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源経信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源 経信
『から衣うつ声きけば月きよみまだねぬ人を空にしるかな』(月岡芳年月百姿』)源経信と鬼
時代 平安時代後期
生誕 長和5年(1016年
死没 永長2年閏1月6日1097年2月20日
別名 桂大納言[1]
官位 正二位大納言
主君 後一条天皇後朱雀天皇後冷泉天皇後三条天皇白河天皇
氏族 宇多源氏
父母 父:源道方、母:源国盛の娘
兄弟 経長経信経親経隆、円信
源貞亮の娘
道時基綱俊頼、信証
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源 経信(みなもと の つねのぶ)は、平安時代後期の公家歌人宇多源氏権中納言源道方の六男[1]官位正二位大納言桂大納言と号す。小倉百人一首では大納言経信

経歴

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後一条朝長元3年(1030年従五位下叙爵し、長元6年(1033年三河権守任官する。その後、後朱雀朝から後冷泉朝前半にかけて刑部少輔少納言左馬頭等を歴任、この間、長久3年(1042年従四位下、永承8年(1053年正四位下と昇進している。

康平5年(1062年)右中弁に抜擢されると、康平6年(1063年)権左中弁、康平8年(1065年蔵人頭兼右大弁と弁官として順調に昇任され、後冷泉朝末の治暦3年(1067年参議として公卿に列した。

参議昇進後も引き続き弁官を兼帯する一方、中宮権大夫として後三条天皇中宮馨子内親王に仕え、この間の治暦5年(1069年従三位、延久3年(1071年正三位、延久4年(1072年従二位と昇叙される。白河朝承保2年(1075年権中納言に昇進するが、皇后宮権大夫を兼ねて引き続き馨子内親王に仕えた。

その後、承保4年(1077年正二位永保3年(1083年権大納言と昇進を続け、寛治5年(1091年大納言に至る。この間も皇后宮大夫として馨子内親王に仕えたほか、民部卿も兼ねた。寛治7年(1093年)20年以上に亘って仕えた馨子内親王が没すると、翌寛治8年(1094年)79歳にして大宰権帥に任ぜられ、嘉保2年(1095年大宰府に下向。永長2年(1097年)閏正月6日に任地で薨去享年82。

人物

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詩歌管絃に秀で、有職故実にも通じ、その多芸多才は藤原公任に比較された[要出典]長久2年(1041年)の「祐子内親王家名所歌合」をはじめとして[要出典]、多くの歌合に参加している。

白河天皇から重用されたが、その近臣である藤原通俊とは政治的にも歌壇的にも対立した[1]。当代一の歌人とされたが、経信をさしおいて藤原通俊が撰集した『後拾遺和歌集』に対して『後拾遺問答』『難後拾遺』を著してこれを批判した[1]

後拾遺和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に85首が入集[1]。その歌風は歌題を正確に把握し、平明な表現で優れた声調を獲得しようとしたものであった[1]。家集に『大納言経信集』[1]があり、日記に『帥記』がある[1]

逸話

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源経信と鬼(歌川国芳『百人一首之内』)

経信がの八条あたりに住んでいた頃、九月の月明かりを眺めて物思いにふけっていると、微かにの音が聞こえてきたので、

から衣 うつ声きけば 月きよみ まだねぬ人を 空にしるかな[注釈 1]
(衣を打つ砧の音を聞くと、月が清らかに照っているので、まだ眠らずにいる人のあることを、それとはなしに知られることだ)

と歌を口ずさんだ。すると、前栽の方から

北斗星前横旅鴈 南楼月下擣寒衣[北斗の星前 旅鴈横たわり 南楼の月下 寒衣を擣つ][注釈 2]
北斗七星が輝く北の空に、の渡りが列をなしている 南楼を照らす月の光の下で、冬に向けての衣を打っている)

漢詩を詠む声が聞こえる。「このような素晴らしい声で詠んだのは、誰だろう」と声のする方に目を向けると、髪の毛は逆立ち、身の丈が一丈五・六尺はあろうかという異形の者が立っていた。経信が思わず八幡大菩薩に助けを求めると、異形の者は「どうして祟りなどするものか」と言って、姿を消した。声の主は朱雀門の鬼だったのだろうか。(『撰集抄』巻八)

なお、本項目の右側にある浮世絵の画像2点(月岡芳年『月百姿』・歌川国芳『百人一首之内』)は、いずれもこの逸話を題材にしている。

官歴

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公卿補任』による。

系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ 本文中では「四条大納言(藤原公任)の歌」となっているが、『和漢朗詠集』などによれば紀貫之の作[2]
  2. ^ 江談抄』によれば、劉元叔(伝未詳)「薄命論」の一節(『全唐詩』にも「妾薄命」として収載)[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 日本古典文学大辞典編集委員会『日本古典文学大辞典第5巻』岩波書店、1984年12月、619-620頁。 
  2. ^ 撰集抄研究会 2003, p. 459-460.
  3. ^ 撰集抄研究会 2003, p. 460.
  4. ^ または13日
  5. ^ 『中右記』保安1年8月24日条

参考文献

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  • 『公卿補任 第一篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年
  • 撰集抄研究会 編『撰集抄全注釈(下)』笠間書院〈笠間注釈叢刊 ; 38〉、2003年。ISBN 4305300389NCID BA61951065 

関連項目

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