はるかぜ型護衛艦
はるかぜ型護衛艦 | ||
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海上自衛隊第1術科学校で保管中のはるかぜ(2000年12月) | ||
艦級概観 | ||
艦種 | 護衛艦 | |
建造期間 | 1954年 - 1955年 | |
就役期間 | 1956年 - 1985年 | |
前級 | DD:ありあけ型護衛艦 | |
次級 | DD:あきづき型護衛艦 | |
性能諸元 | ||
排水量 | 基準:1,700トン | |
満載:2,430トン | ||
全長 | 106.0m | |
全幅 | 10.5m | |
深さ | 6.4m | |
吃水 | ||
機関 | 2軸推進 | |
蒸気タービン(30,000hp) | 2基 | |
速力 | 最大30ノット | |
乗員 | 240名 | |
兵装 | Mk.30 38口径5インチ単装砲 | 3基 |
Mk.2 40mm4連装機関砲 | 2基 | |
54式ヘッジホッグ | 2基 | |
54式爆雷投射機K砲 | 8基 | |
54式爆雷投下軌条 | 2基 | |
言語 | 表記 | |
日本語 | はるかぜ型護衛艦 | |
英語 | HARUKAZE type Destroyer |
はるかぜ型護衛艦(はるかぜがたごえいかん、JMSDF DD HARUKAZE class)とは海上自衛隊の護衛艦(1961年までは警備艦)である。戦後初の国産護衛艦であり、CIC(コンバットインフォメーションセンター)を装備運用した初の国産艦でもある。
概要
海上自衛隊の前身である警備隊が創設された当初、艦艇の殆どがアメリカ合衆国から貸与されたフリゲート(PF)(くす型警備船)や上陸支援艇(LSSL)(ゆり型警備船)で構成されていた。それらの艦は、第二次世界大戦中に建造されたため何れも旧式化している感が否めなかった。そこで、国産艦艇の建造計画が浮上し、1953年(昭和28年)度計画において甲型警備艦(後に護衛艦、DD)2隻と乙型警備艦(後に護衛艦、DE)3隻の建造が決定された。この甲型警備艦がはるかぜ型であり、乙型警備艦は護衛艦「あけぼの」(蒸気タービン装備)といかづち型(ディーゼルエンジン装備)である。
はるかぜ型には船団護衛や対潜哨戒の他に、漁業保護、救難作業への対応、旗艦設備の保持も求められた。 はるかぜ型の設計にあたり、当時の保安庁は創設直後で、技術研究所も艦艇を設計する能力が乏しかったので、旧海軍の技術者を中心に設立されていた船舶設計協会に警備艦の設計を委託する事となった。船舶設計協会では、旧海軍の白露型駆逐艦と朝潮型駆逐艦をタイプシップとし、アメリカ海軍のギアリング級駆逐艦の長所を取り入れる形で設計が進められ、船型はアメリカ海軍の駆逐艦が多用していた平甲板型が採用された。また、当時の潜水艦はまだ原子力より通常動力型が多く、対潜戦闘としてシュノーケルを海面に露出して航行する敵潜を体当たりで撃沈する戦術も有効な対潜戦術の一環とされていたため、船首には衝角を装着し構成材も強化されていた。
海上戦闘における情報処理の概念が旧態依然としていた当時にあって、CIC(コンバットインフォメーションセンター)を装備運用したのは特筆すべきであろう。これは国産艦としては日本初であった。ただし国産艦でなければ、既にくす型警備船でCICを装備運用していた。
兵装類は、殆どをアメリカに頼っていたため、第二次世界大戦中に開発されたものが多く、Mk.30 38口径5インチ単装砲を前部に1基、後部に2基、Mk.2 40mm4連装機関砲を前後に1基ずつの計2基、対潜兵装としてヘッジホッグ2基、爆雷投射機、爆雷投下軌条等を装備していた。また、旧海軍では余り考慮されていなかった乗組員の居住性の改善も企てられたが、艦隊司令部施設を急遽追加したことで当初の目論見よりも居住性は悪化した。その他、スペース面以外では、貸与されたアメリカ海軍の艦艇に劣らない装備を搭載していた。
「はるかぜ」は1956年(昭和31年)4月26日に三菱重工業長崎造船所で、「ゆきかぜ」は同年7月31日に三菱重工業神戸造船所でそれぞれ竣工した。
運用
就役後、「はるかぜ」と「ゆきかぜ」の両艦は護衛隊群の旗艦を務め、遠洋航海にも派遣された。遠洋航海で得られた経験を活かし特別改装が行われたが、「はるかぜ」には特別改装の際、スイスのコントラベス社が開発した射撃指揮装置を搭載し試験運用したが、陸上用射撃指揮装置を改良し艦艇用としたものであったため、性能が不安定な面もあり「はるかぜ」以外の艦に搭載されることはなかった。
「はるかぜ」「ゆきかぜ」共に就役後、度々改装を受け第一線にあったが、1973年(昭和48年)に「はるかぜ」は第1潜水隊群、「ゆきかぜ」は実用実験隊に配属され第一線を退いた。「ゆきかぜ」は曳航式ソナーの実験など数々の実験に従事し、1981年(昭和56年)3月に特務艦に変更され、1985年(昭和60年)に除籍された。「はるかぜ」も1981年(昭和56年)3月に特務艦に変更された後、1985年(昭和60年)に除籍された。
「はるかぜ」は除籍後も海上自衛隊第一術科学校で桟橋として係留保管されていたが、塩害による傷みが著しく進行したため、2002年(平成14年)に売却、解体された。
同型艦
艦番号 | 艦名 | 建造 | 起工 | 進水 | 竣工 | 除籍 |
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DD-101 ASU-7002 |
はるかぜ | 三菱重工業 長崎造船所 |
1954年 (昭和29年) 12月15日 |
1955年 (昭和30年) 9月20日 |
1956年 (昭和31年) 4月26日 「艦種変更」 1981年 (昭和56年) 3月27日 『特務艦』 |
1985年 (昭和60年) 3月5日 |
DD-102 ASU-7003 |
ゆきかぜ | 新三菱重工業 神戸造船所 |
1954年 (昭和29年) 12月17日 |
1955年 (昭和30年) 8月20日 |
1956年 (昭和31年) 7月31日 「艦種変更」 1981年 (昭和56年) 3月27日 『特務艦』 |
1985年 (昭和60年) 3月27日 |