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安国駅

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安国駅
駅舎(2009年6月)
やすくに
Yasukuni
A50 遠軽 (8.0 km)
(8.9 km) 生田原 A53
地図
所在地 北海道紋別郡遠軽町生田原安国
北緯43度59分35.74秒 東経143度32分8.87秒 / 北緯43.9932611度 東経143.5357972度 / 43.9932611; 143.5357972座標: 北緯43度59分35.74秒 東経143度32分8.87秒 / 北緯43.9932611度 東経143.5357972度 / 43.9932611; 143.5357972
駅番号 A51
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 石北本線
キロ程 128.8 km(新旭川起点)
電報略号 ヤニ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
24人/日
-2014年-
開業年月日 1914年大正3年)10月5日[1]
備考 無人駅
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安国駅(やすくにえき)は、北海道紋別郡遠軽町生田原安国にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線である。電報略号ヤニ事務管理コードは▲122521[2]駅番号A51

歴史

1977年の安国駅と周囲約500m範囲。下が網走方面。少しずれた単式ホーム2面2線と外側に貨物積卸線、駅裏のストックヤード前へ斜めに敷かれた引込み線、駅舎横の留辺蘂側に貨物ホームと引込み線を有している。ホーム上に跨線橋はまだ架けられていない。この時点では、駅裏のストックヤードに木材が多く野積みされていて、国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1948年(昭和23年)の航空写真 USA-R267-17 と比較しても、殆んど状況が変わらないという珍しい駅であったが、この後、貨物荷物取扱廃止や無人化に伴って、側線は全て撤去され、ヤードも無くなってしまった。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

駅名の由来

当初生田原川の下流にあることから下生田原と命名され[10][11]、その後字名ともなっていた[12]

しかし、行政区としては「生野」などの名称がつけられており[12][13]1944年(昭和19年)2月11日に、生田原村(当時)で実施された雑多な字名の整理・行政区名との整合に伴い「生野」「下生」「降尾」の3行政区に相当する区域の字名を「安国」(のちに遠軽町発足により「生田原安国」)と改称・整理したため[12]、駅名についても1946年昭和21年)3月1日に改められた[14][15]

この地名は、他の旧生田原町内の字名と同様、当時の村長が神道の「大祓詞祝詞のひとつ)」に因んだ字名を選んだことに由来し、当地が佐呂間川沿いに往来する人々の休息の地であり、付近が豊穣な農耕地であることから、「安国と平けく」の部分を引用し名付けられた[12]

分岐点の争奪

石北本線の上川駅 - 遠軽駅間は、先に開通した湧別駅までの路線から分岐する形で建設されているが、この分岐位置については1920年(大正9年)ごろに生野(現:安国)と遠軽で争いがあり、生野の住民は当駅で分岐し瀬戸瀬へ直行するルートを主張した[13][16]

誘致運動は関係者が「鉄道狂人[16]」と呼ばれるほど苛烈を極め、双方ともにリーダーが私財を投げ打ち破産状態になるほどであったが、最終的に両者ともに鉄道院当局の裁量に任せることとなり、遠軽が分岐点となった[13]

その後、1948年(昭和23年)12月11日に国鉄旭川鉄道管理局の一行が当駅付近で測量を実施しているが、これは方向転換を要する遠軽を経由しない短絡線の建設を企図してのものだったとされている[16]。これを受けて生田原村(当時)は安国から旭峠を越えた先にある佐呂間村・若佐村(いずれも現:佐呂間町)と「石北線路線短絡期成会」を結成しているが、運動は不発に終わっている[16]

駅構造

網走方に向かって、左手から駅舎・ホーム・1番線・ホーム・2番線と配置した、単式ホーム2面2線の地上駅[17]。2番線は上下線両方の線路と接するが、上り線専用となっている[17]。互いのホームは跨線橋で連絡している。

駅舎は1989年(平成元年)10月に生田原町が行った「安国駅前再開発事業」の一環で町の物産展示場との合築として改築したものである[7]。地元のカラマツ集成材を用いた木造平屋建(ログハウス調)となっており、トイレも併設する[3][7]遠軽駅管理の無人駅

のりば

番線 路線 方向 行先
1 石北本線 下り 北見網走方面
2 上り 遠軽旭川方面

利用状況

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1923年(大正12年) 31,164 (85.1) [18]
1932年(昭和07年) 18,105 (49.6)
1935年(昭和10年) 21,063 (57.5)
1936年(昭和11年) 18,701 (51.2)
1945年(昭和20年) 47,941 (131.3)
1946年(昭和21年) 65,232 (178.7)
1947年(昭和22年) 74,921 (204.7)
1948年(昭和23年) 70,086 (192.0)
1949年(昭和24年) 66,774 (182.9)
1950年(昭和25年) 66,709 (182.8)
1952年(昭和27年) 71,521 (195.9)
1953年(昭和28年) 74,211 (203.3)
1954年(昭和29年) 76,560 (209.8)
1955年(昭和30年) 74,557 (203.7)
1956年(昭和31年) 75,685 (207.4)
1957年(昭和32年) 79,735 (218.5)
1958年(昭和33年) 84,489 (231.5)
1963年(昭和38年) 60,815 (166.2)
1970年(昭和45年) 36,204 (99.2)
1971年(昭和46年) 32,044 (87.6)
1972年(昭和47年) 36,416 (99.8)
1973年(昭和48年) 38,009 (104.1)
1974年(昭和49年) 41,573 (113.9)
1975年(昭和50年) 35,385 (96.7)
1992年(平成04年) (62.0) [17] 一日平均乗降客数:124
2016年(平成28年) 14.2 [JR北 1]
2017年(平成29年) 12.8 [JR北 2]
2018年(平成30年) 10.2 [JR北 3]
2019年(令和元年) 9.2 [JR北 4]
2020年(令和02年) 6.4 [JR北 5]
2021年(令和03年) 4.8 [JR北 6]

駅周辺

安国の集落がある。

  • 国道242号国道333号
  • 遠軽町役場安国出張所
  • 遠軽警察署安国駐在所
  • 安国郵便局
  • 北海道紋別養護学校ひまわり学園分校
  • 遠軽町立安国中学校
  • 遠軽町立安国小学校
  • 遠軽町立安国保育所
  • 北海道北見バス「安国」停留所[19]
  • セイコーマート安国店
  • 安国神社 - 毎年、秋祭りの9月22日である宵宮祭には、地元有志による素人縁日が行われる。
  • 安国公園
  • 安国パークゴルフ場
  • 女性・若者等活動促進施設「かぜる安国」
  • 安国活性化センター「ピノキオハウス」

隣の駅

北海道旅客鉄道(JR北海道)
石北本線
特別快速「きたみ」・普通
遠軽駅 (A50) - 安国駅 (A51) - *生野駅 (A52) - 生田原駅 (A53)
*打消線は廃駅

脚注

出典

  1. ^ a b c d e 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、919頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、245頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  3. ^ a b c d 太田幸夫 (2004-02-29). 北海道の駅 878ものがたり ~駅名のルーツ探求~ (1 ed.). 札幌市: 富士コンテム. p. 113. ISBN 4-89391-549-5 
  4. ^ a b c d e f 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 28号・釧網本線/石北本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月31日、22-23頁。 
  5. ^ 「告示 / 運輸省 / 第50号 / 房總西線安房北條停車場等改稱/」『官報』1946年2月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ “「通報」●石北本線桜岡駅ほか12駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1983年1月10日) 
  7. ^ a b c d e 続生田原町史編さん委員会 編『続生田原町史』生田原町、1997年、495-506頁。doi:10.11501/9541098https://doi.org/10.11501/95410982022年11月23日閲覧 
  8. ^ “〝木のマチ〟にぴったり駅名 生田原”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年11月1日)
  9. ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 90年版』ジェー・アール・アール、1990年8月1日、168頁。ISBN 4-88283-111-2 
  10. ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年。NDLJP:1029473 
  11. ^ 太田幸夫 (2004-02-29). 北海道の駅 878ものがたり ~駅名のルーツ探求~ (1 ed.). 札幌市: 富士コンテム. p. 113. ISBN 4-89391-549-5 
  12. ^ a b c d 生田原町史編さん委員会 編『生田原町史』生田原町、1981年、97-103頁。doi:10.11501/9570602https://doi.org/10.11501/95706022022年11月20日閲覧 
  13. ^ a b c 1920年7月の出来事”. えんがるストーリー. 遠軽町. 2022年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月20日閲覧。
  14. ^ 太田幸夫 (2004-02-29). 北海道の駅 878ものがたり ~駅名のルーツ探求~ (1 ed.). 札幌市: 富士コンテム. p. 113. ISBN 4-89391-549-5 
  15. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、212頁。ASIN B000J9RBUY 
  16. ^ a b c d 生田原町史編さん委員会 編『生田原町史』生田原町、1981年、674-676頁。doi:10.11501/9570602https://doi.org/10.11501/95706022022年11月20日閲覧 
  17. ^ a b c 宮脇俊三原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、142頁。ISBN 4-09-395401-1 
  18. ^ 生田原町史編さん委員会 編『生田原町史』生田原町、1981年、678-681頁。doi:10.11501/9570602https://doi.org/10.11501/95706022022年11月20日閲覧 
  19. ^ 路線図 清里線(キララン清里行)”. 北海道北見バス. 2019年6月21日閲覧。

JR北海道

  1. ^ 石北線(新旭川・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20171209102701/http://www.jrhokkaido.co.jp/corporate/senku/pdf/senku/10.pdf2017年12月10日閲覧 
  2. ^ 石北線(新旭川・網走間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、3頁、2018年7月2日。オリジナルの2018年8月19日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20180818171718/http://www.jrhokkaido.co.jp/corporate/region/pdf/senku/10.pdf2018年8月19日閲覧 
  3. ^ 石北線(新旭川・網走間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
  4. ^ 石北線(新旭川・網走間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人以上2,000人未満の線区(「黄色」8線区). 北海道旅客鉄道. p. 3・4 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月2日閲覧。
  5. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月14日閲覧。
  6. ^ 駅別乗車人員 特定日調査(平日)に基づく”. 北海道旅客鉄道. 2022年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月3日閲覧。

関連項目

外部リンク