ガルリ・カスパロフ

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Garry Kasparov, 2007

ガルリ・キモビッチ・カスパロフГарри Кимович Каспаров, Garry Kimovich Kasparov, 1963年4月13日 - )は、ロシアチェスの選手。世界チャンピオン(FIDE:1985 - 1993, PCA:1993 - 2000)。1963年アゼルバイジャン生まれ。アルメニア人の母とユダヤ人の父の間に生まれ、ガルリ・ヴァインシュテインと名乗る。幼い頃の父の死に伴い母方に引き取られたが、後に母の姓「カスパリアン」からロシア風に「カスパロフ」と改名した。

目次

[編集] 政治活動

チェス選手引退後は、政治活動の世界に身を投じ、反プーチン政権の活動家として国内外から一定の支持を集めている。その一方で、国家ボリシェヴィキ党など、一般的に過激派と呼ばれる事のある勢力との「共闘」を行っていることや、意図的に無許可デモ等の軽微な違法行為を行い逮捕されることで「当局に弾圧される活動家」を演出していることに対しては批判も根強い。

[編集] 年譜

  • 1978年 - ソコルスキー記念トーナメントで1位となり、グランドマスターとなる。
  • 1984年 - 世界チャンピオン、アナトリー・カルポフに挑戦。「6局先勝、局数無制限」という条件であったが、48局でカルポフの5勝40引き分け3敗となった時点で、世界チェス連盟会長カンポマネスにより中止。無勝負となる。
  • 1985年 - アナトリー・カルポフを破り史上最年少(当時)の世界チャンピオンとなる。翌年のリターンマッチでもカルポフを退けた。
  • 1993年 - プロチェス協会(PCA)を設立、挑戦者ショートとともにPCAの下で選手権マッチを行なう。このため2人は国際チェス連盟(FIDE)のレイティングリストから削除され、FIDEは別のチャンピオンを選ぶマッチを行なった。
  • 1997年 - IBMのスーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」と対戦して敗れる。
  • 2002年 - 弟子で新鋭のウラジーミル・クラムニクに敗れて、世界チャンピオンから転落。
  • 2005年 - 「チェスの世界で現実的な目標が見えなくなった」という理由で引退。今後は公式試合には出場せず、エキシビションマッチなどの非公式な対局と執筆活動を行う予定。
  • 2007年 - 4月15日、反プーチン大統領デモに参加、身柄を拘束される。公共秩序を乱したとして罰金1000ルーブルを科せられて釈放された。
  • 2007年 -10月1日 - 2008年のロシア大統領選挙に出馬することを発表。
  • 2007年 -11月24日、反プーチン大統領デモに参加。身柄を拘束される。拘禁5日が言い渡された。
  • 2007年 -12月13日 - ロシア大統領選挙出馬を断念。

[編集] 関連項目

[編集] 関連文献

  • ブルース パンドルフィーニ, 鈴木知道 訳 『ディープブルー vs. カスパロフ』 (河出書房新社、1998/10) ISBN 4309263534 -- 1996年の 6 ゲームマッチを一手一手解説
  • ミハイル コダルコフスキー, レオニド シャンコヴィチ, 高橋啓 訳 『人間対機械 ― チェス世界チャンピオンとスーパーコンピューターの闘いの記録』 (毎日コミュニケーションズ、1998/04) ISBN 4839900264 --- カスパロフのセコンドによる 1997年の対局の記録。
先代:
アナトリー・カルポフ
チェスの公式世界チャンピオン
第16代: 1985 - 1993
次代:
アナトリー・カルポフ
先代:
-
PCA世界チャンピオン
初代: 1993 - 2000
次代:
ウラジーミル・クラムニク
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