河鍋暁斎
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河鍋暁斎(かわなべ きょうさい、1831年(天保2年) - 1889年(明治22年)4月26日)は幕末から明治にかけて活躍した絵師。明治初期に投獄されたこともあるほどの反骨精神の持ち主で、多くの戯画や風刺画を残している。狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れている。その筆力・写生力は群を抜いており、海外でも高く評価されている。
[編集] 生涯
- 1831年(天保2年) 古河(茨城県古河市)に生まれる。父は古河藩士(養子)で、のちに幕臣の定火消同心となる。幼名は周三郎。
- 1837年(天保8年) 歌川国芳に入門。「生首の写生」の伝説を残す。
- 1840年(天保11年) 狩野派に入門。
- 1849年(嘉永2年) 師の狩野洞白より洞郁陳之(とういくのりゆき)の号を与えられる。
- 1858年(安政5年) 絵師として独立。
- この後、『狂斎画譜』『狂斎漫画』などを出版。
- 仮名垣魯文の『安愚楽鍋』・『西洋道中膝栗毛』などの挿絵を描く。
- 1876年(明治9年) エミール・ギメらの訪問を受ける。
- 1881年(明治14年) 第2回内国勧業博覧会に出品した『枯木寒鴉図』が「妙技二等」を受賞。建築家ジョサイア・コンドルが入門。
- 1889年(明治22年) 胃がんのため逝去。

