河鍋暁斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

長唄の会 番組「連獅子」より
河鍋暁斎記念美術館 (埼玉県蕨市)

河鍋 暁斎(かわなべ きょうさい、1831年5月18日天保2年4月7日) - 1889年明治22年)4月26日)は幕末から明治にかけて活躍した絵師。明治初期に投獄されたこともあるほどの反骨精神の持ち主で、多くの戯画や風刺画を残している。

狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れ自らを「画鬼」とも号している。その筆力・写生力は群を抜いており、海外でも高く評価されている。

目次

[編集] 生涯

1831年(天保2年)、下総国古河(茨城県古河市)に生まれる。父は古河藩士(養子)で、のちに幕臣の定火消同心となる。幼名は周三郎。

1837年(天保8年)、歌川国芳に入門。「生首の写生」の伝説を残す。1840年、(天保11年) 狩野派に入門。1849年嘉永2年)、師の狩野洞白より洞郁陳之(とういくのりゆき)の号を与えられる。

1858年安政5年)、絵師として独立。この後、『狂斎画譜』『狂斎漫画』などを出版。

1868年(明治元年)、徳川氏転封とともに静岡へ移る。1870年(明治3年)、政治批判をしたとして逮捕・投獄。翌年の出獄後は「暁斎」を名乗る。仮名垣魯文の『安愚楽鍋』・『西洋道中膝栗毛』などの挿絵を描く。1876年(明治9年)、エミール・ギメらの訪問を受ける。1881年(明治14年)、第2回内国勧業博覧会に出品した『枯木寒鴉図』が「妙技二等」を受賞。建築家ジョサイア・コンドルが入門。

1889年(明治22年)、胃癌のため逝去。

[編集] 関連文献

※近年刊行のみ。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ
他の言語