バレンシア (スペイン)

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'Valencia'

  


バレンシア州
バレンシア県
面積 134.65km²
標高 15m
人口 797,654人(2007年)
人口密度 5,923人/km²

39°28'N 0°22'W

バレンシアバレンシア語Valènciaスペイン語など:Valencia)は、スペインの都市。バレンシア州の州都で、バレンシア県の県都。人口は約80万人でスペイン第3位。バレンシア都市圏(es)の人口は173万人に上る。

地中海に面し、温暖な地中海性気候で雨量も少ない。観光地としては世界遺産に登録されているラ・ロンハや国立陶器博物館、カテドラルなどがあり、3月に開催される火祭りは著名。パエリア発祥の地でもある。

目次

[編集] 歴史

紀元前137年ローマ人によって建設され、「ワレンティア」(Valentia 、強さ・活力の意)と名付けられた。それまでは「エデタニア」(Edetania)と呼ばれていた。紀元前75年ポンペイウスセルトリウスの争いによって破壊されたが、再建された。

バレンシアは西ゴート王国、次いでイスラム教徒に支配された。1094年エル・シドに征服されたが、彼が死ぬとムラービト朝に奪回された。1238年、アラゴン王ハイメ1世がこの地を征服し、以降はキリスト教国の領土となった。ハイメ1世が建てたバレンシア王国は、アラゴン王国の一部を構成した。

15世紀から16世紀には、バレンシアは地中海でもっとも重要な都市の一つであった。ローマ教皇カリストゥス3世アレクサンデル6世を輩出したボルジア家はバレンシアの出身である。チェーザレ・ボルジアは17歳でバレンシア大司教に任命されている。

18世紀のスペイン継承戦争では、バレンシアはオーストリアの推すカール大公の側についた。1706年、イギリス軍がバレンシアに入城したが、アルマンサの戦いでフランス・スペイン軍が勝つと、イギリス軍は撤退しバレンシアは自治権を失った。

スペイン内戦では、共和国政府はバレンシアを臨時の首都としたが、フランコ軍により包囲された。フランコ時代にはバレンシア語の会話・教育が禁じられた。スペインの民主化後、1982年バレンシア州が自治州となり、現在では逆にバレンシア語の教育が義務化されている。

1957年、市内を流れるトゥリア川が大洪水を起こした。このため川の流路を市の南側に変える工事が行われ、排水された旧トゥリア川の跡は7kmにわたる公園となった。1996年には旧トゥリア川跡に芸術科学都市が建てられた。

2006年7月、バレンシア地下鉄脱線事故が発生した。

[編集] 経済

バレンシアはここ数十年高い経済成長を遂げており、おもに観光や建設業に刺激されている。

バレンシアは地中海でもっとも物流の多い港の一つであり、スペインの輸出の20%を担っている。おもな輸出品は食料品、家具、陶器タイル、織物、鉄製品である。バレンシアの工業は、金属、化学、繊維、造船、醸造などからなる。失業率はスペインの平均よりも低い。中小の工場も地域の産業では重要な位置を占めている。

郊外にはフォードの工場があり、マツダ2003年から自動車の生産を開始している。

[編集] 名所

[編集] 文化

火祭りの様子

毎年3月に行われる火祭り(Las Fallas)は有名。祭り自体は3月はじめからだが、19日の聖ヨセフの日に張りぼての人形を燃やし、春の訪れを祝う。

[編集] スポーツ

[編集] 交通

バルセロナマドリードサラゴサなどの都市とは、特急列車や高速バスで結ばれている。

市内外の交通機関として、4路線134kmからなるバレンシア地下鉄が走っている。郊外では地上を走る通勤路線となっており、1路線は市電になっている。

また市内と郊外を結ぶ交通機関としてセルカニアス バレンシアレンフェにより運行されている。

[編集] バレンシア出身の著名人

[編集] 姉妹都市

[編集] バレンシアを舞台とする作品

[編集] 外部リンク

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