日満議定書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
日満議定書の調印

日満議定書(にちまんぎていしょ)は、1932年9月15日日本国満洲国の間で調印された議定書である。

日本側全権は武藤信義陸軍大将(関東軍司令官)、満洲国側は鄭孝胥国務総理

議定書による取り決め事項[編集]

議定書の調印によって、下記の事項が取り決められた。また同時に補足条約ともいえる書簡の交換も行っている。

いずれの事項もこれまでの協定の確認に過ぎず、どちらかといえば「両国間の合意事項の世界への公式表明」の色が強かった。

議定書の内容[編集]

この議定書で交わされた約定は主に、

  • 満洲国の承認
  • 満洲での日本の既得権益の維持関東州は租借地として継続して日本の直接支配下)
  • 共同防衛の名目での関東軍駐屯の了承

の3点である。

交換書簡の内容[編集]

過去に交わされた下記の文書について、引き続き行使する事。

1.1932年3月10日に満洲国執政(愛新覚羅溥儀)から送付され、5月10日に関東軍司令官(本庄繁)から回答された書簡の件

具体的な内容としては、
  • 満洲国の国防は関東軍に委託し、その経費は満洲国が負担する。
  • 関東軍が国防上必要とする場合、既設の鉄道・港湾・水路・航空路の管理と新設の工事については、日本もしくは日本指定の機関に委託する。
  • 関東軍が必要とする各種の施設について、極力援助を行う。
  • 日本人を参与として登用する他、中央・地方の官僚にも日本人を登用するが、その人選は関東軍司令官の推薦とし、解職には関東軍司令官の同意が必要とする。(参議の人数については両国協議の上増減する)
の4点。

2.1932年8月7日に満洲国国務総理(鄭)と関東軍司令官(本庄)との間で交わされた、満洲国政府の鉄道・港湾・水路・航空路等の管理並びに二線路の敷設管理に関する協約とそれに基づく附属協定

3.1932年8月7日に満洲国国務総理(鄭)と関東軍司令官(本庄)との間で交わされた、航空会社(満州航空)設立に関する協定

4.1932年9月9日に満洲国国務総理(鄭)と関東軍司令官(武藤)との間で交わされた、国防上必要な鉱業権の設定に関する協定

締結の背景[編集]

満洲国の成立は1932年3月であり、すでに半年も経過している。また満洲国内の日本の権益も既に確定しており、今さら公式文書を交わす必要もない。ではなぜこの時点で日満議定書が交わされたのか。大きな要因の一つに、リットン調査団の存在が挙げられる。

リットン調査団は満州事変を受けて、国際連盟から派遣された調査団であり、

  • 満洲事変への日本軍の関与
  • 満洲国が主権を持った国家かどうか

を調査しており、1932年10月の調査結果の報告を前に、この時期には既に報告書の作成を完了している。

当時の国際世論では「満洲国は日本の傀儡政権である」という見方が大勢を占めており、国際連盟も満洲国を承認しない公算が大きかった。そのため、機先を制して日本が満洲国の存在を公式に認めることで、国際世論へのアピールを狙ったものであった。

議定書全文(現代口語訳)[編集]

日本は、満洲国が住民の意思で成立した独立の国家である事を確認した。また満洲国は、これまで中華民国が諸外国と結んでいた条約・協定を可能な限り満洲国にも適用する事を宣言した。そのため日本政府と満洲国政府は、日満両国の「良い隣人」としての関係をより強め、お互いにその領土権を尊重し、東洋の平和を確保しようと、次のように協定する。

  1. 満洲国は満洲国領域内で、将来日満両国間で個別の条約を締結しない限り、従来日本国と日本国民が中華民国との間で締結した条約・協定・その他の取り決めや公私の契約によって得ていた全ての権利利益を認め、これを尊重する。
  2. 日本国と満洲国の一方の領土や治安に対する脅威は、同時にもう一方の平穏に対する脅威であるという事実を認識し、両国は共同で国家の防衛に当たるべきである事を約束する。このため、日本軍は満洲国内に駐屯する事とする。

本議定書は署名の日から効力を生じる。

本議定書は日本語文・中国語文で2通作成し、日本語文と中国語文とで解釈が異なる場合には、日本語文の文面で解釈することとする。

以上の証拠として次の名の者は、各本国政府から正当な委任を受けて、本議定書に署名調印する。

昭和7年9月15日すなわち大同元年9月15日新京においてこれを作成する。

          日本国特命全権大使   武藤信義(印)

          満州国国務総理     鄭孝胥(印)

関連項目[編集]