サンカーラ

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仏教用語
行, サンカーラ, サンスカーラ
パーリ語 सङ्खार (saṅkhāra)
サンスクリット語 संस्कार (saṃskāra)
日本語
英語 formations
volitional formations
volitional activities
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  十二因縁  
無明(無知)
名色
六処
(存在)
(誕生)
老死(老いと死)
 

仏教用語サンカーラ(: Saṅkhāra)、サンスカーラ(: Saṃskāra)とはパーリ語およびサンスクリット語に由来し、一緒になったもの、纏めるものという意味合いである[1]。伝統的に(ぎょう)と訳される。

サンカーラには主に二つの意味がある。

一つ目の意味では、サンカーラは一般的に「条件づけられたものごと[2]」「因縁によって起こる現象[3]」をさす。

二つ目の意味では、サンカーラは行蘊としてをさし、それらは縁起の原因とされる[4]。心の中の「なにかをしたい」という衝動のことであり、その衝動はその直前の状態から生まれているのである[5]。ある行動(karma, 業)を取ることで、その次の行動をしたいという欲求が自動的に現れるのである[5]

因縁によって起こるもの

最初の意味では、サンカーラは「因縁によって起こる現象[6]」「できあがったもの、組み立てられたもの[3]」「条件づけられたものごと[2]」を指す。世界のすべての集合体 - 身体的・精神的な付随物、そしてすべての現象について、初期仏典は「因縁によって起こるもの」としている[7]。それは木、雲、人間、思考、分子のいずれも対象で、さらに宇宙のあらゆる複合体を指すことができる。これらはすべてサンカーラである[2]

原因があって発生したものは、その条件が失われれば、もたらされた結果(姿・形など)も当然に失う[6][2]。釈迦は、すべてのサンカーラは永続的ではないものとして(無常)、本質は存在しないと説いている[8][9]。一切の現象は原因によって現れる、すなわち「偶然」「突然」「神による創造」などは否定される[6]

因縁による物事や性質は、それは単なる認識であり本質を持たないため、信頼できる喜びを提供してはくれず、無常である(諸行無常[10]

サンカーラの「条件付きのもの」といった文脈は、四諦および因果律の理論にしばしば登場し、 それは人々の無常無我についての無知・誤解が、いかに渇愛輪廻につながるかを語っている[11]。またそれは、相応部 II.12.1[11]や、その他のパーリ経典[12]でも登場する。

行蘊

五蘊(パンチャッカンダ)[13]
 
 
色(ルーパ)
物質的存在
  四大(マハーブータ)
元素
 
 
 
 
 
 
触 (パッサ)
接触
 
 
 
     
 
識(ヴィンニャーナ)
認識作用
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
  心所(チェータシカ)
精神的要素
 
 
受(ヴェーダナー)
感受作用
 
 
 
想(サンニャー)
概念
 
 
 
行(サンカーラ)
志向作用
 
 
 
 

二つ目の意味合いでは、サンカーラは精神的に刷り込まれた本質」[10][7][14]、方向性を作り出す心の能力、意識を生じる意志作用を指す。それは縁起支(paṭiccasamuppāda)の一部である[15][16]。この文脈では、サンカーラとは業に関わる意欲や興味のことであり、これらは生まれ変わりの源であり、生まれ変わり先に変化を与える(業報)[15]。サンカーラは業と同じく、身・口・意(三業)が含まれている[15][17]

釈迦はあらゆる行蘊は、無常および無我の状態にあると述べた[18][19]。これについての無知(無明)が、行の発生に繋がり、最終的にはにつながるのである[20]

飢えることは、最悪の病である。

サンカーラは、最悪の苦しみである。

このことをあるがまま知る者にとって、涅槃は最高の幸福である。

様々な解釈

スリランカ仏教哲学者ディヴィッド・カルパハナ英語版によれば、サンカーラは全ての精神的傾向を指すことが多い[21]。カルパハナは、釈迦はサンカーラを完全に排除するのではなく、浄化する必要性を強調したとする[22]

カルパハナは、サンカーラとは個人の物の見方を決定するものであるから、「サンカーラの除去は認識論上の自殺である」と述べている。「人格の発達が、完全性(perfection)に向かうか不完全性(imperfection)に向かうかは、己のサンカーラによる」と述べている。[23]。また、カルパハナは「サンカーラの重要性を認識することは、釈迦をして、世界についての究極の客観的視点を定式化することを企てることから妨げた」と述べている[10]

また、『大般涅槃経』は以下のように記している[24]

そこで尊師は、チャーパーラ霊樹のもとに念じて、よく気をつけて寿命の素因[注釈 1](潜勢力)を捨て去られた。尊師が寿命の素因を捨て去られたときに、大地震が起こった。人々を驚怖させ、身の毛をよだたせ、神々の天鼓は破裂した[注釈 2]。そこで尊師は、その意義を知って、そのときこの感興のことばを発せられた。――

「量られ、また量られない[注釈 3](身の成立する)もとである〈生存の素因〉[注釈 4]を、聖者は捨て去られた。

みずから内心に楽しみ、精神統一をして、殻のような自己の成り立つもとを破壊した」と。

脚注

注釈

  1. ^ : āyu-saṃkhāra.「いのちのもと」。ここでは他のインド哲学と共通した言葉の用い方がされている[25]サンスカーラ (インド哲学)英語版を参照。
  2. ^ 「雷鳴が轟いた」の意。
  3. ^ 訳者の中村元は、有為無為を指しているのではないかと指摘している。
  4. ^ : bhavasaṃkhāra

出典

  1. ^ See, for instance, Bodhi (2000), p. 45: :Saṅkhāra is derived from the prefix saṃ (=con), "together," and the verb karoti, "to make." The noun straddles both sides of the active-passive divide. Thus saṅkhāras are both things which put together, construct and compound other things, and the things that are put together, constructed, and compounded.
  2. ^ a b c d 魚川祐司『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』新潮社、2015年4月25日、46-47頁。ISBN 978-4103391715 
  3. ^ a b 『ブッダの実践心理学』〈アビダンマ講義シリーズ〈第3巻〉心所〉2007年、Kindle版、位置No.全4919中 4031 / 82%。ISBN 978-4901679305 
  4. ^ William S Waldron (2003). The Buddhist Unconscious: The Alaya-vijñana in the Context of Indian Buddhist Thought. Routledge. pp. 102-112. ISBN 978-1-134-42886-1. https://books.google.com/books?id=x9iCAgAAQBAJ 
  5. ^ a b アルボムッレ・スマナサーラ『テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え』(kindle)Evolving、2018年。ISBN 978-4804613574 
  6. ^ a b c アルボムッレ・スマナサーラ『無我の見方 (「私」から自由になる生き方)』サンガ、2012年、Kindle版、位置No.全1930中 893 / 46%。ISBN 978-4905425069 
  7. ^ a b Thomas William Rhys Davids; William Stede (1921). Pali-English Dictionary. Motilal Banarsidass. pp. 664-665. ISBN 978-81-208-1144-7. https://books.google.com/books?id=0Guw2CnxiucC 
  8. ^ Jonathan Walters (2015). Donald S. Lopez Jr.. ed. Buddhism in Practice: (Abridged Edition). Princeton University Press. pp. 110. ISBN 978-1-4008-8007-2. https://books.google.com/books?id=zaC4CgAAQBAJ 
  9. ^ N. Ross Reat; Edmund F. Perry (1991). A World Theology: The Central Spiritual Reality of Humankind. Cambridge University Press. pp. 120–121. ISBN 978-0-521-33159-3. https://books.google.com/books?id=vD2TJNc7NE4C 
  10. ^ a b c David J. Kalupahana (1992). A History of Buddhist Philosophy: Continuities and Discontinuities. University of Hawaii Press. pp. 71–72. ISBN 978-0-8248-1402-1. https://books.google.com/books?id=SlDArya3YvcC 
  11. ^ a b Paul Williams; Anthony Tribe; Alexander Wynne (2002). Buddhist Thought: A Complete Introduction to the Indian Tradition. Routledge. pp. 65-67. ISBN 978-1-134-62324-2. https://books.google.com/books?id=e9SFAgAAQBAJ 
  12. ^ John Clifford Holt (1995). Discipline: The Canonical Buddhism of the Vinayapiṭaka. Motilal Banarsidass. pp. 8–11. ISBN 978-81-208-1051-8. https://books.google.com/books?id=3gnDWr2CCWkC 
  13. ^ パーリ仏典, 中部 満月大経, Sri Lanka Tripitaka Project
  14. ^ Harold Coward (1990). Derrida and Indian Philosophy. State University of New York Press. pp. 161–162. ISBN 978-0-7914-0500-0. https://books.google.com/books?id=a7ucoHEbtgAC 
  15. ^ a b c Bhikkhu Bodhi (2005). The Connected Discourses of the Buddha: A New Translation of the Samyutta Nikaya. Simon & Schuster. pp. 45-47. ISBN 978-0-86171-973-0. https://books.google.com/books?id=MEA6AwAAQBAJ 
  16. ^ William S Waldron (2003). The Buddhist Unconscious: The Alaya-vijñana in the Context of Indian Buddhist Thought. Routledge. pp. 19-23. ISBN 978-1-134-42886-1. https://books.google.com/books?id=x9iCAgAAQBAJ 
  17. ^ William S Waldron (2003). The Buddhist Unconscious: The Alaya-vijñana in the Context of Indian Buddhist Thought. Routledge. pp. 16-18. ISBN 978-1-134-42886-1. https://books.google.com/books?id=x9iCAgAAQBAJ 
  18. ^ William S Waldron (2003). The Buddhist Unconscious: The Alaya-vijñana in the Context of Indian Buddhist Thought. Routledge. pp. 10. ISBN 978-1-134-42886-1. https://books.google.com/books?id=x9iCAgAAQBAJ 
  19. ^ Mathieu Boisvert (1995). The Five Aggregates: Understanding Theravada Psychology and Soteriology. Wilfrid Laurier University Press. pp. 93–98. ISBN 978-0-88920-257-3. https://books.google.com/books?id=mUTRBtvSUaUC 
  20. ^ William S Waldron (2003). The Buddhist Unconscious: The Alaya-vijñana in the Context of Indian Buddhist Thought. Routledge. pp. 190-191 notes 2-5, Chapter 1. ISBN 978-1-134-42886-1. https://books.google.com/books?id=x9iCAgAAQBAJ 
  21. ^ David Kalupahana, "A History of Buddhist Philosophy." University of Hawaii Press, 1992, page 71.
  22. ^ David Kalupahana, Mulamadhyamakakarika of Nagarjuna: The Philosophy of the Middle Way. Motilal Banarsidass, 2005, page 48.
  23. ^ David Kalupahana, "A History of Buddhist Philosophy." University of Hawaii Press, 1992, page 75.
  24. ^ 中村 2019, p. 75.
  25. ^ 中村 & 2019 265.

参考文献

英語文献

日本語文献

関連項目