萬屋仁兵衛

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萬屋仁兵衛[編集]

萬屋仁兵衛(よろずや にへい)は からくり人形師。木偶師(でくし)ともいう。 現在2代目。

概要[編集]

名古屋を中心とする尾張国において、で曳行される山車の上で祭囃子に合わせ人形戯を奉納する山車からくり人形が数多く現存している。 歴史上初めてからくり人形が山車に搭載されたのがいつ頃かは定かではない。 江戸時代より現代に至るまで、年に一度の祭礼時に奉納する「からくり人形戯」は無病息災や五穀豊穣を祈り人々が祈願する。 中世における、からくり人形の原点は尾張津島天王祭と熱田天王祭に見られた大山や車楽の上に神の依代として松が立てられたことが始まりである。 名古屋の山車からくりは、例祭である名古屋東照宮の東照宮祭を始めとし、那古野神社の三之丸天王祭、若宮八幡社の若宮祭が名古屋三大祭として尾張藩を挙げて行われた。 七代藩主 徳川宗春(とくがわ むねはる)、十代藩主 徳川斉朝(とくがわ なりとも)のような祭り好きの大名もあらわれ、一時期は三都に勝る繁栄ぶりであったという。 万治元年(1658年)には、本町(本町通名古屋市)の猩々車(戦災により焼失)と桑名町(名古屋市中区)の湯取車(筒井町出来町天王祭)など、からくり人形を主役とする名古屋型の山車が登場する。 江戸時代中期には、名古屋城下町の発展とともに、からくり人形専門の「木偶師(でくし)」が登場し、江戸時代後期にかけ竹田藤吉、竹田源吉、鬼頭二三、玉屋庄兵衛、隅田仁兵衛、住田真守など多くの木偶師が存在し分業制によるからくり人形文化が発展した[1][2][3]後藤大秀(ごとう だいしゅう・ 1929年 - 2020年)は昭和平成時代のからくり人形師として活躍した。 現在、文化財復元修理においては文化庁に認められた技術者のみに認可される。江戸時代より残されてきた有形民俗文化財及び無形民俗文化財の一部に指定される、山車からくり人形は基本的に大きな変更は認められず過去の技術を用いて復元修理する。人形師分類における木偶師は特殊な存在といえる。 令和時代において日本文化庁より認められ生業としている現役からくり人形師(木偶師)は、九代目玉屋庄兵衛及び二代目萬屋仁兵衛ほか少数が存在している。

初代萬屋仁兵衛(八代目玉屋庄兵衛)[編集]

本名は高科正夫(昭和25年(1950年1月22日)-平成7年(1995年8月23日)。 昭和25年(1950年)愛知県東春日井群坂下町に七代目玉屋庄兵衛(たまやしょうべい)本名は高科正守(大正12年(1923年)- 昭和63年(1988年5月18日)の長男として生まれる。

からくり人形師「玉屋庄兵衛」は享保18年(1733年)から名古屋で続く名門として知られる。名古屋市昭和区御器所にて工房を営む。 昭和50年(1975年)25歳の時に七代目に弟子入り。 昭和63年(1988年)に八代目を継ぎ、山車からくり人形の制作や茶運び人形など座敷人形新調に加えて、コンピューター制御を導入したモニュメントを多数制作。 国内外で多数の個展、作品展を開催するなど、全国有数のからくり人形師として活躍した。 平成7年(1995年)3月に玉屋庄兵衛の屋号は弟へ譲り、人形細工師の隅田仁兵衛から「仁兵衛」の名前をもらいうけ、新しい作品をなんでも創る萬屋(よろずや)と名付ける。萬屋襲名に伴い、出生地である春日井市坂下町へ工房を移転する。同年、初代襲名半年後に肝臓がんのため病没。岐阜県高山市に所在する地中ドーム博物館である飛騨高山まつりの森にて、常設祭屋台「金時台」に搭載するコンピューター操作からくり人形及び体験用糸からくり人形制作中に逝去したため、一番弟子の萬屋仁兵衛文造が引継ぎ制作[4][5]

初代作品歴(八代目玉屋庄兵衛作)[編集]

【コンピューター制御及び電気仕掛、モーター式からくり人形】

【祭礼用からくり人形】

  • 平成元年(1989年)岐阜県高山市高山祭「からくり鶴」制作。
  • 平成2年(1990年三重県四日市市「かめ割り人形」、愛知県犬山市「三番叟人形」制作。
  • 平成3年(1991年)岐阜県可児郡御嵩町「橋弁慶人形」、愛知県犬山市「猩々人形」制作。
  • 平成6年(1994年)愛知県犬山市「羽衣人形」制作。

【座敷からくり人形】

  • 平成4年(1992年)名古屋市がシドニー市へ寄贈「茶運び人形」制作。
  • 平成6年(1994年)三重県まつり博「松尾芭蕉人形」「茶運び人形」、鳥取市鳥取世界おもちゃ博物館「茶運び人形」「武者人形」制作。

【創作からくり人形】

  • 平成元年(1989年)名古屋市デザイン博橋弁慶人形」制作。(現在、名古屋能楽堂に展示中)
  • 平成2年(1990年)金沢市「からくり芝居 芋掘り藤五郎人形」制作。
  • 平成4年(1992年)岐阜県高山市獅子会館「変身からくり美女の舞」「綾渡り角兵衛獅子人形」制作。
  • 平成5年(1993年)飛騨市古川町祭り会館「弁慶・牛若丸人形」制作

初代展示・寄贈歴(八代目玉屋庄兵衛)[編集]

  • 昭和60年(1985年)初個展(八代襲名前)「名古屋市 人形ギャラリーくすのき」
  • 昭和62年(1987年)二回目作品展(八代襲名前)「名古屋市 今池ガスビルギャラリー」
  • 平成元年(1989年)三回目作品展「名古屋市 アオヤギギャラリー」、熊本博物館「こども科学展」、名古屋市がロサンゼルス市に寄贈「河水車(四分の一山車模型、からくり人形含む)」制作。
  • 平成2年(1990年)四回目作品展「京都四条たち吉スタジオ」、名古屋市有松山車会館へからくり人形寄贈。
  • 平成3年(1991年)五回目作品展「名古屋市 アオヤギギャラリー」
  • 平成4年(1992年)熊本市社会福祉団体へからくり人形一式寄贈。
  • 平成5年(1993年)六回目作品展「京都四条たち吉スタジオ」、七回目作品展「名古屋三越
  • 平成7年(1995年)八回目作品展「銀座和光

受賞歴[編集]

  • 昭和55年(1980年)「青少年まつり文化大賞」受賞(八代襲名前)
  • 平成4年(1992年)「第14回都市文化奨励賞」受賞(八代目玉屋庄兵衛 )
  • 平成7年(1995年)「第1回NHK東海いぶき賞」受賞(初代萬屋仁兵衛)「第10回パチンコ大衆文化賞」受賞(初代萬屋仁兵衛)

二代目萬屋仁兵衛[編集]

よろずやにへい

二代目 萬屋仁兵衛
生誕 小川 健一[6]
(1963-06-15) 1963年6月15日(60歳)
日本の旗 日本・愛知県 名古屋市
国籍 日本の旗 日本
職業 人形師 木偶師
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本名は小川健一(昭和38年(1963年6月15日- )。愛知県名古屋市東区に生まれる[7]

幼少より地元の祭礼である出来町天王祭においてからくり人形に親しみ、鹿子神車山車の曳行行事を経験する。平成2年(1990年)26歳の時に八代目玉屋庄兵衛に弟子入り。平成4年(1992年)先代より玉屋文造名を頂く。平成7年(1995年) 八代目玉屋庄兵衛から初代萬屋仁兵衛に改名と共に萬屋文造名へ改名する。同年8月23日、 初代萬屋仁兵衛死去に伴い萬屋仁兵衛文造へ改名する。弟子入り10年後の平成12年(2000年8月26日 先代後援会の支援を賜り600名余りの人に祝福され、二代目萬屋仁兵衛を正式に襲名。その裏で襲名式直前に母親が他界した事実を伏せたまま執り行われた。平成13年(2001年)5月5日 愛知県春日井市高蔵寺に工房を立ち上げる[8]。令和2年(2020年)より、からくり人形師を改め「祭礼人形師」として活動する。

二代目作品歴[編集]

【機械制御人形】

【座敷人形】

  • 個人向け各種人形を多数制作。「茶くみ人形(2005年作)」はゼンマイ部には希少な長尺セミクジラを使用。国内外で多数の出展歴があり高い評価を得ている。
  • 平成24年(2012年)伊勢せきや本店収蔵 完全復元作品「茶くみ人形」制作。

【文楽人形(県指定重要無形民俗文化財の一部)】

  • 平成29年(2017年)岐阜県瑞浪市半原操り人形浄瑠璃「姫、お里、久吉」文楽人形を復元修理、「弁慶」文楽人形の衣裳復元新調。
  • 令和元年(2019年)岐阜県瑞浪市 半原操り人形浄瑠璃「おわさ」文楽人形の衣裳復元新調。

【神人形(国選択無形民俗文化財の一部)】

【燈籠人形(国指定重要無形民俗文化財の一部)】

【祭礼用人形(有形民俗文化財及び無形民俗文化財の一部に指定)】

  • 山車祭が盛んな地域である、東海3県を中心に全国に所在する祭礼用人形のべ数百体の復元修理や新調を手がける。現在の令和時代において、祭礼用人形の復元修理及び新調を精力的に取り組んでいる。動く祭礼用人形の操作稽古時の故障や祭礼時は山車に搭載され曳行の衝撃による応急修理を行うことがある。人形の動き方や使用頻度、保存状態にもよるが胡粉塗替えや正絹糸等の消耗品交換、本体及び関係部材の復元修理を行う[9]

【その他】

  • 寺院、個人向け特製人形、節句人形及び山車模型など多数制作。

二代目展示歴[編集]

所属会員[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「愛知県史 別編 民俗二 尾張」愛知県史編さん委員会 2008年
  2. ^ 「新修名古屋市史 資料編 民俗」新修名古屋市史資料編編集委員会 2009年
  3. ^ 鬼頭秀明「尾張・名古屋の山車文化」「尾張の山車とからくり人形」名古屋市総務局企画部百周年事業推進室 1989年
  4. ^ 八代目玉屋庄兵衛後援会 八代目玉屋庄兵衛作品集 1987年11月21日
  5. ^ 萬屋仁兵衛(八代目玉屋庄兵衛)パンフレット略歴
  6. ^ 「ゆめ人きらり 木偶師 二代目萬屋仁兵衛さん(47) 古い人形を直し 100年後残したい 豊かな表情に触れるのが一番の面白さ」『中日新聞』、2010年10月31日。
  7. ^ 「創る人びと からくり人形師 萬屋 仁兵衛文造さん(40) 「木は生き物」腕発揮」『中日新聞』、2004年1月23日。
  8. ^ 佐藤智佳「からくり人形 木偶師二代目萬屋仁兵衛(非売品 愛知県図書館蔵書)」2011年1月
  9. ^ 植木行宣(監修) 著、鹿谷勲・長谷川嘉和・樋口昭 編『民俗文化財 保護行政の現場から』岩田書院、2007年。ISBN 9784872944846 

外部リンク[編集]