村田実
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村田実(むらたみのる、1894年3月2日-1937年6月24日)は、大正・昭和初期の映画監督。
東京市神田に生まれる。東京高等師範学校附属中学校卒業後、1912年、新劇団を結成し、活動するうち、青山杉作、沢田正二郎、小山内薫らと知り合う。
1918年、帰山教正監督の『生の輝き』に出演したのが縁で、1920年、松竹キネマ設立と同時に、小山内薫とともに入社。『光に立つ女(女優伝)』を監督する。翌1921年、小山内が「松竹キネマ研究所」を設立すると行動をともにし、その最初の作品『路上の霊魂』の監督、出演をこなした。
その後、「映画研究所」解散後、松竹蒲田、国活、日活向島を経て、関東大震災後、日活京都撮影所に移る。1924年の『清作の妻』が新人浦辺粂子の熱演もあり、好評を得、1926年の『日輪』では、村山知義の抽象画風の装置を演出に取り入れ、話題となった。カットごとに演出を細分化する、いわゆる映画的技法を最初に確立した監督の一人と言われている。容赦なく自分の型に俳優をはめ込もうとして演技指導は苛烈を極め岡田嘉子など当時の大女優とトラブルが多かった。
その後、牛原虚彦と『映画科学研究』を創刊するなど、後進の指導にも注力した。1937年、糖尿病を患い44歳の若さで世を去った。
[編集] 代表作
- 光に立つ女(女優伝)(1920年)
- 路上の霊魂(1921年)
- 君よ知らずや(1921年)
- 奉仕の薔薇(1921年)
- 清作の妻(1924年)
- 街の手品師(1925年)
- 孔雀の光(1926年)
- 日輪(1926年)
- 灰燼(1929年)
- 霧笛(1934年)

