成重春生

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成重 春生
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県豊後高田市真玉町
生年月日 (1948-04-20) 1948年4月20日(70歳)
身長
体重
178 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1971年 ドラフト8位
初出場 1972年5月21日
最終出場 1980年7月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

成重 春生(なりしげ はるお、1948年4月20日 - )は、大分県豊後高田市真玉町出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物[編集]

大分県立高田高等学校では、2年生の時に控え投手として1965年中九州大会準決勝に進むが、八代東高に敗退。翌1966年の夏は県予選準々決勝で岩崎忠義のいた津久見高に敗れ、甲子園には出場できなかった。卒業後は大昭和製紙を経て、大昭和製紙北海道に入社。主に中継ぎ投手として起用されるが、起用法に不満を抱き退社。

1971年ドラフト8位でロッテオリオンズに入団。開幕直後にスリークォーターからサイドスローに変更。同年は7試合、翌1972年も3試合に先発するが、結果を残せず中継ぎに回る。1974年中日ドラゴンズとの日本シリーズでは2試合に登板、第2戦では6回途中に水谷則博を救援して勝利投手となり、チーム日本一に寄与した。1977年はチーム最多の50試合に登板した。1978年オフ、古賀正明倉持明との交換トレードで山崎裕之と共に西武ライオンズに移籍。1979年イースタン・リーグでは最優秀防御率のタイトルを獲得したが、一軍では5試合のみの登板に終わり、同年オフに大北敏博との交換トレードで読売ジャイアンツに移籍。しかし、1980年も6試合の登板に終わり、同年限りで現役引退。引退後は船橋市内で飲食店などを経営。

アンダースローから、シンカーシュートカーブを駆使した。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]






















































W
H
I
P
1972 ロッテ 26 7 0 0 0 1 3 -- -- .250 266 59.2 49 11 40 0 8 39 0 0 35 31 4.68 1.49
1973 8 3 0 0 0 0 1 -- -- .000 56 12.1 11 1 9 0 1 5 0 0 7 7 5.11 1.62
1974 14 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 114 29.2 18 2 13 1 1 13 0 1 10 9 2.73 1.04
1975 27 0 0 0 0 2 2 2 -- .500 267 64.1 48 4 34 3 4 45 1 0 25 24 3.36 1.27
1976 12 2 0 0 0 1 0 1 -- 1.000 134 31.0 35 3 9 0 3 17 1 0 15 14 4.06 1.42
1977 50 0 0 0 0 2 1 4 -- .667 425 105.1 94 8 23 1 7 67 0 0 35 31 2.65 1.11
1978 29 2 0 0 0 1 1 0 -- .500 221 48.1 49 4 24 2 11 31 0 1 30 29 5.40 1.51
1979 西武 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 41 7.1 17 3 3 0 0 2 0 0 11 11 13.50 2.73
1980 巨人 6 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 56 13.1 13 2 4 0 1 8 0 0 7 7 4.73 1.28
通算:9年 177 15 0 0 0 7 10 7 -- .412 1580 371.1 334 38 159 7 36 227 2 2 175 163 3.95 1.33

記録[編集]

背番号[編集]

  • 38 (1972年 - 1978年)
  • 18 (1979年)
  • 13 (1980年)

関連項目[編集]