エボ・モラレス

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フアン・エボ・モラレス・アイマ
Juan Evo Morales Aima
Morales 20060113 02.jpg

任期 2006年1月22日 – 現職
副大統領 アルバロ・ガルシーア・リネーラ
Álvaro García Linera

出生 1959年10月26日(54歳)
オルロ県
オリノカ村 (Orinoca)
政党 社会主義運動 (MAS)
配偶者 なし[1]

フアン・エボ・モラレス・アイマJuan Evo Morales Aima, 1959年10月26日 - )は、ボリビアの政治家であり、社会主義運動 (Movimiento al Socialismo : MAS) を率いる。2005年12月18日の選挙で大統領に当選した(任期は2006年1月22日より)。

ボリビア史上初めての先住民出身の大統領である。

大統領就任前[編集]

オルロ県でアイマラの農家に生まれた。17歳で兵役に就いた他、様々な職を転々とした後、コチャバンバ県チャパレに移住し、コカの栽培農家となる(ボリビアにおいてはコカの栽培は合法である)。以降、コカ栽培農家の農民運動の中心人物となり、1997年には下院議員に当選するが、2002年に暴動を扇動したとして下院議員を除名される(後に除名が「違憲」とされ復帰)。

それに対抗してモラレスは同年6月に行われた大統領選挙に出馬、最終的に当選は出来なかったが1回目投票で2位の得票を得て決選投票に進んだ。

大統領就任後[編集]

その後、ボリビアの反政府運動の中心人物として活動し、2005年の大統領選挙では1回目の投票で得票率5割を越えて当選を決めた。

モラレスの政治姿勢は強硬な反米主義で、また新自由主義経済、グローバリズムに対して徹底的な対決姿勢で知られている。ベネズエラチャベス政権、キューバラウル政権との連携を強めている。ボリビアガス紛争においても、多国籍企業に奪われている天然資源の権利を取り戻すべきだとしている。

2006年5月1日には、かねてからの公約、炭化水素(天然ガス・石油)の国有化を宣言。外国資本の企業に対しては、180日以内に新たな契約を結び直すか、あるいはボリビアから撤退するかを選択するように迫り、主要な天然ガス田にボリビア軍を派遣して接収を行った。

コカ栽培農家の出身ということもあり、コカ栽培の促進も主張しているため、彼の反対者はしばしばモラレスはコカイン業者とつながりがあると主張するが、モラレスはあくまでも先住民の伝統的な生活必需品としてのコカの栽培促進を主張しているのであって、コカインの精製・密輸は許さない、としている。このような事態にアメリカのブッシュ大統領はモラレスを麻薬密売人として批判したが、モラレスは「私の知る唯一のテロリストはブッシュだ」と反論して一歩も引かない。またアラブの衛星テレビ局アルジャジーラのインタビューでもブッシュ批判をしていた[要出典]

前回2002年の大統領選挙当時と比べるとその主張はやや穏健化しているとの評もあり、ボリビア・ガス紛争でも反政府派の中では比較的穏健なグループに属していたとされる。当選後は米国の駐ボリビア大使との会談にも応じている。その一方で、当選後はキューバとベネズエラを訪問し、カストロ議長、チャベス大統領と会談して友好関係を再確認している。

2003年京都で開催された世界水フォーラムへの出席のため来日したことがある。大統領として2007年3月5日に来日し、今上天皇、当時の安倍晋三総理大臣麻生太郎外務大臣と会談した。安倍首相との会談では、「改正後の憲法に戦争放棄を盛り込みたい」と語った[要出典]

2007年にFIFAが高地での試合を禁止した際にはチャカルタヤサハマでサッカーをプレーして抗議[2]を行ったり、2008年3月には、ボリビアのプロサッカー2部リーグに所属する国家警察チーム「リトラル」のリザーブ選手として正式な契約を行った[3]事が報じられるなど、サッカー好きでも知られる。

2008年12月27日から始まっているイスラエルによるガザ戦争に抗議して、イスラエルと断交した。

2010年12月7日来日し、菅直人総理大臣と会談を行った。

2013年2月20日、国際連合の国際キヌア年の発足に際し国連総会に出席。記念演説の中で多国籍企業などに対する批判を行った [4]

チリとの関係改善[編集]

就任前後から、南米太平洋戦争以来対立関係が続き、正規の外交関係をもたないチリとの関係改善に向けた動きを開始した。2006年1月の大統領就任式には任期切れを間近にしたリカルド・ラゴスチリ大統領が出席したがこれは両国の歴史上初めてのできごとであった。

その返礼として、モラレス大統領も3月にチリのミシェル・バチェレ新大統領の就任式にモラレス大統領が出席し、両国関係の改善に向けて大きく動き始めた。同時にバチェレ新大統領就任式参列でチリを訪問中のライス米国国務長官と会談した際も、同長官にコカの葉をあしらったチャランゴを贈り[5][6][7]、コカ生産意欲を婉曲に表明している[1]

チェ・ゲバラを評価[編集]

チェ・ゲバラがボリビアで戦死した後、親米政権は「ゲバラはテロリスト」だとして評価しなかった。しかし、彼は初めてゲバラを公式に再評価した大統領となった。

人物[編集]

アルパカセーター

最終学歴は中学卒であり、本人は「人生という大学で学んだ」としている[要出典]。 出自がアイマラであることと、コチャバンバにはケチュアが多いことより、彼はアイマラ語及びケチュア語も話す。ただし普段はスペイン語のみを使っている。

ノーネクタイの服装を貫くことを公言しており、実際に自身の大統領就任式(冒頭の写真参照)や外国訪問の際にも、トレードマークとなったアルパカのセーター(左上の写真参照)や革ジャンパーなどの服装が多く、ネクタイは着用しない。

その強硬な反米ナショナリズム姿勢から、反対派からは独裁者であると主張する者がおり、日本テレビが制作した「緊急!ビートたけしの独裁国家で何が悪い!」では独裁者として紹介されたことがある[8]

脚注[編集]

  1. ^ ボリビアと結婚したと自称[要出典]
  2. ^ Reuters
  3. ^ SI.com
  4. ^ “「世界キヌア年」、ボリビア大統領が多国籍企業批判”. AFPBB News (フランス通信社). (2013年2月21日). http://www.afpbb.com/article/economy/2929921/10321810 2013年2月21日閲覧。 
  5. ^ BBC NEWS
  6. ^ BBCBrasil.com
  7. ^ CharangoBolivia.ORG
  8. ^ ただし、あくまで民主的な選挙のもとで選出された大統領であり、チリアウグスト・ピノチェト元大統領のような露骨な独裁化を行ってはおらず独裁者と決め付けるのは的外れである。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 公式サイト(スペイン語)(イタリア語)(英語)(オランダ語)(ギリシャ語)(中国語)(ドイツ語)(マレー語)(ロシア語) - Evo Morales and (Spanish)
  • Evo Morales Aima(公式サイト)(スペイン語)(イタリア語)(英語)(オランダ語)(ギリシャ語)(中国語)(ドイツ語)(マレー語)(ロシア語) - EvoMorales.net or EvoMorales.org


公職
先代:
エドゥアルド・ロドリゲス
ボリビアの旗 ボリビア多民族国大統領
第80代:2006 -
次代:
(現職)