ファビオ・フォニーニ

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ファビオ・フォニーニ
Fabio Fognini
ファビオ・フォニーニ
基本情報
愛称 Absolutely Fabio-lous
Fogna
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・サンレーモ
居住地 同・タッジャ
生年月日 (1987-05-24) 1987年5月24日(36歳)
身長 178cm
体重 74kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2004年
ツアー通算 6勝
シングルス 3勝
ダブルス 3勝
生涯獲得賞金 18,207,467 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(2014)
全仏 ベスト8(2011)
全英 3回戦(2010)
全米 4回戦(2015)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(2015)
全仏 ベスト4(2015)
全英 1回戦(2009-13)
全米 ベスト4(2011)
優勝回数 1(豪1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 2回戦(2013)
全英 2回戦(2012・13)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 13位(2014年3月31日)
ダブルス 7位(2015年7月20日)
2016年2月22日現在

ファビオ・フォニーニFabio Fognini, 1987年5月24日 - )は、イタリアサンレーモ出身の男子プロテニス選手。ATPランキング自己最高位はシングルス13位、ダブルス7位。これまでにATPツアーでシングルス3勝、ダブルス3勝を挙げている。身長178cm、体重74kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

2015年全豪オープン男子ダブルス優勝者で、グランドスラム男子オープン化以降初となるイタリア人ペアでの優勝者。また、2011年全仏オープン男子シングルス部門で、イタリア人男子として13年振りのグランドスラムシングルスベスト8進出を果たした選手である。

来歴~ジュニア時代

会社経営者の父フルヴィオと主婦の母シルヴァナの間に2人兄妹の長男として生まれ、4歳からテニスを始めた[1]。当初は他のスポーツとしてサッカーもプレーしていたが14歳になるとテニス一本に絞り込み、以降本格的にテニスに取り組むようになる[2]。ジュニア時代には2004年全豪オープン2004年全仏オープンのジュニアシングルス部門で2度ベスト8に進出しており[3][4]、ITFジュニア世界ランキングでも最高8位を記録する等、早くから国際的に名の知られたトップジュニアの一人となっていた[5]

プロ転向後

2005年~2007年

転向後暫くは下部大会での下積みが続いたフォニーニであったが、2007年から本格的にツアーレベルの大会に挑戦するようになり、5月の全仏オープンシングルスで予選を勝ち上がりグランドスラム大会初出場を果たす。1回戦では当時シングルス世界ランク35位のフアン・モナコと対戦、当時世界ランク191位のフォニーニは最初の2セットを奪う活躍を見せるも3セット目以降はモナコに逆転され、結局 6-3, 6-2, 1-6, 2-6, 4-6 のフルセットで惜敗した[6]。予選を勝ち上がり出場した7月のオーストリア・オープンシングルスでは1回戦でフアン・パブロ・ブルゼジッキ英語版を 6-4, 6-3 のストレートで破りツアーシングルス初勝利を挙げ勢いに乗ると、2回戦では大会第16シードのヴェルナー・エシュアー英語版を4-6, 6-4, 7-5のフルセットで下し、アンドレアス・セッピとの3回戦まで進出[7]。続いて予選を勝ち上がり出場したロジャーズ・カップでも2回戦で大会13シード、当時シングルス世界ランク14位のアンディ・マレーを 6-2, 6-2 のストレートで下す番狂わせを演じ[8]当時世界ランク1位の大会第1シードロジャー・フェデラーとの3回戦まで進出した[9]。この年は他にも9月のキングフィッシャー航空オープン英語版シングルスでも2回戦に進出した他[10]、下部ツアーのチャレンジャーシリーズでもシングルスで3度の準優勝、ダブルスで1度の準優勝を挙げる活躍で、シングルス年度末ランクも前シーズン終了時の247位[11]から94位まで急上昇させ[12]、以降ツアーレベルに定着するようになる。またシーズン後半にはスペインの元プロテニス選手オスカー・セラーノ英語版と新たにフルタイムコーチ契約を結び、以降セラーノの指導を受けるようになる[13]

2008年

シングルスではノーシードで出場した1月のモビスター・オープン1回戦で、大会第2シードのフアン・イグナシオ・チェラを 7-6(0), 6-2 のストレートで破る活躍でサンティアゴ・ベントゥーラ英語版との準々決勝まで進出すると[14]、続いてノーシードで出場したブラジル・オープンでは2回戦で大会第8シードのアルベルト・モンタニェスを 7-5, 6-3 のストレートで、準々決勝ではノーシードのイボ・ミナールをそれぞれ破り、初のツアーシングルス準決勝に進出。準決勝では大会第2シードのニコラス・アルマグロと対戦したが 1-6, 1-6 のストレートで完敗[15]。6月のオレンジ・ワルシャワ・オープン英語版でも準々決勝で大会第5シードのギリェルモ・カナスを 7-5, 7-5 のストレートで破り準決勝に進出。準決勝では当時世界ランク4位の大会第1シードニコライ・ダビデンコに挑戦したが、2-6, 3-6 のストレートで敗退[16]。第7シードで出場した7月のクロアチア・オープンでは、3回戦で前年度優勝者の大会第3シードカルロス・モヤを 6-4, 6-3 のストレートで破る活躍で2ヶ月連続のツアーベスト4に進出[17]。準決勝では当時世界ランク15位の大会第1シードフェルナンド・ベルダスコと対戦したが、1-6, 3-6 のストレートで破れている[18]。この年は他にもノーシードで出場した8月のパイロット・ペン・テニス2回戦で、大会第10シードのシモーネ・ボレリを6-2, 5-7, 6-4のフルセットで破り、大会第7シードのアンドレアス・セッピとの3回戦まで進出した他、ツアー下部のチャレンジャーシリーズでも2優勝を記録、ダブルスでもカルロス・ベルロクと組みノーシードで出場したクロアチア・オープンで準優勝した他[19][20]フィリッポ・ボランドリ英語版と組み出場したブラジル・オープン、フアン・マルティン・デル・ポトロと組み出場した8月のカントリーワイド・クラシックでもそれぞれベスト4に進出する好成績を収めたが[21][22]シーズン終盤に左膝を負傷したことにより失速、10月のオープン・シュ・ド・フランスダブルス1回戦で敗退したのを最後に前シーズンよりも早くツアーを切り上げ、同月30日に左膝の手術に踏み切った[1][23]。これにより前シーズン後半の獲得ポイントを防衛できなかった為シングルス年度末ランクは92位とわずかの上昇に留まったが[24]、ダブルスでは前年末の490位[25]から133位まで大幅に上昇した[26]。これらの活躍により同年9月のデビスカップヨーロッパ/アフリカゾーン グループ Iプレーオフ、対ラトビア戦でイタリア代表に初選出。、シングルスナンバー2選手として初日のシングルスで起用されたが、ラトビアのシングルスナンバー1選手エルネスツ・ガルビスに 6-7(2), 1-6, 1-6 のストレートで敗れた[27]

2009年

シーズン序盤は前年末の左膝手術の影響もあり、シングルスでは1~2回戦負けの続く低調な滑り出しで2月から4月にかけて一時シングルストップ100から陥落する等一時スランプに陥ったが、3月末に主催者推薦で出場したチャレンジャー大会のテニス・ナポリ・カップ英語版でベスト4に進出し復調のきっかけを掴むと[28]、予選を勝ち上がり出場した4月のモンテカルロ・マスターズ1回戦で当時世界ランク25位のトマーシュ・ベルディハを 1-6, 6-3, 6-3 の逆転で破り、2回戦では当時世界ランク18位の大会第14シードマリン・チリッチを 6-2, 6-0 と圧倒して3回戦に進出[29]。3回戦では当時世界ランク4位の大会第4シードアンディ・マレーと対戦し 6-7(11), 4-6 のスコアで惜敗したが[30]、この活躍により翌週付けのシングルスランキングでトップ100に復帰。ノーシードで出場した7月のメルセデス・カップでは、1回戦で大会第7シードのファブリス・サントロを 5-7, 7-6(3), 6-1 のフルセットで破ると、2回戦ではポール=アンリ・マチューを 6-4, 4-1 のスコアとしたところでマチューの途中棄権で勝利。3回戦では当時世界ランク11位の大会第2シードニコライ・ダビデンコを 6-1, 3-6, 7-5 のフルセットで下し今シーズン初のツアーベスト4に進出[31]。準決勝では大会第4シードのビクトル・ハネスクと対戦したが、3-6, 7-6(4), 2-6 のフルセットで惜敗した[32]。この年はノーシードで出場した9月のBCRルーマニア・オープンでも、2回戦で大会第2シードのニコラス・アルマグロを 6-4, 7-6(3) のストレートで破り、大会第5シードのアルベルト・モンタニェスとの準々決勝まで進出した他[33]マドリード・マスターズ上海マスターズでも予選を勝ち上がり2回戦まで進出する等高グレード大会でも実績を残し、年度末ランキングも自身最高となる54位で終了した[34]。一方、今シーズンはシングルスに注力した為ダブルスにはグランドスラム大会を中心に計7大会しか出場せず、それらの出場大会も全て1~2回戦負けに終わった事により年度末ランキングは211位まで下降した[35]

2010年

シングルスではノーシードで出場した2月のブラジル・オープンでルカシュ・クボットとの準々決勝まで進出すると[36]、5月の全仏オープン2回戦では前年ベスト4の大会13シードガエル・モンフィス相手に 2-6, 4-6, 7-5, 6-4, 9-7 のフルセット、雨天中断による日没順延の為2日間に渡った計4時間16分の大熱戦を制し[37][38]、自身初のグランドスラムシングルス3回戦に進出[39][40]。3回戦では大会第20シードのスタニスラス・ワウリンカに挑戦したが、3-6, 4-6, 1-6のストレートで敗れた[41]。6月のウィンブルドン選手権1回戦では、当時世界ランク9位の大会第9シードフェルナンド・ベルダスコを7-6(9), 6-2, 6-7(6), 6-4 のスコアで破る活躍でジュリアン・ベネトーとの3回戦まで進出[42]。この年はノーシードで出場した7月のドイツ国際オープンアンドレアス・セッピとの3回戦まで進出した他[43]、予選から出場した8月のロジャース・カップ、10月のBNPパリバ・マスターズでも本戦2回戦に進出[44][45]。チャレンジャーツアーでも3大会で優勝し、ダブルスでもポティート・スタラーチェと組みノーシードで出場した2月のアビエルト・メキシコ・テルセルで準優勝する好成績を収めたが[46]、その反面ツアーシングルス1回戦負けが前シーズンの10回から16回に増加するなど好不調の波も激しく、シングルス年度末ランキングも55位と前年とほぼ変わらずの順位で終えるに留まった[47]。またシーズン終盤には従来のセラーノとのコーチング契約を終了し[48]、かつてカリム・アラミのコーチを務めた[49]スペイン人のパブロ・マルティンと新たにフルタイムコーチ契約を結んでいる[50]

2011年

シングルスでは大会第7シードで出場した2月のモビスター・オープンで順当に準々決勝まで進出すると、準々決勝では前年度優勝者の大会第3シードトマス・ベルッチを 1-6, 6-2, 7-6(0) のフルセットで破る活躍でトミー・ロブレドとの準決勝まで進出[51][52]。ノーシードで出場した5月の全仏オープンでは、1回戦でデニス・イストミンを 6-4, 6-2, 6-2 のストレートで、2回戦でステファン・ロベールを 6-2, 6-1, 6-0 のストレートでそれぞれ下し、2年連続の3回戦に進出。3回戦では大会第30シードのギリェルモ・ガルシア=ロペスを 4-6, 6-3, 6-3, 6-1 のスコアで破ると[53]、4回戦ではノーシードのアルベルト・モンタニェスと対戦。互いに初のグランドスラムシングルスベスト8進出を賭けたこの一戦は両者共一歩も引かない大熱戦となり、セットカウント2-2のファイナルセットまで縺れ込んだ。このファイナルセットではモンタニェスに先にブレークされ追いかける展開となり、5-3モンタニェスのサービスゲームで2本のマッチポイントを握られる所まで追い詰められた。しかしここからフォニーニが追い上げを見せ、途中自身のサービスゲームで左足を負傷した為まともに足が動かなくなりながらも最後は粘るモンタニェスを振りきり、結果 4-6, 6-4, 3-6, 6-3, 11-9 のフルセット、計4時間22分のロングマッチに勝利[54]。イタリア人男子の全仏オープンシングルスベスト8進出は、1995年全仏オープンでシングルスベスト8に進出したレンツォ・フルラン英語版以来16年振りの事であり[55]、グランドスラム全体でも1998年ウィンブルドン選手権でベスト8に進出したダビデ・サンギネッティ英語版以来13年振りとなる快挙であった[56][57]。しかしモンタニェスス戦終盤で痛めた左足付け根の状態では次戦を戦うことは叶わず、結局準々決勝の対ノバク・ジョコビッチ戦を棄権[58]。イタリア人男子として1978年全仏オープンコラド・バラズッティ英語版以来、33年振りとなるグランドスラムシングルスベスト4進出の偉業達成はならなかった[59]

2012年-2014年

2013年7月メルセデス・カップでATPシングルス初優勝。ドイツ国際オープンにて500シリーズ初優勝。2014年2月チリ・オープン優勝。

2015年 全豪ダブルス優勝、ナダルに3度の勝利

2015年全豪オープン男子ダブルスにてシモーネ・ボレリとペアを組みノーシードで出場。決勝で ピエール=ユーグ・エルベールニコラ・マユを破り優勝。

リオ・オープン準決勝で世界ランク3位のラファエル・ナダルに1–6, 6–2, 7–5で勝利し決勝に進出するもダビド・フェレールに敗れ準優勝。バルセロナ・オープン3回戦にて再びラファエル・ナダルに6–4, 7–6(8–6)で同シーズン2度目の勝利。1シーズンで2度クレーコートでナダルに勝利したのは2011年のノバク・ジョコビッチ以来2人目。同年のドイツ国際オープンでは2度目の決勝で三度ラファエル・ナダルと対戦するも5-7, 5-7で敗れた。

全米オープンでは今季4度目のラファエル・ナダルとの対戦で3-6, 4-6, 6-4, 6-3, 6-4で勝利。ナダルには今季3度目、ハードでは初めて勝利した。全米では初めて4回戦進出。4回戦ではフェリシアーノ・ロペスに敗れる。

プレースタイル

特にクレーコートサーフェスを得意としており、コートに突き刺さるようなクリーンなグラウンドストロークを武器にするカウンターパンチャータイプの選手である。またラケットタッチの巧みさにも定評があり、これを生かしたボレーやドロップショットのレベルも非常に高い[60]。その一方、2008年1月の時点で当時のコーチオスカー・セラーノは、試合中に突然集中力が途切れる事が頻繁にありそれによりサービスショットの精度が安定しなくなるという欠点を持つ他、試合中に自制心を失い自己中心的なプレーに走った事による自滅も多いとフォニーニを分析しており、これらの欠点を克服することが更なるレベル向上の鍵となっている[23]

ATPツアー決勝進出結果

シングルス: 10回 (3勝7敗)

大会グレード
グランドスラム (0-0)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-0)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-0)
ATPワールドツアー・500シリーズ (1-2)
ATPワールドツアー・250シリーズ (2–5)
サーフェス別タイトル
ハード (0–1)
クレー (3-6)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2012年4月29日 ルーマニアの旗 ブカレスト クレー フランスの旗 ジル・シモン 4–6, 3–6
準優勝 2. 2012年9月23日 ロシアの旗 サンクトペテルブルク ハード (室内) スロバキアの旗 マルティン・クリザン 2–6, 3–6
優勝 1. 2013年7月14日 ドイツの旗 シュトゥットガルト クレー ドイツの旗 フィリップ・コールシュライバー 5–7, 6–4, 6–4
優勝 2. 2013年7月21日 ドイツの旗 ハンブルク クレー アルゼンチンの旗 フェデリコ・デルボニス 4–6, 7–6(8), 6–2
準優勝 3. 2013年7月28日 クロアチアの旗 ウマグ クレー スペインの旗 トミー・ロブレド 0–6, 3–6
優勝 3. 2014年2月9日 チリの旗 ビニャ・デル・マール クレー アルゼンチンの旗 レオナルド・メイヤー 6–4, 6–2
準優勝 4. 2014年2月23日 アルゼンチンの旗 ブエノスアイレス クレー スペインの旗 ダビド・フェレール 4–6, 3–6
準優勝 5. 2014年5月4日 ドイツの旗 ミュンヘン クレー スロバキアの旗 マルティン・クリザン 6–2, 1–6, 2–6
準優勝 6. 2015年2月16日 ブラジルの旗 リオデジャネイロ クレー スペインの旗 ダビド・フェレール 2–6, 3–6
準優勝 7. 2015年8月2日 ドイツの旗 ハンブルク クレー スペインの旗 ラファエル・ナダル 5–7, 5–7

ダブルス:11回 (3勝8敗)

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2008年7月14日 クロアチアの旗 ウマグ クレー アルゼンチンの旗 カルロス・ベルロク スロバキアの旗 ミハル・メルティナク
チェコの旗 ペトル・パラ
6–2, 3–6, [5–10]
準優勝 2. 2010年2月27日 メキシコの旗 アカプルコ クレー イタリアの旗 ポティート・スタラーチェ ポーランドの旗 ルカシュ・クボット
オーストリアの旗 オリバー・マラチ
0–6, 0–6
優勝 1. 2011年7月30日 クロアチアの旗 ウマグ クレー イタリアの旗 シモーネ・ボレッリ クロアチアの旗 マリン・チリッチ
クロアチアの旗 ロブロ・ゾブコ
6–3, 5–7, [10–7]
準優勝 3. 2012年4月14日 モロッコの旗 カサブランカ クレー イタリアの旗 ダニエレ・ブラッチアリ ドイツの旗 ダスティン・ブラウン
オーストラリアの旗 ポール・ハンリー
5–7, 3–6
優勝 2. 2013年2月24日 アルゼンチンの旗 ブエノスアイレス クレー イタリアの旗 シモーネ・ボレッリ アメリカ合衆国の旗 ニコラス・モンロー
ドイツの旗 シモン・スタドラー
6–3, 6–2
準優勝 4. 2013年3月2日 メキシコの旗 アカプルコ クレー イタリアの旗 シモーネ・ボレッリ ポーランドの旗 ルカシュ・クボット
スペインの旗 ダビド・マレーロ
5–7, 2–6
準優勝 5. 2013年10月6日 中華人民共和国の旗 北京 ハード イタリアの旗 アンドレアス・セッピ ベラルーシの旗 マックス・ミルヌイ
ルーマニアの旗 ホリア・テカウ
4-6, 2-6
優勝 3. 2015年1月31日 オーストラリアの旗 全豪オープン ハード イタリアの旗 シモーネ・ボレッリ フランスの旗 ピエール=ユーグ・エルベール
フランスの旗 ニコラ・マユ
6–4, 6–4
準優勝 6. 2015年3月22日 アメリカ合衆国の旗 インディアンウェルズ ハード イタリアの旗 シモーネ・ボレッリ アメリカ合衆国の旗 ジャック・ソック
カナダの旗 バセク・ポシュピシル
4–6, 7–6(7-3), [7-10]
準優勝 7. 2015年4月19日 モナコの旗 モンテカルロ クレー イタリアの旗 シモーネ・ボレッリ アメリカ合衆国の旗 ボブ・ブライアン
アメリカ合衆国の旗 マイク・ブライアン
6–7(3-7), 1-6
準優勝 8. 2015年10月18日 中華人民共和国の旗 上海 ハード イタリアの旗 シモーネ・ボレッリ ブラジルの旗 マルセロ・メロ
南アフリカ共和国の旗 レイベン・クラッセン
3-6, 3-6

ATPツアーシングルス主要大会全結果

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 通算成績 勝率
グランドスラム・トーナメント
全豪オープン A A Q1 1R 2R 1R 1R 1R 1R 4R 1R 1R 4–9 30.77
全仏オープン A A 1R A 1R 3R QF 3R 3R 3R 2R 13–7 65
ウィンブルドン A A A 1R 2R 3R A 2R 1R 3R 2R 7–7 50
全米オープン A A Q3 1R 1R 1R 2R 3R 1R 2R 4R 7–8 46.67
通算成績 0–0 0–0 0–1 0–3 2–4 4–4 5–2 5–4 2–4 8–4 5–4 0-1 31–31 50.00
デビスカップ
デビスカップシングルス A A A Z1 PO 1R PO PO QF SF 1R 9–3 75.00
ATPワールドツアー・マスターズ1000
インディアンウェルズ・マスターズ A A Q2 2R 1R 2R 1R A 2R 4R 2R 5–7 41.67
マイアミ・マスターズ A A A A Q1 1R 1R A 3R 4R 2R 3–5 37.50
モンテカルロ・マスターズ A A Q1 A 3R 1R 2R 2R SF 3R 2R 11–7 61.11
ローマ・マスターズ A 1R Q2 A 2R 1R 1R 2R 2R 1R 2R 5–8 38.46
マドリード・マスターズ A A A 1R 2R 1R Q1 1R 1R 1R 2R 2–7 22.22
カナダ・マスターズ A A 3R A A 2R 1R 2R 2R 2R 1R 6–7 46.15
シンシナティ・マスターズ A A A A A Q2 2R 1R 1R QF 1R 4–5 44.44
上海マスターズ NM1000 2R A 1R 1R 3R 1R 2R 4–6 40.00
パリ・マスターズ A A A A A 2R 1R Q1 2R 2R 1R 1–5 16.67
通算成績 0–0 0–1 2–1 1–2 5–5 3–7 2–8 3–6 10–9 10–9 5–9 41–57 41.84
キャリア通算成績
決勝進出結果 0–0 0–0 0–0 0–0 0–0 0–0 0–0 0–2 2–1 1-2 0-2 3–7 30%
年度末ランキング 305 257 95 88 54 55 48 45 16 20 21 $6,027,801

*NM1000 = マスターズ1000以外の格で開催 : 2011年全仏準々決勝の不戦敗は通算成績に含まない

ATPツアー獲得賞金

グランドスラム
シングルスタイトル
ATP
シングルスタイトル
合計 獲得賞金 (US$) 賞金ランキング
2004 0 0 0 3,773[61] 833[61]
2005 0 0 0 17,668[62] 417[62]
2006 0 0 0 52,110[63] 264[63]
2007 0 0 0 126,405[64] 169[64]
2008 0 0 0 284,518[65] 104[65]
2009 0 0 0 395,679[66] 76[66]
2010 0 0 0 424,469[67] 67[67]
2011 0 0 0 738,884[68] 41[68]
2012 0 0 0 533,149[69] 53[69]
2013 0 2 2 1,480,993[70] 18[70]
通算 0 2 2 *4,058,171[71] *139[71]
* 2013年シーズン終了現在

脚注

  1. ^ a b Tennis - ATP World Tour - Tennis Players – Fabio Fognini”. ATP. 2011年6月6日閲覧。
  2. ^ Scoop Malinowski (2011年5月27日). “Biofile with Fabio Fognini”. Tennis-Prose.com. 2011年6月6日閲覧。
  3. ^ Australian Open Junior Championships 2004”. ITF. 2011年6月6日閲覧。
  4. ^ Roland Garros 2004 2004”. ITF. 2011年6月6日閲覧。
  5. ^ ITF Tennis - Juniors - Player Biography”. ITF. 2011年6月6日閲覧。
  6. ^ French Open 2007”. ITF. 2011年6月6日閲覧。
  7. ^ Austrian Open”. ATP. 2011年6月6日閲覧。
  8. ^ Recovering Murray may rest wrist until U.S. Open”. ロイター (2007年8月8日). 2011年6月6日閲覧。
  9. ^ Coupe Rogers présentée par Banque Nationale”. ATP. 2011年6月6日閲覧。
  10. ^ Kingfisher Airlines Open - Mumbai”. ATP. 2011年6月6日閲覧。
  11. ^ Tennis - ATP World Tour - Tennis Rankings and Statistics”. ATP. 2011年6月6日閲覧。
  12. ^ Tennis - ATP World Tour - Tennis Rankings and Statistics”. ATP. 2011年6月6日閲覧。
  13. ^ Lavoro e disciplina: la filosofia di Oscar Serrano.”. ファビオ・フォニーニ公式サイト (2008年1月9日). 2011年6月6日閲覧。
  14. ^ Movistar Open”. ATP. 2011年6月6日閲覧。
  15. ^ Brasil Open 2008”. ATP. 2011年6月6日閲覧。
  16. ^ Orange Warsaw Open”. ATP. 2011年6月6日閲覧。
  17. ^ ATP Staff (2008年7月18日). “VERDASCO, ANDREEV REACH SEMIFINALS; FOGNINI UPSETS MOYA”. ATP. 2011年6月6日閲覧。
  18. ^ ATP Studena Croatia Open”. ATP. 2011年6月6日閲覧。
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外部リンク