アルベルト・アクィラーニ

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アルベルト・アクイラーニ
リヴァプール時代 (2011年)
名前
ラテン文字 Alberto AQUILANI
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1984-07-07) 1984年7月7日(39歳)
出身地 ラツィオ州の旗ラツィオ州ローマ県 ローマ
身長 185cm
体重 77kg
選手情報
在籍チーム ポルトガルの旗 スポルティングCP
ポジション MF
背番号 6
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2002-2009 Roma ローマ 102 (9)
2003-2004 Triestina トリエスティーナ (loan) 41 (4)
2009-2012 Liverpool リヴァプール 18 (1)
2010-2011 Juventus ユヴェントス (loan) 33 (2)
2011-2012 Milan ミラン (loan) 15 (1)
2012-2015 Fiorentina フィオレンティーナ 81 (13)
2015- ポルトガルの旗 スポルティングCP 10 (3)
代表歴2
2006- イタリアの旗 イタリア 38 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年1月8日現在。
2. 2014年11月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アルベルト・アクイラーニ(Alberto Aquilani, 1984年7月7日 - )は、イタリアラツィオ州ローマ出身のサッカー選手プリメイラ・リーガスポルティングCP所属。イタリア代表。ポジションはミッドフィールダー

経歴

クラブ

ローマ出身で地元ASローマの下部組織で育った。2001年にはイングランドチェルシーアーセナルが獲得に動いたが、「ローマでプレイするのが幼いころからの夢だ」として断っている。2002年5月10日トリノ戦でセリエAデビュー。翌2003-04シーズンはセリエBトリエスティーナへレンタル移籍した。復帰後はローマの主力となり、2004-05シーズンには計38試合に出場。その後もローマのタイトル獲得や2年連続のセリエA2位・UEFAチャンピオンズリーグベスト8などに貢献するが、慢性的な怪我により絶対的なレギュラー定着には至らなかった。

2008-09シーズン終了後には新たに4年契約を結んだものの、リヴァプールスペインレアル・マドリードへ移籍したシャビ・アロンソの後釜として獲得に動き、2009年8月5日に5年契約の移籍金2000万ユーロで加入した。ただし怪我を負ったままでの移籍だったため開幕から数カ月はリハビリに費やすことになり、10月21日にようやくリザーブチームで試合に出場。10月28日カーリングカップ・アーセナル戦で途中出場し、リヴァプールでのデビューを果たした。11月9日バーミンガム・シティ戦ではプレミアリーグデビューを飾り、12月9日チャンピオンズリーグフィオレンティーナ戦では移籍後初の先発出場を記録した。2010年3月15日ポーツマス戦で移籍後初ゴールを記録したものの、2009-10シーズンは怪我で出場試合も数えるほどしかなく、2010 FIFAワールドカップでもイタリア代表から落選するなど、失意のシーズンとなった。

ラファエル・ベニテスが退任してロイ・ホジソンが新監督に就任してほどなく構想外となり、8月25日クリスティアン・ポウルセンと入れ替わる形でユヴェントスにレンタル移籍。わずか1シーズンでの国内復帰となった。パサーの少ないユヴェントスにおける貴重な存在として、セントラルハーフのレギュラーに定着した。11月13日の古巣ローマとの初対戦ではヴィンチェンツォ・イアクィンタの先制点をアシストするなど活躍し、マンオブザマッチに選出された。結局7位に低迷しヨーロッパカップ戦への出場権すら得られなかったものの、自身は33試合に出場し2得点・5アシストを記録し復調の気配を見せた。

その後、買取オプションは行使されず2011年6月25日に一旦リヴァプールへ復帰したものの、8月26日アンドレア・ピルロとの入れ替わる形でACミランへのレンタル移籍が決まった。ミランでは主にインサイドハーフとして起用された。

シーズン後はリヴァプールにレンタルバックされたが、2012年8月3日リッカルド・モントリーヴォと入れ替わる形でフィオレンティーナに完全移籍することが発表された[1]

2015年8月6日、ポルトガルのスポルティングCPへ移籍することを、クラブ公式Twitter上で発表した[2]。契約期間は2015年8月までである。

代表

イタリア代表では2006年11月15日の親善試合・トルコ戦で初出場。その後もEURO2008のメンバーに選ばれるなどコンスタントに招集され続けているが、レギュラー獲得までにはいたっていない。2008年10月15日ワールドカップ予選モンテネグロ戦では、代表初ゴールとなる先制点と決勝点の2得点を挙げる活躍を見せた。2009年2月10日ブラジル戦以降は招集されず、2010 FIFAワールドカップの出場も逃したが、ユヴェントスでの活躍が評価されて2010年11月14日に1年9ヶ月ぶりに代表に復帰した。2011年8月10日スペインとの親善試合でおよそ2年ぶりの得点となる決勝ゴールを挙げ、勝利に貢献した。

エピソード

  • ローマ在籍時から故障が多く、ロマニスタからは「スワロフスキー」というあだ名をつけられていた[3]
  • ローマの苦しい財政状況などもあってリヴァプール移籍を決断したものの「ローマを去るのは非常に残念だ」とし、全ローマファンに感謝を示した[4]
  • また、ローマのキャプテンであり同じくローマの下部組織出身のフランチェスコ・トッティはリヴァプール移籍を許したフロントを批判した[5]

所属クラブ

イタリアの旗 USトリエスティーナ・カルチョ 2003-2004 (loan)
イタリアの旗 ユヴェントスFC 2010-2011 (loan)
イタリアの旗 ACミラン 2011-2012 (loan)
シーズン クラブ リーグ リーグ カップ 国際大会 その他 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
2002-03 ローマ セリエA 1 0 1 0 2 0
2003-04 トリエスティーナ (loan) セリエB 41 4 41 4
2004-05 ローマ セリエA 29 0 4 0 5 0 38 0
2005-06 24 3 4 2 8 1 36 6
2006-07 13 1 3 0 5 0 1 2 22 3
2007-08 21 3 4 1 5 0 1 0 31 4
2008-09 14 2 1 0 4 0 1 0 20 2
2009-10 リバプール プレミアリーグ 18 1 2 0 5 1 1 0 26 2
2010–11 0 0 0 0 2 0 0 0 2 0
2010-11 ユヴェントス (loan) セリエA 33 2 1 0 0 0 0 0 34 2
2011-12 ミラン (loan) 23 1 1 0 7 0 0 0 31 1
2012-13 フィオレンティーナ 25 7 2 0 0 0 0 0 27 7
通算 イタリア 224 23 21 3 34 1 3 2 282 29
イングランド 18 1 2 0 7 1 1 0 28 2
通算 242 24 23 3 41 2 4 2 310 31

獲得タイトル

クラブ

イタリアの旗 ASローマ

代表

脚注

外部リンク