テレビ受像機
テレビ受像機(テレビじゅぞうき)とは、テレビジョン放送の電波を受信し、映像と音声を表示(視聴)するための受信機である。通称テレビまたはTV。
放送に合わせてモノクロ、カラー、ハイビジョンなどの種別がある。なお、日本では「テレビジョン受信機」として家庭用品品質表示法の適用対象となっており電気機械器具品質表示規程に定めがある[1]。
歴史
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日本
1926年(昭和元年)12月、高柳健次郎がブラウン管を応用した世界初の電子式テレビ受像器を開発、片仮名の「イ」の文字を表示させることに成功した。そのブラウン管の走査線数は40本だった。この時のカメラは機械式のニポー円盤。
その後、1940年(昭和15年)に開催が予定されていた東京オリンピックのテレビ中継のために研究・実験が進められていたが、日中戦争によりオリンピック開催が返上され、その後も太平洋戦争が激化することに伴い、研究が一旦中断される。
終戦後、GHQにより、テレビ研究の禁止令が出されていたが、1946年(昭和21年)から再開され、1953年(昭和28年)1月にシャープから国産第1号の白黒テレビが発売される(サイズは14インチ、価格は175,000円)。 同年2月に日本放送協会(NHK)がテレビ本放送を開始。その当時は高価だったことから、一般家庭における購入者は富裕層がほとんどであったため、同年8月に開局した日本初の民放テレビ局である日本テレビ放送網(日本テレビ・日テレ)[※ 1]が広告料収入と受像機の普及促進を兼ねる形で街頭テレビを設置し、当時の看板番組で、力道山戦などのプロレス中継、巨人戦が主のプロ野球中継、大相撲中継などのスポーツ中継の時間には街頭テレビに人が集まるほどの人気と広告収入が一番大きかったため、後に開局した大阪テレビ放送(OTV・現朝日放送テレビ)と中部日本放送のテレビ部門(現CBCテレビ)にも波及した。そのため、客寄せの一環で喫茶店や銭湯などにも家庭用テレビが業務用途に設置する動きも診られるようになった。家電屋の店頭に設置したテレビも事実上の街頭テレビと看做されている。後に一般家庭にも1959年(昭和34年)の皇太子明仁親王の成婚パレードを境に普及が進んだ。1950年代後半から1960年代初頭までには、白黒テレビは電気洗濯機や電気冷蔵庫などとともに「三種の神器」の一つに数えられるようになった。
「まず百人のうち九十人までは夕食後のひとときを自宅の茶の間でテレビをたのしむような生活がしたいと望んでいるのだよ。ところがテレビは二十万円もして手が出ないから、ビールかコーヒーをのんで喫茶店のテレビでまにあわせたいが、その金も不足がちだ。そこでテレビの時間になると子供遊園地が大人で押すな押すなだよ。無料のテレビがあるからさ」
ちまたの消息通だけあって、うまいことをいう。これは桐生に限らないだろう。日本人の多くの人々がせめて自宅の茶の間でテレビをたのしむ生活がしたいと考えているに相違ない。しかし思えば文明も進んだ。自宅に好むがままの芸人や競技士をよんで楽しむことができたのは王侯だけであったが、いまやスイッチをひねるだけで王侯の楽しみができる。天下の王侯も今ではたった二十万円かといいたいが、あいにく拙者もまだ王侯の域に達していないのである。
「数年のうちにすべての家庭にテレビを」
と約束してくれるような大政治家が現われてくれないものかと思う。民衆の生活水準を高めることを政治家の最上の責務と感じる人の出現ほど日本に縁のなかったものはない。 — 坂口安吾『桐生通信』[2]
1960年(昭和35年)7月、東芝から国産初のカラーテレビが発売される(サイズは21インチ、価格は52万円)。カラーテレビは1964年(昭和39年)の東京オリンピックを契機に、各メーカーが宣伝に力を入れはじめ、1960年代後半には、カラー放送が大幅に増えたことによって普及が進んだ。カラーテレビはクーラーや自動車などとともに「新・三種の神器」(3C)の一つに数えられるようになった。1973年(昭和48年)には、カラーテレビの普及率が白黒テレビを上回っている。
放送時術の進化に合わせて、1978年(昭和53年)頃からは音声多重放送対応テレビ、1990年代になるとハイビジョン放送対応テレビ、2003年(平成15年)6月には地上デジタルテレビ放送対応テレビがそれぞれ発売された。
約半世紀に渡って、ブラウン管テレビが大多数を占めたが、21世紀に入り、液晶ディスプレイやプラズマディスプレイを使用した薄型テレビが主流になった。
2018年はHDR元年と言われ、より映像美を追求したハイエンドテレビが台頭した。
日本のメーカーのテレビ事業は大きく代わっている。2012年に東芝が国内生産を、日立は自社生産をそれぞれ終了し、2014年にパナソニックはプラズマテレビの販売を終了し、ソニーはテレビ事業を分社化し、2016年にパナソニックはテレビ用液晶パネル生産を終了し、2018年に東芝はテレビ事業をハイセンスに売却し、日立は国内生産を終了した。
概要
放送局によって映像と音声を電気信号に変換され送信されたものをアンテナなどで受信しそれを再び映像と音声にするための装置。チューナーが内蔵されているものがテレビ受像機であり、内蔵されていないものはモニタまたはディスプレイと呼ぶ。テレビ台やテーブルなどの上に置く形で設置されるか、壁掛け金具などによって吊り下げる形で壁に設置される。
現在[いつ?]、日本では主に地上デジタル、BSデジタルおよび東経110度CSの4種のチューナーを搭載したものが家電販売店に並んでいる。東経124・128度CSデジタル(スカパー!プレミアムサービス)は外部チューナーが必要。地デジ・BS・CS放送を視聴・録画するためにはB-CASカードが必要(ワンセグの場合は不要)。
かつては電源のオン/オフ、チャンネル切り換え/選択や音量調節のためのダイヤルまたはスイッチを本体側のみに備えるものが多かったが、1970年代に赤外線方式の無線リモコンによる遠隔操作が可能な製品が登場し、1980年代に普及し始め[3]、1990年代以降はリモコンが標準となっている。ただしリモコンを紛失したり、リモコンのバッテリーが切れたりしたときでも最低限の操作はできるように、電源・チャンネル・音量といったボタン類は本体側にも搭載されている。なお、リモコンに関して統一された仕様はない。別売されているサードパーティ製のリモコンはメーカー設定を切り替えることにより多数のメーカー製品が操作可能であり、ビデオやDVDレコーダーの操作が可能なものも多い。録画機器のリモコンは、設定切替により同一または他社製メーカーのテレビの操作もできるものがある。
録画機能を内蔵した製品もいくつかある(テレビデオ)。そのほか、珍しい例ではあるが、任天堂の家庭用ゲーム機「スーパーファミコン」を内蔵した、シャープ製のブラウン管テレビ「SF1」という製品もあった。
なお、日本では、2004年11月から自動車・オートバイを運転しながらの、車内でのテレビ受像機等の画面の注視が、道路交通法で禁止されたが、手に保持しないタイプの物(カーナビゲーションのモニター画面と共用のものなど)については、単純な注視は依然罰則対象にはなっていない(道路交通法第百二十条第一項第十一号)。
画面サイズ
通常、ブラウン管の場合は管の対角寸法を、薄型テレビの場合は有効可視領域の対角寸法によって表される。単位は実質上インチ(1インチ=2.54cm)である。計量法上日本ではインチの使用が公的には認められないので、メーカーはインチの文字を避けて20「型」などと表示するが、20型とはこの場合20インチという意味である。同じ数字ならばブラウン管より薄型テレビの方が可視領域は広くなる。また、薄型テレビの場合は数字の後ろに「V(ビジュアルサイズ)」が付き(「26V」「32V」「37V」など)、ブラウン管テレビでは+2インチに相当する大きさとなる。
なお、対角寸法(インチ)から縦横寸法(cm)を導く方法は以下の通りである。
- 従来型の画面横縦比4:3の受像機
- タテ:インチ数×0.6×2.54≒インチ数×1.52
- ヨコ:インチ数×0.8×2.54≒インチ数×2
- 横長型の画面横縦比16:9の受像機
- タテ:インチ数×0.49×2.54≒インチ数×1.24
- ヨコ:インチ数×0.87×2.54≒インチ数×2.2
例:30インチワイドテレビのタテ寸法は、30×0.49×2.54=約37.3cmである。
端子類
通常は、表面や背面にビデオデッキやゲーム機、BDレコーダーなどの機器を接続するための端子類を備える。
入出力端子の種類には主に
- F型(アンテナ)端子(VHF/UHF、BS・110°CS)
- コンポジット(RCA)端子
- S端子、コンポーネント端子
- ステレオまたはモノラルの音声端子(通常、映像端子と1対)
- RGB21ピン
- コンポーネント端子、D端子
- ステレオミニ(ヘッドホン)端子(またはモノラルミニ(イヤホン)端子)
- HDMI端子
- i.LINK端子
- 電話回線端子(インターネット接続用)
- LAN端子(インターネット接続用)
- Irシステム端子(名称は機種・メーカーによって様々)
などがある。
なお地上波用のアンテナ端子は、現在VHF/UHF混合入力の同軸75ΩF型端子が1個の物が主流であるが、1990年代まではVHF・UHF分離型(端子が別々)の物が多かった。さらに1980年代までのテレビはVHF端子が同軸75ΩF型でUHFはフィーダー直付け(300Ω)であり、1970年代以前のテレビではVHF端子も同軸・フィーダー直付けタイプであった。アンテナからの給電線(フィーダー)の方式によるため、変換器や混合器が必要になる場合もある。共同受信で地上波とBSが混合伝送の場合はBS・UV分波器が別途必要。また地デジへの移行期にはTV&BDレコーダーのアンテナ入力端子はメーカーによりアナデジ(※110°CS/BS端子を含むと3端子があった)別々端子と、アナデジ(※110°CS/BS端子を含むと2端子になった)混合端子の二通りあった。
ビデオ機器の外部記録媒体の主流がDVDであった時代には、パーソナルコンピュータ向けのビデオカード(グラフィックスカード)と接続するためのDVI端子を搭載していた。デジタル周辺機器の接続を考慮したi.LINK端子を持つ機種もあった。Blu-ray Discの時代になると、外部映像入力インターフェイスは映像と音声を1本の接続ケーブルで伝送できるHDMI端子が主流となっている。
映像の色合い、明るさ、垂直同期等や音の左右のバランスの調整については、1990年代[要出典]まではツマミなどによりアナログ的に調節する物が多かったが、近年[いつ?]はほとんどがボタンやリモコンを使用したデジタル化プリセット方式となっている。
1980年代後半頃は、ミニコンポのように本体部分とスピーカー部分を分離した製品も存在した。近年[いつ?]でも三菱電機やシャープなどがスピーカー分離タイプの新製品をリリースしたことがある。
映像を表示する方式
- ブラウン管
- テレビ放送初期からの長年の実績があり、コストが安いことから家庭用・業務用ともに最も多く生産され、車載用5インチ型程度の小型から、一般用29インチ型程度まであるが、構造的に重量となって持ち運びにも負担がかかり、画面の大型化が困難(最大で36インチ程度)という弱点がある。
- 1990年代後半より画面を平面に近くしたタイプ(通称:フラットテレビ)が登場している。
- 日本では2001年より家電リサイクル法の対象となったこともあり、特に海外メーカー製および国内メーカーの海外工場製[※ 2]の低価格機種では廃棄コストの比率が相対的に高まって低価格のメリットが薄れ、薄型テレビの低価格化も進んでいることから、次第に縮小傾向にある。ただ、液晶が登場した当時の薄型テレビでは残像や視野角の狭さなどが目立ち、それに加えて近年[いつ?]に発売されたブラウン管テレビは周辺機器による様々な接続端子(S端子・D端子・AVマルチ端子)などで高画質にすることもできたことから、ブラウン管テレビに一定のメリットがあった。
- 「ブラウン管」という言葉が、「テレビ(受像機)」の代名詞として使われたことがあった。
- なかには「BSデジタル搭載タイプ」や「デジタル3波チューナータイプ」も存在するが、ただし電波のデジタル移行とテレビの薄型化の時期が重なったこともあり流通量・生産数は少ない。
- 薄型テレビ
- 液晶テレビ
- 従来は携帯電話用の2インチ程度から、最大でも13インチ程度のものが多く、生産時の歩留まりが良くない事から大型化や低コスト化は困難といわれたが、生産技術の改良で2002年頃から30インチ前後の大型サイズの商品も登場し、また、2005年8月にはシャープが当時世界最大65インチ液晶テレビを発売するなど、プラズマテレビと比べて画面サイズの差がなくなった。消費電力が少ない(200ワット程度)利点があり、さらに大型化する研究が進められている。
- ブラウン管アナログテレビに比べればボタンを押してからの反応は遅いとされる(早くて0.5秒ほどであり、遅くても1〜2秒)。
- プラズマディスプレイ
- 2000年頃から急速に増えてきた。画面の大型化がしやすく(103インチ程度まで商品化されている)、かつ薄型にできるが、小型化が難しい(最小でも32V型程度)ためパーソナルTVには向きにくいとされる。以前は消費電力が多い、パネルの寿命が従来品より短く、画面の焼き付きが起こりやすいなどの欠点があり、従来の液晶ディスプレイの欠点を克服したテレビが売れ、徐々に市場シェアを失い、最後まで家庭用プラズマテレビを販売していたパナソニックも撤退した。
- 有機EL
- 「EL」は「Electroluminescence(エレクトロルミネッセンス)」の略。「EL」とは、電気的な刺激によって光が出る冷光現象の総称で、白熱電球のように、熱の副産物として得る光と区別される。
- 「EL」には、硫化亜鉛などの無機物を使う「無機ELディスプレイ」と、ジアミン類などの有機物を使う「有機ELディスプレイ」の2種類があるが、従来からある無機ELはカラー表示が難しいなどの問題があり、用途は限られていた。実用化された例としては、時計のバックライトや、医療機器の表示ディスプレイ、24時間使用し続けるコンビニエンスストアのレジのディスプレイ、スペースシャトルに搭載されたコンピュータなどがある。有機ELは無機ELに比べて「テレビに適したフルカラー表示が可能」「低い電圧で発光し、明るい」「薄く作れて、画面を巻き取るような用途にも利用できる」といった特長を備える。有機ELは電極の間に有機EL素材を挟むだけなので、液晶やプラズマに比べて構造が非常に単純である。そのため、液晶でもなく、プラズマでもない、新しい映像表示方式を採用した次世代のテレビとして注目されており、2007年10月1日、ソニーが世界初の有機ELテレビ「XEL-1」(パネルの最薄部は約3mmで世界最薄)を12月(実際は商品を入荷した一部の家電量販店が11月22日に前倒しで販売、一般向けの販売は12月1日)に発売した[※ 3]。
- 有機ELテレビは、次世代のテレビとして期待が大きい。2010年代では素材の寿命や価格が問題とされているが、技術改良が進み充分に大量生産されれば、液晶やプラズマよりも安く製品化でき、より高画質なテレビが普及する。また、ディスプレイの薄型化に伴い、将来的には丸めたり曲げたりもできるディスプレイや、SFの世界のようなテレビが開発されることも期待できる。
- 「EL」の原理は液晶ディスプレイのバックライトとしても利用できるため、携帯電話のモニタやクリエへの応用も実現している。
- SEディスプレイ(SED)
- SEDは「Surface-conduction Electron-emitter Display」の略。東芝とキヤノンが共同で開発した、新しい薄型大画面ディスプレーの呼称。技術的には、「FED」(Field Emission Display、電界放出ディスプレー)の一種で、ブラウン管テレビと同様、映像を構成する発光体に電子を衝突させるという発光原理を用い、液晶テレビやプラズマテレビを上回る高画質、低消費電力を実現。「液晶テレビやプラズマテレビを遙かに上回る高画質」と前評判が高く、2005年10月4日〜10月8日に幕張メッセで開催された、アジア最大級のエレクトロニクス・情報技術展「CEATEC JAPAN 2005」での展示でも、一目でも早く見たいというAVファンが東芝とキヤノンのブースに終日列を作るなど、注目の的となった。
- 2004年10月に東芝とキヤノンが合弁で、「SED」パネルの開発・製造を行う「株式会社SED」を設立。2005年8月よりパネル量産を開始し、2007年から本格量産に移行する。計画であったが、特許問題をめぐる訴訟から量産開始が遅れ、東芝のSED撤退や、液晶テレビの低価格化・高性能化もあり、2010年5月に開発中止が発表された。株式会社SEDも同年9月末で会社清算となる。
- プラズマアドレス液晶
- 開発中止。
- プロジェクタ
- ブラウン管、液晶パネルなどの表示素子の映像をスクリーンに投影して見る方式。視聴者からみてスクリーンの裏側から投影する、リアプロジェクション方式のテレビやモニターが商品化されているが、筐体が大型になるので、日本の一般家庭への普及はあまり進んでいない。なお映画館の様に、視聴者側から投影する方式をフロントプロジェクション方式というが、こちらはモニターとして製品化されるのが一般的である。
- リアプロジェクションテレビ
- この節の加筆が望まれています。
- LED
- 大画面モニターとして実用化されて屋外広告などで使用されているが、画素ピッチを小さくするのは難しく主に液晶テレビのバックライトとして用いられている。製品化が遅れていたが2012年1月にはSONYがCrystal LED Displayとして発表した。
表示方式別のシェア
2005年の世界市場ではブラウン管テレビが2兆8426億9400万円とされるのに対し、液晶テレビが2兆371億1700万円(ブラウン管テレビ1億2700万台、液晶テレビ2000万台、プラズマテレビ580万台、リアプロジェクションテレビ463万台)と差が縮まり、既に液晶テレビがテレビを販売するメーカーの主力製品として販売されていた。また、販売台数も2008年にはブラウン管テレビと液晶テレビ等の薄型テレビ合計台数は逆転すると予想されていた[4]。
2000年代以降、日本市場ではブラウン管テレビは急速にシェアを落とし、中古のみとなっている。
チャンネル設定の方法
昔のテレビはチャンネルつまみを回す(初期〜1980年代まで。UHFチャンネルについてはVHFつまみを「U」に合わせた後、もう一つのUHFつまみを回した[※ 4])、あるいは放送チャンネルを設定してある本体のボタンを押して(1990年代まで。初期状態はVHFチャンネルが設定されていたため、UHFチャンネルについては1局ずつ手動で設定する必要がある)目的の放送局を1局ずつ手動で探す方法が主流だった。
のちにデジタルプリセット方式(受信チャンネル項の数字書き換えと同時に画面が変わる)が普及し、電波の弱い地域でも目的の放送が簡単に探し出せるようになった。やがて居住地域の電話番号の市外局番や地域番号(メーカー・によって異なる)を入力して全局自動設定する方法も普及し、引っ越し先での再設定が簡素化された(ただし市外局番や地域番号が登録されている地域は各県の県庁所在地の基幹送信所(親局などの大型送信所)の受信地域主体のため、未登録地域では1局ずつ手動で設定する必要がある)。
デジタル放送主体の現代では初期設定の段階で居住地域の郵便番号を入力することにより、チャンネルを含めた全ての地域情報がまとめて設定できるようになっている。
なお放送なしのポジションを省き、(順送り選局時に)放送ありのポジションのみを選択できる「チャンネルスキップ」機能はアナログプリセット時代から備わっている(表示書き換え時「0」表示にするとスキップ)。さらに最近ではこれに加え、外部入力の表示を「ビデオ」のみならず接続した機器(DVDなど)に適合する表示に書き換えられる機能が加わったり、「入力切替」ボタンを押した時に接続機器のない外部入力ポジションを省き、接続機器ありのポジションのみを選択できる「入力スキップ」機能が備わったりしている。
可搬型のテレビ
- ポータブルテレビ
- 持ち運びができるように小型化したテレビ。1970年代後半には外出先でも視聴が可能なポータブルテレビが登場したが、この頃はラジカセとの一体型で、モニターはブラウン管かつ白黒であった(1978年に東芝が発売したラジカセ付きGT-4500[5]などがあった)。1980年代に入ると液晶を用いることで手の平サイズにまで小型化され(最初期のモニターは白黒)、80年代半ばにはカラー受信機が登場した。アナログ放送の終了・デジタル放送(フルセグ)への移行に伴い、先にワンセグ方式の受信機が登場したが、現在はフルセグで受信可能な機種も供給されている。ただ、フルセグ対応も含めたテレビチューナー搭載の携帯電話・スマートフォンとの競合関係にあり、市場は大きくない。
- ワイヤレステレビ
- チューナー機器とモニターが独立しており、両者の間で映像および音声信号を無線通信(無線LANなど)により伝送するもの。室内アンテナを使用したテレビ受像器との違いは、アンテナ端子からの入力により確実に受信できる事と、モニターが液晶ディスプレイによる可搬性を重視した物、さらに充電式で(電源)ケーブルフリーな物であること。
2000年代以降の動向
2000年以降の動向としては薄型テレビや地上デジタル放送(地デジ)対応などがある。
電子機器メーカーの業界団体、電子情報技術産業協会(JEITA)によると、2003年に液晶・プラズマといった薄型の出荷額がブラウン管を初めて上回った。これは既に国内メーカーはブラウン管テレビの国内生産を打ち切っており、将来的にその生産自体を取り止める方針である事(後述)や、小型軽量かつ省エネ・省スペースである点が消費者に受け入れられている事などが挙げられる。
2008年までにアナログチューナーのみのモデルは全社が生産中止となった。その一方で、不況と少子高齢化に伴う低所得層の増大などから、アナログ停波の延期を求める声や、停波自体に反発する声も多く見られた。
デジタル放送化決定後もホームセンターやディスカウントストア、大型スーパーでは、低価格を売りにしたアナログ放送しか受信できない受像機(ブラウン管式ないし、近年一部の海外メーカーが大々的に売り出しを行っている低価格液晶テレビも含む)が依然として販売されていた。地上デジタル放送には対応するが、BSデジタル放送や110度CSデジタル放送に対応しないものもあった。アナログ放送終了後はデジタルチューナー(同機能搭載ビデオ機器類含む)と接続しないとテレビ受信ができなくなるため、展示している商品にデジタル放送への対応・非対応(2011年で使えなくなる)を表示するシールを貼る事が義務付けられた(2006年6月以降は、工場出荷の時点でアナログ放送終了告知シール貼付を義務化)。
この種の製品を生産している韓国や台湾などの海外メーカーでは、日本国内のデジタル放送に対応できる機種の開発能力が弱かった事などから、日本のデジタル放送対応機種はパナソニック・シャープ・ソニー・東芝など、ほぼ日本のメーカーによって占めていた。しかし2010年代には海外メーカーとの競争で、日本メーカーが世界市場で不利な状況となり、不採算事業の清算として、テレビ事業から撤退、または他社へ売却などをするケースが見られた。
ブラウン管式のテレビ受像機は、2001年以降、冷蔵庫や洗濯機、エアコンとともに家電リサイクル法の対象商品とされ、廃棄する際に粗大ゴミとして出せなくなり、メーカーごとの窓口への有料(6000〜10000円程度かかる)引き取り手続きなどが義務付けられている。なお、2009年4月より、液晶やプラズマなどの薄型テレビ受像機も、家電リサイクル法の対象に追加された。ただし、廃棄にかかる時間や手間、費用がかかるためなのか、日本各地の森林や山奥に不法投棄されるなどし、大きな問題となっている。業界団体によれば、アナログ放送停波に伴い、6400万台のアナログ式受像機が廃棄されると予測されていた[6]。
2010年代に入り、主要メーカーから、3次元ディスプレイ技術を応用した3Dテレビが発売された。しかしコンテンツ不足、3D映像を視聴するためには、専用眼鏡が必要などの理由であまり普及しなかった。若干画面が湾曲したテレビも一時流行したが同様にあまり普及しなかった[7]。
2014年頃からは、4K 8Kテレビ放送などの技術の進歩により、テレビの更なる高画質、高音質化が進んでいる。また、メーカーはこの頃から初期の薄型テレビの置き換えに伴う需要を見込んでいるとされ、インターネットに接続可能であるのはもちろん、テレビでYouTubeなどのデジタルメディアを閲覧したりすることができるなど、インターネットとつながることができるテレビが普及している。
日本国内の全世帯のうちカラーテレビを保有する世帯の率(世帯普及率)は1982年の調査以来、98%を下回ったことがなく、2006年3月末現在の世帯普及率は99.4%となっていた[8]。しかし、テレビ離れとブラウン管テレビが統計から排除されたことにより2014年以降落ち込みをみせた[9]。
2015年、ブラウン管式のテレビ受像機の製造を日本国内のメーカーとして最後まで続けてきたシャープが、フィリピンで行なってきたブラウン管式のテレビ受像機の製造から撤退。なお、2014年12月時点でブラウン管式のテレビ受像機の製造を行なっていたインドのビデオコンやOnidaも、2015年中をめどに撤退することが報じられた[10][11]。
注釈
- ^ なお、免許申請は日テレが先であったため、NHKが急ぐ形でテレビ本放送を開始した経緯がある。
- ^ 既に日本国内では全メーカーがブラウン管テレビの生産を終了している。
- ^ 2010年2月16日、ソニーは「XEL-1」の国内販売を終了することを発表した。販売終了の理由について、有害サイト規制法により、4月以降に出荷する製品には有害サイトへの接続制限機能が義務づけられるが、XEL-1にはその機能がないからと説明している。ただし海外での販売は継続し、大画面化や量産化の技術開発は続ける、とした。
- ^ 当時は民放テレビ局の数が少なくVHF・UHF各1局のみという地域も多かったため、それらの地域ではUHFつまみは当該UHF局に事実上固定(当該局に合わせられれば通常ほぼ動かされない)されていた。
脚注
- ^ “電気機械器具品質表示規程”. 消費者庁. 2013年5月23日閲覧。
- ^ 坂口安吾 桐生通信
- ^ テレビは画質や大きさだけじゃない!昭和のリモコンの進化が健気すぎる | 和樂web 日本文化の入り口マガジン
- ^ シェアの項目の出典:片山栄一著 『業界研究シリーズ 電機』日本経済新聞社、2006年、49頁
- ^ “時代が生んだ重量級のポータブル情報端末機器 「TOSHIBAテレビ(ラジオカセット付) GT-4500」”. fabcross (2016年1月29日). 2017年5月16日閲覧。
- ^ アサヒコム2007年3月6日「アナログテレビ最大6400万台がゴミに 地デジ移行で」
- ^ 曲面ディスプレイTVは死んだ。CESを現地取材している記者が語る最新のTVトレンド | ギズモード・ジャパン
- ^ 出典:内閣府『平成18年度消費動向調査』
- ^ 二人以上世帯では96.6%…カラーテレビの普及率をさぐる(不破雷蔵) - 個人 - Yahoo!ニュース
- ^ ブラウン管テレビの生産が世界中で終了へ、量産開始から約70年 | 財経新聞
- ^ 読売新聞 2014年12月08日「昭和」の象徴…ブラウン管TVの生産終了へ[リンク切れ]
関連項目
- 赤外線リモコン
- ビデオテープレコーダ
- 映像機器
- 三種の神器 (電化製品) - デジタル家電のデジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型テレビ
- 通信と放送の融合
- テレビデオ
- ハイビジョン
- テレビ
- カラーテレビ
- 機械式テレビジョン
外部リンク
- テレビは進化する 日本放送技術発達小史、日本放送協会
- 『電子の技術-テレビジョン-』《→YouTube版》 - 『科学映像館』より。1961年に松下電器産業(現・パナソニック)の企画の下で製作された広報映画。
《テレビ受像器の動作原理の解説と共に、当時の受像器生産現場を映し出している。矢代秋雄が音楽を担当》