天幕駅

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Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:営業当時の駅舎・構内の画像提供をお願いします。2015年5月
天幕駅
てんまく
Temmaku
上川 (5.6km)
(6.7km) 中越
所在地 北海道上川郡上川町字天幕
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 石北本線
キロ程 50.5km(新旭川起点)
電報略号 テマ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1929年昭和4年)11月20日
廃止年月日 2001年平成13年)7月1日
備考 廃駅
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天幕駅(てんまくえき)は、北海道上川郡上川町字天幕鉄道用地に存在した北海道旅客鉄道(JR北海道)石北本線鉄道駅である。2001年(平成13年)7月1日に廃止された。電報略号テマ

歴史[編集]

1977年の天幕駅と周囲約500m範囲。右が遠軽方面。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

駅名の由来[編集]

地名より。由来は諸説ある[4][5][6]

もともと同地は現在の上越中越などとともに、アイヌ語で「道・越える(=越える道)」を表す、ルベシベ(ルペシュペ)と呼ばれていたが[6]1889年(明治22年)から1893年(明治26年)にかけて中央道路(のちの国道39号に相当)建設にあたって天幕(テント)が張られたことから「天幕」と名付けられたとされ、『駅名の起源』ではこの説を採る[6]。この天幕については、測量時に張られたテントであったという説や[5]、天幕張りの事務所であったという説[6]がある。

このほか、後述の天幕三次郎と自称した男性に由来するとした説があり、しばしば人名由来の地名・駅名と紹介される[7]

天幕三次郎[編集]

中央道路建設と同時期の1890年(明治23年)から、同地の河畔では、清水三次郎という幕府旗本とアイヌの女性の間に生まれた男(以下三次郎)が小屋で狩猟生活をしており、天幕三次郎と呼ばれていた[5]。この呼び名は「天幕」という地に住みついたことから自称したとする説[5]や、三次郎が天幕生活をしていたことからついた名とする説[4]などがある。

三次郎は1897年(明治30年)頃には広い家を建て、同地で私設の駅逓の役割を果たしていたが、1903年(明治36年)に同棲していた未亡人の連れ子である、お花という女性と駆け落ちし、六号野上(現在の遠軽町栄野)の駅逓で駅逓夫として働いた[5]

しかし、住民との間にお花とのうわさ話が広まり、1年後の10月に中央道路の郵便駅逓が廃止されたのを機に、瀬戸瀬にある沢(現在の隠れ沢)で再び猟業生活を始めたが、翌春までに熊の害に遭い死亡してしまったという[5]

その後、お花は別の男性と結婚し、白滝で旅館を営んだのち、雄武で時計店を開業した[5]

田辺朔朗と三次郎[編集]

三次郎が天幕の地で暮らしていたころの、1896年(明治29年)8月21日、当地北海道庁鉄道建設部長として鉄道敷設調査を行っていた土木技師、田辺朔郎らの一行は、同地で泊地を探している途上で彼の小屋に一泊することとなった。三次郎は、寝食の世話をし、風呂までこしらえるなどの歓待をした[5][7]

このため、一説には田辺による三次郎への感謝の気持ちの表れ、として、同地に設置される駅の名称が「天幕」となったと紹介する文献もある[7]

その後、1933年(昭和8年)6月に田辺は開通4年後の石北線に乗車し、天幕駅を通過した際、三次郎を思い出し、恩返しをしたいと思い立った。そこで当時の遠軽駅長に「おそらく亡くなっているであろうが、もし遺族がいたらこれを届けてほしい」と香典を託した。その後、駅長は雄武のお花のもとへ香典を届け、お花は駅長の計らいで旭川駅に立ち寄った田辺と鉄道電話で三次郎の思い出話を交わしたという[5]

廃止時の駅構造[編集]

駅跡[編集]

駅跡記念碑

現況[編集]

駅舎は解体されたが、信号関係の建物は今でも残っている。かつての構内を通る本線の線形は2016年現在でも直されておらず、駅舎側に寄ったそのままの形に残されている。 駅舎があった所には旭川支社が建立した記念碑が設置された。

周辺[編集]

  • 国道273号
  • リサイクルかみかわ(産業廃棄物処理施設)

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道
石北本線
上川駅 - 天幕駅 - 中越駅(現在の中越信号場)

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f 曽根悟(監修) 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』28号・釧網本線/石北本線、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月31日、22-23頁。
  2. ^ 支笏湖沿岸の美笛に開坑した千歳鉱山の金鉱石は、王子軽便鉄道により苫小牧駅へ、苫小牧駅から当駅へ送られてこの精錬所で精錬された。
  3. ^ 当地では採掘をしない「金の出ない金山」とよばれていて、他山からの買鉱によって運用されていたが、最終的に政府の「自産なき山の精錬所は許可しない」方針により閉鎖となった。
  4. ^ a b 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 150. ISBN 4893637606. OCLC 40491505. https://www.worldcat.org/oclc/40491505 2018年10月16日閲覧。. 
  5. ^ a b c d e f g h i 天幕三次郎とカクレ沢”. えんがるストーリー. 遠軽町. 2018年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月18日閲覧。
  6. ^ a b c d 『駅名の起源』 札幌鉄道局編、北彊民族研究会、1939年、96-97頁。NDLJP:1029473
  7. ^ a b c 太田幸夫 (2011-08-15). 北の保線 線路を守れ、氷点下40度のしばれに挑む. 交通新聞社. pp. 174-175. ISBN 978-4-330-23211-9. 

外部リンク[編集]

  • 1948年(昭和23年)撮影航空写真 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス。駅舎の右側に上屋のある櫛状の貨物ホームと木材が多く野積みされた土場へ貨物引込線、駅裏側にもホームから離れた位置に主に留置用とみられる側線が認められ、当時の標準的な一般駅構造を持っていた。

関連項目[編集]