日韓戦 (サッカー)

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サッカーにおける日韓戦(にっかんせん)とは、サッカー日本代表(以下「日本」)およびサッカー大韓民国代表(以下「韓国」)の両代表の間で行われる国際試合のことである。「日韓戦」の呼称は日本から見た呼称であり、韓国では「韓日戦朝鮮語: 한일전)」と呼ばれている。日本のマスメディアでは「日韓戦」とするものが多いが、韓国がホームの場合はFIFAの公式表記に準じて「韓日戦」と呼ぶマスメディア(例としてフジテレビ[1])もある。

本項目では、特に断りがない限り男子A代表(年齢制限のないその国最強の代表)について記載する。

概要[編集]

日本サッカー協会 (JFA) と大韓サッカー協会 (KFA) はともにアジア地区を統括するアジアサッカー連盟 (AFC) に属し、同時に東アジアサッカー連盟 (EAFF) にも所属する。両国は海を隔てた隣国で歴史的にも密接な関係を有するため、両国代表間の試合は他の試合に比べて特殊な雰囲気を持つとされる。そのため、しばしばその政治性が問題となることもあった(詳細は「話題となったメッセージなど」の節を参照)。2010年より日本代表監督を務めているアルベルト・ザッケローニ監督は、日韓戦を母国イタリアとドイツの試合と同等のものであるとコメントしている[2]

2013年7月28日までに73試合が行われている。戦績は日本の13勝、韓国の38勝、22引き分けとなっており、韓国が大きく勝ち越している。なお、引き分けの中には公式戦によりPK戦が行われたものが4度あり、日本が3勝、韓国が1勝となっている。日韓戦が行われるようになってからしばらくは韓国が大きく勝ち越していたものの、1993年日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立前後からはほぼ互角の戦績となっている。また、1985年から1991年にかけて日本は6連敗を喫したが、そのうち5試合は1点差の惜敗であった(詳細は「両国の通算戦績」の節を参照)。

日本にとっては長年、FIFAワールドカップオリンピックに出場して世界の舞台で戦うためには韓国はアジア地区予選で避けては通れなかった相手であった。しかし、時代とともにアジア地区の参加チーム数(国・地域)が増加したことや、現在はアジアに割り当てられる出場枠が拡大され両国ともにシードとなることも増えたため、直接顔を合わせることは以前に比べ稀となった。

歴史[編集]

初の日韓戦[編集]

日本と韓国による初めての国際試合は、1954年3月7日および3月14日に日本の東京都明治神宮外苑競技場で行われた、同年に開催されるFIFAワールドカップ・スイス大会のアジア地区予選の第1戦である[注 1]。この予選は本来ホーム・アンド・アウェー方式で行われるはずであったが、韓国側が李承晩大統領(当時)の意向を受けて自国開催(日本代表の入国)を拒否したため、2試合とも東京での開催となった。

予選では日本がホーム開催というアドバンテージを得ていながら、史上初の日韓戦となる第1戦では1-5の大差で敗北を喫した。この時の日本の得点は長沼健によるもので、これが日韓戦の第1号ゴールであり、同時にFIFAワールドカップ予選における日本代表の第1号ゴールでもあった。なお、この試合で記録された失点は対韓国戦最多失点記録となっている(2013年7月現在)。続く第2戦では2-2で辛くも引き分けたものの、総スコア3-7で日本が敗れたため、韓国がアジア代表としてFIFAワールドカップに初出場した。

定期戦[編集]

1972年からは、年に1回程度日韓定期戦が行われるようになった。第1回定期戦は国立霞ヶ丘陸上競技場で開催され、2-2で引き分けた。その後1991年まで全15回行われ、日本の3勝2分10敗という結果となっている。その後は定期戦の開催は中断されているが、2013年には大韓サッカー協会の鄭夢奎会長が記者団に対して、日本サッカー協会と2014年10~11月ごろに親善試合を行うことで合意しその後毎年定期戦を行っていくことを明らかにした、と報じられた。

問題となった政治的メッセージなど[編集]

隣国関係に位置する両国の政府は外交問題や歴史認識問題などを抱えており、これらの問題が政治の場を越えてスポーツの場に持ち込まれることもしばしば起きているが、複雑な対日感情を抱えている韓国側から持ち込まれるケースがほとんどである。

2011年1月25日に行われたAFCアジアカップ2011の準決勝前半、奇誠庸がPKで得点した直後にTVカメラに向かって日本人を侮辱する人種差別的な「猿」の物真似パフォーマンスを行い物議を醸した[3]

2012年8月10日に行われたロンドン五輪男子サッカー3位決定戦では、試合直後に韓国の朴鍾佑国旗太極旗と一緒に「独島〔竹島の韓国名〕はわれわれの領土」とハングルで書かれたメッセージを掲げ[4][5]国際オリンピック委員会 (IOC) およびFIFAが調査を行う事態となった[6][7]

2013年7月28日に行われた東アジアカップ第3戦では、韓国側応援団安重根李舜臣の肖像と共に「歴史を忘れた民族に未来はない」と書かれた横断幕を掲げたことが問題視された[8]。この横断幕は2010年10月12日ソウルで行われた国際親善試合の際にも、やはり安重根や李舜臣の肖像と一緒にスタジアムに掲げられていたことが確認されている(ちなみにこの時は、「日本沈没」と書かれたゲーフラや、バナナの絵の下に「ご飯食べた?」とハングルで書かれた人種差別的なゲーフラも掲げられていた)。これに対して韓国側からは、日本の応援団の1人が応援旗として掲げた旭日旗が「日本軍国主義の象徴」であると非難された[9]が、これは「安重根横断幕」に代表される韓国側応援団の常習的ともいえる日本に対する挑発的行為への「報復」だったとしている[10]

他方で、両国の友好関係を示すメッセージが掲げられたこともある。1997年11月1日に行われたFIFAワールドカップ・アジア最終予選グループB第9節で、ワールドカップ出場が危ぶまれていた日本はアウェイで既に出場を決めていた韓国と対戦し、2-0で勝利した。この試合で、韓国応援団が日本に対して「Let's Go To France Together〔フランスに一緒に行こう〕」と書かれた旗を示し、試合後は韓国の応援団が「ニッポン」コールを行い、日本の応援団がこれに応えてエールの交換を行った[11][12]。なお、この「Together〔一緒に〕」という単語は、その後2002年の両国によるワールドカップ共同開催にあたって出版された両国の選手(中田英寿および洪明甫)の共同作業による著書[13][14]や、Voices of KOREA/JAPANによる同大会公式テーマソングのタイトルの中にも表れている。

両国の通算戦績[編集]

2013年7月28日の対戦まで

 日本勝ち 引き分け  韓国勝ち
 日本
PK勝ち
90分
引き分け
 韓国
PK勝ち
13 22 38
3 18 1

開催地別成績[編集]

 日本 開催地  韓国
日本の旗 日本 中立地 韓国の旗 韓国
試合数 29 22 22 試合数
勝数 6 2 5 敗数
引分数 8 11 3 引分数
敗数 15 9 14 勝数

A代表対戦一覧[編集]

対戦日時 日本の旗 日本 結果 韓国の旗 韓国 大会など 会場
1 1954年3月7日 竹腰重丸 1 - 5 - FIFAワールドカップ スイス大会 アジア地区予選 明治神宮外苑競技場 日本
2 1954年3月14日 竹腰重丸 2 - 2 - FIFAワールドカップ スイス大会 アジア地区予選 明治神宮外苑競技場 日本
3 1956年6月3日 竹腰重丸 2 - 0 - メルボルンオリンピック アジア地区予選 後楽園競輪場 日本
4 1956年6月10日 竹腰重丸 0 - 2
延長
- メルボルンオリンピック アジア地区予選 後楽園競輪場 日本
5 1959年9月5日 竹腰重丸 0 - 0 - ムルデカ大会1959 敗者復活戦 第3試会 ムルデカ・スタジアム マレーシア
6 1959年9月6日 竹腰重丸 1 - 3 - ムルデカ大会1959 プレーオフ ムルデカ・スタジアム マレーシア
7 1959年12月13日 竹腰重丸 0 - 2 - ローマオリンピック アジア地区予選 後楽園競輪場 日本
8 1959年12月20日 竹腰重丸 1 - 0 - ローマオリンピック アジア地区予選 後楽園競輪場 日本
9 1960年11月6日 高橋英辰 1 - 2 - FIFAワールドカップ チリ大会 アジア地区予選 ソウル 韓国
10 1961年6月11日 高橋英辰 0 - 2 - FIFAワールドカップ チリ大会 アジア地区予選 後楽園競輪場 日本
11 1962年8月30日 高橋英辰 0 - 1 - 第4回アジア競技大会 ジャカルタ インドネシア
12 1963年8月13日 長沼健 1 - 1 - ムルデカ大会1963 グループステージ 第4戦 ムルデカ・スタジアム マレーシア
13 1967年10月7日 長沼健 3 - 3 - メキシコシティオリンピック アジア地区予選 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
14 1969年10月12日 長沼健 2 - 2 - FIFAワールドカップ メキシコ大会 アジア地区予選 ソウル 韓国
15 1969年10月17日 長沼健 0 - 2 - FIFAワールドカップ メキシコ大会 アジア地区予選 ソウル 韓国
16 1970年8月2日 岡野俊一郎 1 - 1 - ムルデカ大会1970 グループステージ 第2戦 ムルデカ・スタジアム マレーシア
17 1970年12月18日 岡野俊一郎 1 - 2
延長
- 第6回アジア競技大会 バンコク タイ
18 1971年10月2日 岡野俊一郎 1 - 2 - ミュンヘンオリンピック アジア地区予選 ソウル 韓国
19 1972年7月26日 長沼健 0 - 3 - ムルデカ大会1972 決勝トーナメント 準決勝 ムルデカ・スタジアム マレーシア
20 1972年9月14日 長沼健 2 - 2 - 第1回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
21 1973年6月23日 長沼健 0 - 2 - 第2回 日韓定期戦 ソウル 韓国
22 1974年9月28日 長沼健 4 - 1 - 第3回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
23 1975年8月9日 長沼健 1 - 3 - ムルデカ大会1975 グループステージ 第5戦 ムルデカ・スタジアム マレーシア
24 1975年9月8日 長沼健 0 - 3 - 第4回 日韓定期戦 ソウル 韓国
25 1976年3月21日 長沼健 0 - 2 - モントリオールオリンピック アジア地区予選 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
26 1976年3月27日 長沼健 2 - 2 - モントリオールオリンピック アジア地区予選 ソウル 韓国
27 1976年8月18日 二宮寛 0 - 0 - ムルデカ大会1976 グループステージ 第5戦 ムルデカ・スタジアム マレーシア
28 1976年12月4日 二宮寛 1 - 2 - 第5回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
29 1977年3月26日 二宮寛 0 - 0 - FIFAワールドカップ アルゼンチン大会 アジア地区予選 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
30 1977年4月3日 二宮寛 0 - 1 - FIFAワールドカップ アルゼンチン大会 アジア地区予選 ソウル 韓国
31 1977年6月15日 二宮寛 1 - 2 - 第6回 日韓定期戦 ソウル 韓国
32 1978年7月19日 二宮寛 0 - 4 - ムルデカ大会1978 グループステージ 第1戦 ムルデカ・スタジアム マレーシア
33 1978年12月15日 二宮寛 1 - 3 - 第8回アジア競技大会 バンコク タイ
34 1979年3月4日 下村幸男 2 - 1 - 第7回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
35 1979年6月16日 下村幸男 1 - 4 - 第8回 日韓定期戦 ソウル 韓国
36 1980年3月22日 下村幸男 1 - 3 - モスクワオリンピック アジア地区予選 クアラルンプール マレーシア
37 1981年3月8日 川淵三郎 0 - 1 - 第9回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
38 1981年6月21日 森孝慈 0 - 2 - 大韓民国大統領全斗煥)杯 釜山 韓国
39 1982年3月21日 森孝慈 0 - 3 - 第10回 日韓定期戦 ソウル 韓国
40 1982年11月25日 森孝慈 2 - 1 - 第9回アジア競技大会 ニューデリー インド
41 1983年3月6日 森孝慈 1 - 1 - 第11回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
42 1984年9月30日 森孝慈 2 - 1 - 第12回 日韓定期戦 ソウル 韓国
43 1985年10月26日 森孝慈 1 - 2 - FIFAワールドカップ メキシコ大会 アジア地区予選 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
44 1985年11月3日 森孝慈 0 - 1 - FIFAワールドカップ メキシコ大会 アジア地区予選 ソウル 韓国
45 1988年10月26日 横山謙三 0 - 1 - 第13回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
46 1989年5月5日 横山謙三 0 - 1 - 第14回 日韓定期戦 ソウル 韓国
47 1990年7月27日 横山謙三 0 - 2 李会沢 ダイナスティカップ1990 グループリーグ 第1節 北京 中国
48 1991年7月27日 横山謙三 0 - 1 - 第15回 日韓定期戦 長崎県立総合運動公園陸上競技場 日本
49 1992年8月22日 ハンス・オフト 0 - 0 金皓 ダイナスティカップ1992 グループリーグ 第1節 北京 中国
50 1992年8月29日 オフト
(○)
2 - 2
[PK 4-2]

(●)
金皓 ダイナスティカップ1992 決勝戦[注 2] 北京 中国
対戦日時 日本の旗 日本 結果 韓国の旗 韓国 大会など 会場
51 1993年10月25日 オフト 1 - 0 金皓 FIFAワールドカップ アメリカ大会 アジア地区予選 ドーハ カタール
52 1994年10月11日 ファルカン 2 - 3 ブイショヴェツ 第12回アジア競技大会 準々決勝 広島スタジアム 日本
53 1995年2月21日 加茂周 1 - 1 ブイショヴェツ ダイナスティカップ1995 グループリーグ 第1節 香港スタジアム 香港
54 1995年2月26日 加茂周
(○)
2 - 2
[PK 5-3]

(●)
- ダイナスティカップ1995 決勝戦 香港スタジアム 香港
55 1997年5月12日 加茂周 1 - 1 - 国際親善試合 FIFAワールドカップ共催記念 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
56 1997年9月28日 加茂周 1 - 2 車範根 FIFAワールドカップ フランス大会 アジア地区最終予選 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
57 1997年11月1日 岡田武史 2 - 0 車範根 FIFAワールドカップ フランス大会 アジア地区最終予選 蚕室総合運動場(ソウル) 韓国
58 1998年3月1日 岡田武史 2 - 1 車範根 ダイナスティカップ1998 第1節 横浜国際総合競技場 日本
59 1998年4月1日 岡田武史 1 - 2 車範根 国際親善試合 FIFAワールドカップ共催記念 ソウル 韓国
60 2000年4月26日 トルシエ 0 - 1 許丁茂 国際親善試合 ソウル 韓国
61 2000年12月20日 トルシエ 1 - 1 許丁茂 国際親善試合 キリンビバレッジ 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
62 2003年4月16日 ジーコ 1 - 0 コエリョ 国際親善試合 ソウル 韓国
63 2003年5月31日 ジーコ 0 - 1 コエリョ 国際親善試合 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
64 2003年6月3日 ジーコ (延期) コエリョ 東アジアサッカー選手権2003 横浜国際総合競技場 日本
2003年12月11日 ジーコ 0 - 0 コエリョ 東アジアサッカー選手権2003 第3節
65 2005年8月7日 ジーコ 1 - 0 ボンフレール 東アジアサッカー選手権2005 第3節 大邱ワールドカップ競技場 韓国
66 2007年7月28日 オシム
(●)
0 - 0
[PK 5-6]

(○)
ピム AFCアジアカップ2007 3位決定戦 パレンバン インドネシア
67 2008年2月23日 岡田武史 1 - 1 許丁茂 東アジアサッカー選手権2008 第3節 重慶オリンピックスポーツセンター 中国
68 2010年2月14日 岡田武史 1 - 3 許丁茂 東アジアサッカー選手権2010 第3節 国立霞ヶ丘陸上競技場 日本
69 2010年5月24日 岡田武史 0 - 2 許丁茂 国際親善試合 キリンチャレンジカップ 埼玉スタジアム2002 日本
70 2010年10月12日 ザッケローニ 0 - 0 趙広来 国際親善試合 ソウルワールドカップ競技場 韓国
71 2011年1月25日 ザッケローニ
(○)
2 - 2
[PK 3-0]

(●)
趙広来 AFCアジアカップ2011 準決勝 アル・ガラファ・スタジアム カタール
72 2011年8月10日 ザッケローニ 3-0 趙広来 国際親善試合 キリンチャレンジカップ 札幌ドーム 日本
73 2013年7月28日 ザッケローニ 2-1 洪明甫 東アジアカップ2013 第3節 蚕室総合運動場(ソウル) 韓国

U-23代表(オリンピック&アジア競技大会)[編集]

# 対戦日時  日本 結果  韓国 大会など 会場
1 1992年1月27日 横山兼三[注 3] 0 - 1 - バルセロナオリンピック アジア最終予選 クアラルンプール(マレーシア)
2 1995年1月14日 西野朗 0 - 1 - オーストラリア国際トーナメント グループ予選 シドニー・フットボール・スタジアムオーストラリア
3 1996年3月27日 西野朗 1 - 2 アトランタオリンピック アジア予選 決勝 シャー・アラム・スタジアム(マレーシア)
4 1999年9月7日 フィリップ・トルシエ 4 - 1 親善試合 国立霞ヶ丘陸上競技場(日本)
5 1999年9月27日 フィリップ・トルシエ 1 - 0 親善試合 蚕室総合運動場(韓国)
6 2003年7月23日 山本昌邦 1 - 1 金鎬坤 キリンチャレンジカップ2003 国立霞ヶ丘陸上競技場(日本)
7 2003年9月17日 山本昌邦 1 - 2 親善試合 ソウル(韓国)
8 2004年2月21日 山本昌邦 2 - 0 金鎬坤 キリンチャレンジカップ2004 長居スタジアム(日本)
9 2004年7月21日 山本昌邦 0 - 0 金鎬坤 親善試合 ソウルワールドカップ競技場(韓国)
10 2006年11月14日 反町康治 1 - 1 日中韓サッカーU-21代表交流戦 昌原スポーツパークメインスタジアム(韓国)
11 2006年11月21日 反町康治 1 - 1 ピム・ファーベク 日中韓サッカーU-21代表交流戦 国立霞ヶ丘陸上競技場(日本)
12 2009年12月19日 西村昭宏 2 - 1 親善試合 昌原サッカーセンター(韓国)
13 2012年8月10日 関塚隆 0 - 2 洪明甫 ロンドンオリンピック 3位決定戦 ミレニアム・スタジアム, カーディフ

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 記録の上ではアジア予選となっているが、現在のようなアジアサッカー連盟 (AFC) に所属する国々が参加して行われる予選ではなく、日本と韓国による事実上の一騎打ちというシンプルな予選であった。
  2. ^ この結果、日本は初めて国際タイトルを獲得した。
  3. ^ 監督は山口芳忠だが、横山が総監督として指揮をとった。
出典
  1. ^ フジテレビから皆様へ<FIFA主催のサッカー中継における表記について> 2011年9月2日 2011年9月3日閲覧
  2. ^ ザック日韓戦「伊Vs独と同等」/アジア杯”. スポーツナビ (2011年1月25日). 2011年8月9日閲覧。
  3. ^ 【なぜ解きコリア】韓国のサッカー選手がサルの物まねで日本人を侮辱した理由は? MSN産経ニュース 2011年2月12日
  4. ^ . http://www.youtube.com/watch?v=eo5q8oSW6K0 
  5. ^ 韓国選手が竹島領有主張 IOC調査 NHKニュース 2012年8月12日
  6. ^ IOCが韓国選手「竹島」メッセージ調査へ nikkansports.com 2012年8月11日
  7. ^ FIFAが調査着手 竹島メッセージ問題 MSN産経ニュース 2012年8月17日
  8. ^ 日本非難の巨大横断幕「歴史忘れた民族」 FIFA規定違反の疑い MSN産経ニュース 2013年7月28日
  9. ^ 한일축구戰에 ‘욱일기 도발’. 2013年7月29日.
  10. ^ 日韓戦「旭日旗」掲げた男の「正体」 横浜FMは「無関係だ」と異例の声明 J-CASTニュース 2013年8月5日
  11. ^ 1997年11月1日 フランスW杯最終予選 韓国-日本 ソウル 蚕室(チャムシル)オリンピックスタジアム
  12. ^ フランスワールドカップアジア地区最終予選日本代表全51ゴール ⑤
  13. ^ 『中田英寿・洪明甫 TOGETHER ― 2002ワールドカップBook』講談社、2001年。ISBN 978-4061793514
  14. ^ 韓日サッカー対決、泥の上で始まった58年の歴史(2). 中央日報. 2012年8月10日.

関連項目[編集]