佐々木信行
東北工業大学硬式野球部 ヘッドコーチ #51 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮城県本吉郡津山町(現:登米市) |
生年月日 | 1953年5月2日(71歳) |
身長 体重 |
178 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト10位 |
初出場 | 1974年8月22日 |
最終出場 | 1979年10月20日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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佐々木 信行(ささき のぶゆき、1953年5月2日 - )は、宮城県本吉郡津山町(現:登米市)[1]出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者。
来歴・人物
[編集]佐沼高校から一般企業への就職が内定していたが、一転して1971年のドラフト10位でロッテオリオンズに入団[1]。弘田澄男・成重春生・倉持明と同期で、1979年にはシーズン序盤の6試合に先発マスクを被るが、当時の主力捕手である高橋博士・土肥健二の壁は破れなかった。1980年以降は一軍出場もなくなり、1982年限りで現役を引退[1]。
引退後もオリオンズ(川崎)→マリーンズ(千葉)とロッテ一筋で、現役時代から並行して行ってきたブルペン捕手や二軍コーチ補佐(1987年 - 1990年)、二軍コーチ(1991年)、一軍ブルペンコーチ(1992年, 1999年 - 2000年)、二軍バッテリー兼育成コーチ(1993年、二軍バッテリー育成担当コーチ(1994年)、一軍バッテリーコーチ補佐(1996年)、二軍総合コーチ(2001年)、一軍バッテリーコーチ(1998年途中 - 2002年)、二軍監督(2003年)を歴任[1]。
現場を離れて2年後の2005年からは東北楽天ゴールデンイーグルスの誕生を期に、地元・仙台のTBCラジオから解説者として迎えられた。選手としてよりも裏方としてチームを支える期間が長かったため、チームの内情や選手の心情にことに詳しい。
解説業と並行して、青葉区国分町で居酒屋「野球茶屋 暖風(ダンプ)」を経営していたほか、2014年11月からは若林区で「暖風はり灸接骨院」を経営していた。
2015年に宮城県仙台第一高等学校と仙台六大学リーグ・東北工業大学臨時コーチに就任し、2017年2月には東北工業大学ヘッドコーチに就任[2]。2018年までは解説業と大学での指導を並行して行ってきたが、規定によりベンチ入りが認められなかったため、この年限りで解説業を辞め、2019年からはコーチ専業となった[3]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1974 | ロッテ | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1976 | 13 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1978 | 5 | 8 | 8 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .500 | .500 | .750 | .250 | |
1979 | 26 | 30 | 29 | 3 | 6 | 0 | 0 | 1 | 9 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | .207 | .207 | .310 | .517 | |
通算:4年 | 46 | 43 | 42 | 4 | 10 | 0 | 1 | 1 | 15 | 5 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 2 | .238 | .238 | .357 | .595 |
年度別守備成績
[編集]年 度 |
捕手 | ||||
---|---|---|---|---|---|
試合 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | |
1974 | 2 | 0 | 0 | 0 | - |
1976 | 3 | 5 | 4 | 1 | .200 |
1978 | 4 | 4 | 4 | 0 | .000 |
1979 | 22 | 20 | 12 | 8 | .400 |
通算 | 31 | 29 | 20 | 9 | .310 |
記録
[編集]- 初出場:1974年8月22日、対日本ハムファイターズ後期10回戦(後楽園球場)、7回裏に捕手として出場
- 初先発出場:1976年9月2日、対ロッテオリオンズ後期9回戦(宮城球場)、7番・指名打者として先発出場(偵察要員、長谷川一夫と交代)
- 初安打:1978年5月20日、対クラウンライターライオンズ前期7回戦(平和台球場)、5回表に石井茂雄から
- 初打点:同上、9回表に石井茂雄から2点適時三塁打
- 初本塁打:1979年4月17日、対南海ホークス前期1回戦(大阪スタヂアム)、7回表に田村政雄からソロ
背番号
[編集]- 69 (1972年)
- 59 (1973年 - 1986年)
- 75 (1987年 - 1991年)
- 88 (1992年)
- 76 (1993年 - 1994年)
- 92 (1995年 - 1998年)
- 71 (1999年 - 2003年)
脚注
[編集]- ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、249ページ
- ^ “本学硬式野球部ヘッドコーチに佐々木 信行 氏(元千葉ロッテマリーンズ2軍監督)就任”. 東北工業大学 (2017年2月2日). 2021年3月6日閲覧。
- ^ “東北工大・佐々木HCベンチ入る 解説辞め指導専念”. 日刊スポーツ (2018年12月22日). 2021年3月6日閲覧。
関連情報
[編集]過去の出演番組
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 佐々木信行 - NPB.jp 日本野球機構
- 東北放送解説者紹介