源重之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
源重之(狩野安信『三十六歌仙額』)

源 重之(みなもと の しげゆき、生年未詳 - 長保2年(1000年)頃?)は、平安時代中期の歌人貴族清和源氏上野太守貞元親王の孫で、三河守・源兼信の子。伯父の参議源兼忠養子官位従五位下筑前権守三十六歌仙の一人。

経歴[編集]

父・源兼信が陸奥国安達郡に土着したことから、伯父参議源兼忠養子となった。

村上朝にて、春宮・憲平親王の帯刀先生(たちはきせんじょう)を務め、その際に最古の百首歌の一つである『重之百首』を詠進している。康保4年(967年)10月に憲平親王が即位冷泉天皇)すると近衛将監となり、11月に従五位下叙爵する。

円融朝半ば以降は、貞元元年(976年)の相模権守を皮切りに、信濃守日向守肥後守筑前守など地方官を歴任した。またこの間、貞元2年(977年)頼忠家歌合や寛和元年(985年)円融院子日行幸和歌などに出詠している[1]

正暦2年(991年)以後に大宰大弐藤原佐理を頼って筑紫に下向。長徳元年(995年)以後は陸奥守藤原実方に従って陸奥国に下向し、長保2年(1000年)に当地で没したという[2]享年は60余。

和歌[編集]

拾遺和歌集』(13首)以下の勅撰和歌集に66首が入集[3]。家集『重之集』に見える『重之百首』は、百首歌の中で最も古いものである。旅の歌や不遇を嘆く歌が多い。

宮崎県高鍋町の東方にあった老松を見て詠んだ彼の歌「しら浪のよりくる糸ををにすげて 風にしらぶることひきの松」の歌碑がある。現在、地区住民の手によって保護管理されている。

官歴[編集]

系譜[編集]

注記のないものは『尊卑分脈』による。

  • 父:源兼信
  • 母:不詳
  • 養父:源兼忠
  • 生母不詳の子女
    • 男子:源有数
    • 男子:源為清
    • 男子:源為業
    • 男子:源宗親[7]
    • 女子:源重之女

脚注[編集]

  1. ^ 『朝日日本歴史人物事典』
  2. ^ 『尊卑分脈』
  3. ^ 『勅撰作者部類』
  4. ^ a b c d e f g 『三十六人歌仙伝』
  5. ^ 『鉾持記』
  6. ^ a b 『日本大百科全書』
  7. ^ 『重之集』

参考文献[編集]