洛中洛外図

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洛中洛外図(らくちゅうらくがいず)は、京都の市街(洛中)と郊外(洛外)の景観や風俗を描いた屏風絵である。1点が国宝、6点が重要文化財に指定されるなど、文化史的・学術的な価値が高く評価され、美術史建築史、および都市史社会史の観点から盛んに研究されている。戦国時代にあたる16世紀初頭から江戸時代にかけて制作された。

概要[編集]

屏風[編集]

洛中洛外図は、14世紀以降の屏風の定型である六曲一双形式であることが多い(屏風の構造参照)。

構図[編集]

洛中洛外図は、右隻に京都東方面、左隻に京都西方面が鳥瞰図として描かれることが一般的である。

戦国時代の景観が描かれたものを初期洛中洛外図と呼ぶ。右隻に内裏を中心にした下京の町なみや、鴨川祇園神社東山方面の名所が描かれ、左隻には公方御所をはじめとする武家屋敷群や、船岡山北野天満宮などの名所が描かれている。また、初期洛中洛外図屏風を向かって見ると、右隻では、上下が東西、左右が北南となる。一方左隻では、上下が西東、左右が南北となる。こうした初期洛中洛外図屏風の形式は「第一形式」とも呼ばれる。初期洛中洛外図は、4点が現存する。

江戸時代の洛中洛外図では、右隻に内裏、左隻に二条城が描かれているものが多く、「第二形式」とも呼ばれる。

季節の風物と行事[編集]

洛中洛外図は四季絵または月次絵の要素を持っている。季節を表す風物や行事が多数描かれ、たとえば、祇園会山鉾を書き込むものが多い。初期洛中洛外図では、右隻に春夏、左隻に秋冬の風物や行事が描かれている。ただし、季節区分には例外も多くある。

人物[編集]

洛中洛外図には数千人の人物が描かれており、その人物比定や職業、生活の様子、服飾・髪型などは重要な研究対象になっている。

初期洛中洛外図[編集]

戦国時代の景観が描かれた初期洛中洛外図は、次の4点が現存している。

初期洛中洛外図
名称 所蔵 形式 大きさ 備考
歴博甲本 国立歴史民俗博物館 屏風六曲一双 紙本着色 各隻: 縦138.0cm、横364.0cm 重要文化財
東博模本 東京国立博物館 屏風絵の写し十一幅 紙本淡彩 各幅: 縦160.5cm、横62.0cm 模本
上杉本 米沢市上杉博物館 屏風六曲一双 紙本金地着色 各隻: 縦160.6cm、横364.0cm 国宝
歴博乙本 国立歴史民俗博物館所蔵 屏風六曲一双 紙本金地着色 各隻: 縦158.3cm、横364.0cm 重要文化財

洛中洛外図のはじまり[編集]

三条西実隆の日記である実隆公記永正3年(1506年)の次の記述が、洛中洛外図に関する最古の文献史料とされている [1]

甘露寺中納言来る、越前朝倉屏風を新調す、一双に京中を画く、土佐刑部大輔(光信)新図、尤も珍重の物なり、一見興有り

実隆が、いとこ甘露寺元長から土佐光信作の京都を描いた越前朝倉家発注の屏風を見せられ、珍しく興味深いものだったという感想を記述していると解釈されている。当時の越前朝倉家の当主は朝倉貞景で、甘露寺家とは姻戚関係があった。この屏風は現存しない。

歴博甲本[編集]

国立歴史民俗博物館所蔵。三条家に伝来しのちに町田氏所蔵になった経緯のため、三条本あるいは町田本ともいう。1940年(昭和15)に重要文化財に指定されている[2]

絵の内容から、中心主題は1525年(大永5年)4月に成立した細川稙国の新政権と細川高国で、景観年代と制作年代もその時期、作者は狩野元信およびその周辺の狩野派絵師と推定されている[3]

描かれた人物の多くは、明応年間(1492年から1501年)頃制作の職人歌合である三十二番職人歌合および七十一番職人歌合の職人たちと対照できる[4]

東博模本[編集]

東京国立博物館所蔵。屏風絵の扇ごとの写しで、右隻第五扇が欠失して十一幅が現存している。下端に記載された模写した人の名前から、江戸時代前期の延宝年間(1673年から1681年)頃に狩野中橋家の門人たちによって模写されたものとされている[5]。原本は現存せず、模写までの伝来も不明である。

絵の内容から、発注者は阿波細川家の関係者、景観年代および制作年代は1539年(天文8年)から1545年(天文14年)の間、作者は狩野派絵師と推定されている[6]

上杉本[編集]

上杉本 右隻
上杉本 左隻

米沢藩藩主の上杉家に伝来していたもので、米沢市上杉博物館所蔵。織田信長から上杉謙信に贈られた狩野永徳の作品とされている。1995年に国宝指定。

絵の内容から、景観年代は室町幕府十三代将軍足利義輝が在職中の永禄4年(1561年)から永禄8年5月までの間と推定されている。また、上杉家の記録により、絵が完成したのは永禄8年(1565年)9月3日、織田信長から上杉謙信に贈られたのは天正2年(1574年)3月とされている[7]

こうした状況から、上杉本は次の経緯を経て上杉家に伝来したと推定されている[8]。足利義輝は、上杉謙信に上洛して管領に就任せよというメッセージを込めて贈るため、洛中洛外図を狩野永徳に発注した。しかし、永禄8年5月に義輝が非業の死を遂げた結果、同年9月に完成した絵は永徳の許にとどまった。織田信長が上洛したあとの天正2年、永徳は信長に接近し、信長が当時同盟を結ぶ必要があった謙信に絵が贈られた。

研究史[編集]

上杉本は、1911年(明治44年)の福井利吉郎による歴史地理学会での講演で織田信長から上杉謙信に贈られた確実な証拠のある狩野永徳の作品として紹介され、学会および一般に知られるようになった。信長から謙信に贈られた証拠となるのは、越佐史料に所収された上杉年譜などの諸史料である。

その後美術史および建築史の観点から、本当に狩野永徳の作品であるのか、また景観年代はいつなのか、といった論点を中心に研究が進められた。

1988年に発表された今谷明の論文は、描かれた武家屋敷や寺社建築、武士の行装などを検証した結果から、上杉本の景観は天文16年(1547年)五月から閏七月であるとした。また、上杉本の作者は天文16年時点でわずか4歳だった狩野永徳ではないことと、信長から謙信に贈ったとする上杉年譜の記述が疑わしいことを主張した[9]

それに対して美術史家からは、落款・筆跡・画風を再検討した結果、上杉本はやはり狩野永徳の作品であるという反論がなされた。瀬田勝哉は景観について、すでにないものであってもあるかのように描く「復元表現」の可能性があることや、三好筑前邸に永禄4年(1561年)に新築された記録のある茨木門が描かれていることから、永禄4年以降のものだとした。黒田日出男は上杉年譜について再検討した結果、その元となったと考えられる『(謙信候)御書集』の次の記述を発見し、上杉年譜の記述は信じるべきものとした[10]

同年三月、尾州織田信長、為使介佐々市兵衛遣于越府、被贈屏風一双、畫工狩野源四郎貞信、入道永徳斎、永禄八年九月三日畫之、花洛盡、被及書札

現在では黒田らの主張(足利義輝の依頼で永徳が制作し、信長が上杉謙信に贈ったこと)が通説とされている。

歴博乙本[編集]

国立歴史民俗博物館所蔵。1985年に古美術商の高橋氏が所蔵しているときにはじめて公開されたため、高橋本とも呼ばれる。

絵の内容から、景観年代および制作年代は上杉本よりもあとの1580年代、作者は狩野松栄(永徳の父)およびその周辺の狩野派絵師と推測されている[11]

江戸時代以降[編集]

江戸時代以降も洛中洛外図は多く制作された。高く評価されているのは、17世紀前半に制作されたものである。重要文化財に指定されているものは、次の4点である。

重要文化財に指定された江戸時代以降の洛中洛外図
名称 所蔵 形式 大きさ 備考
舟木本 東京国立博物館 屏風六曲一双 紙本金地著色
勝興寺本 富山県高岡市 勝興寺 屏風六曲一双 紙本金地著色
池田本 林原美術館 屏風六曲一双 紙本金地着色
福岡市博物館本 福岡市博物館 屏風六曲一双 紙本金地着色

また、朝鮮通信使が描かれているものがあることも江戸期の洛中洛外図の特徴の一つとして挙げることが出来る。10点ほどが知られており、代表的なものとして今井町本(奈良・個人蔵、六曲一双金地着色)、守護家本(富山・個人蔵、六曲一双金地着色)、紀州徳川家旧蔵とされる米・ボストン美術館のものなどがある。

舟木本[編集]

東京国立博物館所蔵。1958年重要文化財指定。

左隻に二条城(徳川)、右隻に方広寺大仏殿(豊臣)を対比的に描いている。慶長年間の京都を描き、岩佐又兵衛の作ともいわれる。中心に大きく市街地を置き、歌舞伎小屋や遊女屋などの都市風俗や、庶民の生活が生き生きと描かれており、洛中洛外図の中でも個性的である。

勝興寺本[編集]

富山県高岡市にある勝興寺に伝わるもの。1994年重要文化財指定。

二条城と方広寺大仏殿を対比させている。元和年間の京都を描き、狩野派(狩野孝信)の作といわれる。

池田本[編集]

林原美術館所蔵。1996年重要文化財指定。岡山藩の池田家に伝わったもの。元和年間の京都を描いたとされる。

福岡市博物館本[編集]

福岡市博物館所蔵。2011年重要文化財指定。

京の全体を描く洛中洛外図の定型からは外れ、二条城も大仏殿も描かれていない。右隻に寺町通り沿いの店舗や清水寺など、左隻に賀茂川以西の景観を描いている。狩野孝信作という説が有力[12]

その他[編集]

  • 狩野永徳が織田信長の依頼で「安土城下図」を描き、バチカンに贈られたという。
  • 江戸時代初期に江戸を描いた「江戸図屏風」もある(国立歴史民俗博物館所蔵)。
  • CD『国宝「上杉本 洛中洛外図屏風」を聴く』(鈴木広志group×大場陽子)が発売された(財団法人米沢上杉文化振興財団、2010年)。
  • 伏見桃山城キャッスルランドに建築された伏見城の模擬天守閣は、池田本の描写を参考に建築された[13]

出典[編集]

  1. ^ 小島道裕『描かれた戦国の京都 洛中洛外図屏風を読む』(吉川弘文館、2009年)P.3
  2. ^ 文化庁 国指定文化財等データベース
  3. ^ 小島道裕『描かれた戦国の京都 洛中洛外図屏風を読む』(吉川弘文館、2009年)P.18-60
  4. ^ 石田尚豊「洛中洛外図屏風の概観 - 町田家旧蔵本を中心として」『洛中洛外図大観 町田氏旧蔵本』(小学館、1987)収録
  5. ^ 群馬県立博物館・米沢市上杉博物館・林原美術館「三館共同企画展 洛中洛外図屏風に描かれた世界」展覧会カタログ P.100
  6. ^ 小島道裕『描かれた戦国の京都 洛中洛外図屏風を読む』(吉川弘文館、2009年)P.98-127
  7. ^ 黒田日出男『謎解き 洛中洛外図』(岩波書店、1996年)
  8. ^ 小島道裕『描かれた戦国の京都 洛中洛外図屏風を読む』(吉川弘文館、2009年)P.132-133
  9. ^ 今谷明『京都・一五四七年―上杉本洛中洛外図の謎を解く』(平凡社、2003年)
  10. ^ 黒田日出男『謎解き 洛中洛外図』(岩波書店、1996年)
  11. ^ 小島道裕『描かれた戦国の京都 洛中洛外図屏風を読む』(吉川弘文館、2009年)P.156-157
  12. ^ 文化庁、国指定文化財等データベース[1]
  13. ^ “伏見桃山城、活用策決まらず10年”. 京都新聞 (京都新聞社). (2012年10月29日). http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20121029000080 2012年11月1日閲覧。 

文献[編集]

《『洛中洛外図屏風』文献目録》に、藤原重雄による詳細な文献一覧がある。

  • 図説 上杉本洛中洛外図屏風を見る(小沢弘・川嶋将生、河出書房新社、1994年)
  • 謎解き洛中洛外図(黒田日出男、岩波新書、1996年)
  • 洛中洛外図 舟木本 - 町のにぎわいが聞こえる(奥平俊六、小学館、2001年)
  • 特別展図録『狩野永徳』(山本英男他、京都国立博物館、2007)
  • 「新指定の文化財」『月刊文化財』382号(第一法規、1995)
  • 『国宝 上杉本 洛中洛外図屏風』(財団法人米沢上杉文化振興財団、米沢市上杉博物館、2001)
  • 『描かれた戦国の京都 洛中洛外図屏風を読む』(小島道裕、吉川弘文館、2009年)
  • CD–ROM版『国宝・上杉家本洛中洛外図大観』(下坂守、小学館、2002年)
  • 『聚美vol.11 特集:豊臣の風景と洛中洛外図』(聚美社、2014年)

外部リンク[編集]