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この項目では、平安時代中期の僧について説明しています。平安時代末期の僧については「智蔵坊良暹」を、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧については「専光房良暹」をご覧ください。
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良暹
良暹(りょうぜん、生没年不詳)は、平安時代中期の僧・歌人。
出自・経歴については不明であるが、比叡山(天台宗)の僧で祇園別当となり、その後大原に隠棲し、晩年は雲林院に住んだといわれている。一説では、康平年間(1058年 - 1065年)に65歳ぐらいで没したともいわれている。
歌人の友として、賀茂成助・津守国基・橘為仲・素意法師などがいた。1038年(長暦2年)9月の「権大納言師房家歌合」などいくつかの歌合に出詠している。「良暹打聞」という私撰集を編んだというが現存していない。
歌は「後拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に入集している。
百人一首[編集]
- 70番 さびしさに 宿をたち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ 良暹法師(「後拾遺和歌集」秋上333)