中田亮二
中日ドラゴンズ #50 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府八尾市 |
生年月日 | 1987年11月3日(36歳) |
身長 体重 |
171 cm 107 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト3位 |
年俸 | 1,100万円 (2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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中田 亮二(なかた りょうじ、1987年11月3日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。
ニックネームは「ブーちゃん[1][2]」。体重115kg(2010年シーズン公称値)は日本人選手で1番体重のある選手とされた[3]。2011年シーズンの公称体重は104kg。
経歴
プロ入り前
幼少時に3学年上の兄の影響で野球に憧れるが、小学校の野球クラブが4年生以上でないと入部できない規定だったため、小学3年生でも入部できたソフトボールクラブに入る。4年生になると野球クラブにも入部しソフトボールと掛け持ちしていた[4]。中学校は、大阪・八尾市立龍華中学校に通い野球部に所属。この時は準硬式野球で、ポジションもキャッチャーだった。
明徳義塾高等学校2年夏の第86回全国高等学校野球選手権大会で横浜高校の涌井秀章から本塁打を含む3安打を放ち注目を浴びる[5]。3年時の夏は松下建太らと共に県大会を突破したものの、他部員の不祥事が発覚したために大会直前にチームは出場を辞退した[6]。高校通算44本塁打。「ブーちゃん」というニックネームは同校野球部監督の馬淵史郎によって1年時に命名され、以降この名が定着することとなる。1学年下には横井雄太がいた。
亜細亜大学入学後はやわらかい打撃を武器に1年春からレギュラーを獲得。コンスタントに打ち続け、10月13日の東洋大学との1回戦で史上14人目のリーグ戦通算100安打を達成した。通算97試合出場、370打数103安打、打率.278、9本塁打、42打点。4年春までにベストナインに4度選ばれ、大学日本代表でも活躍した。明るい性格でチームを盛り上げ、最終学年の年は主将を務めている。打撃のテーマは『軸回転』で、ホームランよりもヒットを打ち、ベースにスライディングして得点する方がカッコいいと語っている[7]。
2009年のドラフト会議で中日ドラゴンズから3位として指名を受ける。
プロ入り後
2010年7月に一軍初出場と初安打を記録したが、同年はそのヒット1本に終わった。なおクライマックスシリーズ・ファイナルステージでは第3戦から登録され、第4戦では9回に代打で登場して四球を選び、和田一浩のサヨナラタイムリーで日本シリーズ出場を決める決勝ホームを踏んだ。これは中田のプロ入り初得点(ポストシーズンの為、参考記録扱い)でもあった。また、ロッテとの日本シリーズでは、第3戦(千葉マリンスタジアム)に6番指名打者で先発出場。このときはノーヒットだったものの、ナゴヤドームに戻った第6戦に代打で出場し、日本シリーズ初ヒットとなる二塁打を打った。クライマックスシリーズ終了後、中田はチームメイトとともにライトスタンドのファンに挨拶に向かうが、その途中「中田がジャンプをするとその衝撃でチームメイトが全員コケる」というパフォーマンスを行なった。発案したのはサヨナラ打の和田で、彼によれば「プリンス・フィルダーがサヨナラホームランを打った時にやったパフォーマンスを参考にしたもので、本当は中田がサヨナラホームランを打った時にやる予定だった」という[8]。
2011年は7月29日のマツダスタジアムの広島戦でプロ初スタメン出場。その試合でプロ初打点となるフェンス直撃のタイムリー二塁打を広島のブライアン・バリントンから放った。二軍では同僚の柳田殖生との最終戦までもつれた競争の末、リーグ首位打者は逃した。
2012年から本職の一塁以外に、三塁の守備練習も行っている。
選手としての特徴
体重が110kgを超える巨漢ながら、広角に打ち分ける打撃センスを持ち、50メートルを6.4秒、一塁到達4.14秒で走るスピード[9]も持ち合わせている。また高校時代に一週間でバック転をマスターするなど器用・身軽な一面もある(ただしプロ入り後は「ケガしちゃいけないので試してません」とのことで、現在も出来るかどうかは不明)[4]。
本人曰く「自分の利き手がわからない」という。野球の時は右投げだが「ドッジボールのような大きな球は左のほうが投げやすい」ほか、「鉛筆は右だが包丁やはさみは左」とのこと[4]。
同じ巨漢で大の中日ファンであるザ・ドリフターズの高木ブーからも非常に気に入られており、毎年北谷のキャンプに訪れている高木から絡まれている。その写真と記事が大手スポーツ紙に毎年掲載されている。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2010 | 中日 | 9 | 9 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .111 | .111 | .111 | .222 |
2011 | 26 | 50 | 46 | 1 | 11 | 1 | 0 | 0 | 12 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 12 | 3 | .239 | .286 | .261 | .547 | |
通算:2年 | 35 | 59 | 55 | 1 | 12 | 1 | 0 | 0 | 13 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 13 | 3 | .218 | .259 | .236 | .495 |
- 2011年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2010年7月20日、対横浜ベイスターズ13回戦(ナゴヤドーム)、10回裏に岩瀬仁紀の代打として出場
- 初打席:同上、10回裏に真田裕貴の前に二塁ゴロ
- 初安打:2010年7月21日、対横浜ベイスターズ14回戦(ナゴヤドーム)、6回裏に吉見一起の代打として出場、弥太郎から中前安打
- 初先発出場:2011年7月29日、対広島東洋カープ10回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、6番・一塁手として先発出場
- 初打点:同上、6回表にブライアン・バリントンから左越適時二塁打
- 初盗塁:2011年8月27日、対横浜ベイスターズ18回戦(横浜スタジアム)、4回表に二盗(投手:国吉佑樹、捕手:細山田武史)
背番号
- 50 (2010年 - )
脚注
- ^ 2009年10月30日付中日スポーツ記事、同日閲覧
- ^ 本人も非常に気に入っており、入団会見の際に「ブーちゃんと呼んで下さい」と発言している。応援のコールでも「かっ飛ばせー、ブーちゃん!」となっている。
- ^ 2011年2月16日付日刊スポーツ「2011年プロ野球選手名鑑セ・リーグ編」の中田の項
- ^ a b c 東京中日スポーツ・2011年8月30日付 3面
- ^ SPORTS COMMUNICATIONS コラム 2009年7月13日 「中田亮二 第2回〜最初で最後のホームラン」
- ^ SPORTS COMMUNICATIONS コラム 2009年7月20日 「中田亮二 第3回〜信じられない幕切れ」
- ^ 『アマチュア野球』第25号、日刊スポーツ出版社、2009年、雑誌66835-63、96-97項。
- ^ 落合竜シリーズ進出 和田MVP打/CS - Number web
- ^ 2009年のドラフト候補たち 『アマチュア野球』第20号、日刊スポーツ出版社、2008年、雑誌66835-16、103項。