大北敏博

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大北 敏博
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 香川県坂出市
生年月日 (1952-02-18) 1952年2月18日(66歳)
身長
体重
176 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手二塁手三塁手
プロ入り 1970年 ドラフト2位
初出場 1977年4月17日
最終出場 1980年4月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

大北 敏博(おおきた としひろ、1952年2月18日 - )は、香川県[1]出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物[編集]

高松商業高校では1968年、1年生の時に三塁手として夏の甲子園に出場。3回戦に進むが、静岡商新浦壽夫投手に0-14で完封負け。2年上のチームメートに吉村健二がいた。翌1969年からエース、3番打者として同期の細川安雄とバッテリーを組む。同年夏の甲子園予選北四国大会で決勝に進出するが、松山商井上明投手に完封され敗退。松山商は甲子園で優勝した。

3年生時の1970年には春夏の甲子園に出場[1]春の選抜では1回戦で富山商と延長12回の熱戦の末、1-2で惜敗。この試合ではリリーフながら16三振を奪っている。夏の選手権では1回戦から3試合連続完封勝利の活躍を見せる。しかし準決勝でPL学園新美敏投手と投げ合い5-16で敗退した。

同年のドラフト会議直前までは早稲田大学への進学を表明していたが、ドラフトで読売ジャイアンツに2位指名されると一転してプロ入りを表明し入団[1]

入団後は強打と俊足を活かして内野手に転向。1972年ジュニアオールスターにも出場。1976年イースタン・リーグの首位打者を獲得する。1978年には33試合(うち5試合はスターティングメンバー)に出場し初本塁打も放つが、その後は伸び悩み、1979年オフに成重春生との交換トレードで西武ライオンズに移籍した[1]1980年には4月に2試合先発出場するが、その後あまり出番はなく、同年限りで現役引退[1]。引退後は東京で営業マンとして活動[1]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1977 巨人 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1978 33 34 26 5 6 1 0 1 10 4 1 2 1 0 5 0 2 5 0 .231 .394 .385 .779
1980 西武 6 5 5 0 1 1 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 3 0 .200 .200 .400 .600
通算:3年 40 40 32 5 7 2 0 1 12 4 1 2 1 0 5 0 2 9 0 .219 .359 .375 .734

記録[編集]

背番号[編集]

  • 43 (1971年 - 1978年)
  • 2 (1979年)
  • 4 (1980年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、98ページ