009年7月26日、R and C)
- チハラトーク#-5(2010年1月20日、R and C)
- チハラトーク100回突破記念sp(2010年7月21日、R and C)
映画
- 岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇(監督:三池崇史 1997年)
- MOON CHILD(原作:GACKT 2003年)マフィア役
- ストリートファイター ザ・レジェンド・オブ・チュンリー(2009年)※吹き替え
脚注
- ^ “中川家、元々のコンビ名は違っていた?剛が明かす秘話「ジュニアさんに『被ってるやんけ!』と言われた」(スポニチアネックス)”. Yahoo!ニュース. 2020年10月16日閲覧。
- ^ 2011年4月4日 『ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!』
- ^ 『ダウンタウンDX』にて竹若語る
- ^ 『笑っていいとも!』2010年12月23日放送より