国立民族学博物館 (オランダ)

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Japanese Map symbol (Museum) w.svg 国立民族学博物館
Rijksmuseum Volkenkunde
国立民族学博物館
施設情報
来館者数 76,315人 (2008年)
館長 Steven Engelsman
開館 1837
所在地 {{{所在地郵便番号}}}
オランダライデン
位置 北緯52度09分47秒 東経4度28分57秒 / 北緯52.163056度 東経4.4825度 / 52.163056; 4.4825座標: 北緯52度09分47秒 東経4度28分57秒 / 北緯52.163056度 東経4.4825度 / 52.163056; 4.4825
ウェブサイト http://www.rmv.nl/index.aspx?lang=en
公式サイト http://www.rmv.nl/index.aspx?lang=en
プロジェクト:GLAM
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国立民族学博物館(オランダ語: Rijksmuseum VolkenkundeまたはRMV)とは、ライデン市にあるオランダ国立の民族学に関する博物館である。

ヨーロッパ初の民族学博物館[編集]

この機関は当初「日本博物館(ラテン語: Museum Japonicum)」と呼ばれていた。ヨーロッパではじめて、自然のものではなく人工物を蒐集の対象とした博物館で、そのようなコレクションが単なる好奇によるもの以上になることを示す革新的な博物館であった。設置当初から、すくなくとも蒐集・科学的研究・公衆への展示・教育的解説の四つの方針を据えていた[1]

1830年代初頭、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトはベルギーの革命にともなう政治的混乱を避け、そこよりおだやかであったライデン大学へと移った。その数年後、シーボルトの約5,000点の日本に関するコレクションを中心にあたらしい博物館ができることになる[2]。シーボルトのライデンでの邸宅は公開され、その日本で8年間かけて蒐集し、ヨーロッパに持ち帰った資料が展示されていた。のち、シーボルトが自身のコレクションをウィレム1世に寄附したことが契機となり、王家のコレクションの一部として、ライデンに民族学に関する博物館を設置することとなる(オランダ語: Rijks Japansch Museum Von Siebold)。オランダ王家は、それまでに1826年にヤン・コック・ブロンホフから、1832年にヨハン・フレデリク・ファン・オーフェルメール・フィッセル(オランダ語: Johannes Gerhard Frederik van Overmeer Fischer)から、小規模な日本に関するハーグのコレクションを購入していたが、王家のコレクション(オランダ語: Koninklijk Kabinet van Zeldzaamheden)が閉鎖となったとき、このふたつのコレクションがライデンの博物館に移され、国立博物館へと繋がったのである[3]

1843年、シーボルトはヨーロッパに対して、ライデンに作られたような民族学研究機関を作るよう促した。そのなかで、「殖民地を有するヨーロッパ国家にとって、[そのような機関を]設置する重要性は、支配する民族を理解し、あるいは公衆や市場における関心を引き起こす役割をそのような機関が果たすことにある。これらのすべてが貿易が成功するために欠かせない条件となる」と述べている[4]

1864年に民族学博物館(オランダ語: Rijks Ethnographisch Museum)となって以来、1935年からRijksmuseum voor Volkenkundeと呼ばれ、その後2005年にMuseum Volkenkundeと改称[5]、さらに2013年よりRijksmuseum Volkenkundeと呼ばれるようになった。

所蔵品[編集]

博物館は、現在ではアジア・アフリカ・インドネシア・オセアニア・韓国・中国・南北アメリカ・日本に関する多くの資料を所蔵している。所蔵品の蒐集にあたって、世界の各文化の発展を描きだすような資料の蒐集に努めてきた。そんな博物館の収蔵品の基礎は、日本が鎖国しているあいだに唯一開かれていた長崎の出島で集められたものに置かれている。

ブロンホフ・コレクション[編集]

オランダ東インド会社(オランダ語: Vereenigde Oostindische Compagnie)のカピタン(オランダ語: Opperhoofd)として、出島に1817年から1823年までいたヤン・コック・ブロンホフは、特異な存在であった。西洋人に対して鎖国をしていたにもかかわらず、かれは妻と息子を同行したのである[6]。幕府は、このカピタンを受け入れないという反応をもってした。結果として妻子が帰国することで落着したが、このことは、在職中に民具などにまで蒐集のはばを拡げさせることになった。

フィッセル・コレクション[編集]

ヨハン・フレデリク・ファン・オーフェルメール・フィッセル(オランダ語: Johannes Gerhard Frederik van Overmeer Fischer)は、当初出島でクラークとして働き、のちにオランダ語: pakhuismeesterに昇進した。日本で働いているあいだ、フィッセルは自由に日本文化に触れられたわけではなかったが、交友範囲の広さによって、ほかのひとにしてみればたいしたことのない「普通」の物品をあるていど集めることができた。1829年、オランダにもたらされる。1833年、フィッセルは『日本の国についての新見』(オランダ語: Bijdrage tot de kennis van het Japansche rijk)を出版する。[7]

シーボルト・コレクション[編集]

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、蘭医として長崎で1823年から29年にかけて働き、長崎の日本人への診療の対価として、ヨーロッパで患者たちにとっては予期せぬ学術的注目を集めることとなる文物や工芸品を受け取った。これらの日常品には、江戸時代後期の日本の家事用品や木版画、道具類が含まれ、シーボルトの民族学的コレクションの基礎となった。さらなる情報をもとに、シーボルトは『日本 (Nippon)』を刊行した。シーボルトの職業的な関心から、日本の伝統的医療で用いられた器具も集められた[8]。2005年から、シーボルトの旧宅のひとつにシーボルトハウスとして博物館が設けられ、コレクションの一部を所蔵・展示しはじめた。

関連項目[編集]

参照文献[編集]

  1. ^ Otterspeer, W. (1989). Leiden Oriental Connections, 1850-1940, p. 391.
  2. ^ Otterspeer, p. 289.
  3. ^ R. Effert. (2008). Royal Cabinets and Auxiliary Branches: Origins of the National Museum of Ethnology 1816-1883. Leiden: Leiden University Press.
  4. ^ Carbonell, Bettina. (2004). Museum Studies: An Anthology of Contexts, p. 134, citing Siebold, Philipp. (1843). Lettre sur l'utilité des Musées Ethnographiques et sur l'importance de leur création dans états européens qui posèdents des Colonies, p. 10.
  5. ^ Verzamelde Collectieprofielen, Museum Volkenkunde, [2008].
  6. ^ Bersma Rene. (2002). Titia, the First Western Woman in Japan.
  7. ^ Frederiks, Johannes. (1888). Biographisch woordenboek der Noord-en Zuidnederlandsche letterkunde, p. 250.
  8. ^ Alpen, Jan. (1995) Oriental Medicine: An Illustrated Guide to the Asian Arts of Healing, p. 7.
  • Alpen, Jan van and Anthony Aris. (1995) Oriental Medicine: An Illustrated Guide to the Asian Arts of Healing. Chicago: Serinda Publications. ISBN 0-906026-36-9
  • Bolitho, Harold. (2003) "Book Review: Titia: The First Western Woman in Japan by Rene P. Bersma," Pacific Affairs, Vol. 76, No. 4. pp. 662-663. University of British Columbia.
  • Carbonell, Bettina Messias. (2004). Museum Studies: An Anthology of Contexts. New York: Wiley-Blackwell Publishing. 10-ISBN 0-631-22830-6; 13-ISBN 978-0-631-22830-1
  • {{{1}}} Frederiks, Johannes Godefridus and F. Jos. van den Branden. (1888). "Johannes Gerhard Frederik van Overmeer Fischer," Biographisch woordenboek der Noord- en Zuidnederlandsche letterkunde. Amsterdam: L.J. Veen.
  • Otterspeer, W. (1989). Leiden Oriental Connections, 1850-1940, Vol. V: Studies in the History of Leiden University. Leiden: E. J. Brill. 10-ISBN 90-04-09022-3; 13-ISBN 978-90-04-09022-4 (paper)
  • Siebold, Philipp Franz von. (1843). Lettre sur l'utilité des Musées Ethnographiques et sur l'importance de leur création dans états européens qui posèdents des Colonies. Paris: Librarie de l'Institut.
  • Rudolf Effert: Royal cabinets and auxiliary branches : origins of the National Museum of Ethnology, 1816-1883. Leiden, 2008. ISBN 978-90-5789-159-5
  • Edo-Tokyo Museum exhibition catalog. (2000). A Very Unique Collection of Historical Significance: The Kapitan (the Dutch Chief) Collection from the Edo Period—The Dutch Fascination with Japan. Catalog of "400th Anniversary Exhibition Regarding Relations between Japan and the Netherlands," a joint project of the Edo-Tokyo Museum, the City of Nagasaki, the National Museum of Ethnology, the National Natuurhistorisch Museum and the National Herbarium of the Netherlands in Leiden, the Netherlands. Tokyo.
  • {{{1}}} Topstukken van Rijksmuseum Volkenkunde. KIT Publishers, Amsterdam, 2013. ISBN 9789460222535

外部リンク[編集]