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1974年アルゼンチングランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルゼンチンの旗 1974年アルゼンチングランプリ
レース詳細
日程 1974年シーズン第1戦
決勝開催日 1月13日
開催地 ブエノスアイレス・サーキット
アルゼンチンの旗 アルゼンチン ブエノスアイレス
コース 恒久的レース施設
コース長 5.968 km (3.708 mi)
レース距離 53周 316.315 km (196.549 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー
タイム 1:50.78
ファステストラップ
ドライバー スイスの旗 クレイ・レガツォーニ
タイム 1:52.10(38周目)[W 1]
決勝順位
優勝
2位
3位

1974年アルゼンチングランプリ (: 1974 Argentine Grand Prix、正式名称: XI Gran Premio de la Republica Argentina) は、1974年のF1世界選手権の開幕戦として、1974年1月13日ブエノスアイレス・サーキットで開催された。

概要

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レースは53周で行われ、10番手からスタートしたマクラーレンデニス・ハルムが優勝した。フェラーリニキ・ラウダが2位、チームメイトのクレイ・レガツォーニが3位となった。

ハルムはF1キャリアで8回目かつ最後の勝利であり[W 2]2023年終了時点でニュージーランド人ドライバーにとって最後の勝利でもある[W 3]

背景

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1973年秋から1974年初頭にかけて、モータースポーツ界は大きく揺れ動いた。王者ジャッキー・スチュワート引退とその後継者と目されたフランソワ・セベールの事故死、そしてオイルショックの影響でモータースポーツ自粛ムードが世界中に広がり[1]、ヨーロッパ各国の政府がガソリン節約のためイベント数を制限する意向を示したことから、この年のラリー・モンテカルロが中止に追い込まれた[W 4]。F1も本GPが中止になるのではないかと噂されたが[W 4]、中止されないどころかシーズンが進むにつれて参加者は増加していった[W 5]

サーキット

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ブエノスアイレス・サーキットのレイアウトが前年までのNo.9からより高速なNo.15に変更された[W 5]

エントリー

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この年からカーナンバーがシーズンを通して固定されることになった[W 6]。カーナンバー1は前年度のドライバーズチャンピオンが使用することになったが、前年度チャンピオンのジャッキー・スチュワートが引退したことにより、前年度のコンストラクターズチャンピオンを獲得したロータスロニー・ピーターソンに「1」が与えられた[W 7]

各チームのラインナップ

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ワークスチーム

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前年のコンストラクターズランキング順に記載する。

ロータスはピーターソンが残留し[1]ジャッキー・イクスが加入した[2]。マシンは登場から4年が経過した72Eを引き続き使用するが、新車76の設計を開始していた[W 4]

ティレルはスチュワートが引退、フランソワ・セベールを事故死で失ったため、ジョディー・シェクターパトリック・デパイユの新人2人[注 1]にラインナップを一新した[1]。マシンは新車007の準備が整わず、シェクターが006、デパイユは005で開幕を迎える[W 4]

マクラーレンはベテランのデニス・ハルムが残留し[W 4]、ロータスからエマーソン・フィッティパルディが移籍してきた[1]。この年から新たなタイトルスポンサーとしてマールボロテキサコが付いた[W 4]。これとは別に従来のタイトルスポンサーであったヤードレーの支援も継続され、マイク・ヘイルウッドが3台目のドライバーに起用された[2]。マシンは前年に登場したM23を継続使用する[2]

ブラバムは3年目を迎えるカルロス・ロイテマン[3]F3出身の新人リチャード・ロバーツ英語版のコンビで[4]、新車BT44が投入された[W 4]

マーチハウデン・ガンレイハンス=ヨアヒム・スタックの2台体制で、新車741を使用する[W 4]

フェラーリは前年の不振を経てチーム体制を一新し、ルカ・ディ・モンテゼーモロがチーム監督に就任した[W 5]。ドライバーはBRMからクレイ・レガツォーニが復帰し、BRMでチームメイトだった若手ニキ・ラウダも移籍してきた[3]マウロ・フォルギエリにより312B3は大幅に改良が施された[5]

BRMはタイトルスポンサーのマールボロを失い、モチュールが新たなタイトルスポンサーになった[W 4]。ドライバーはジャン=ピエール・ベルトワーズが残留し、アンリ・ペスカロロと新人フランソワ・ミゴールが加わり[4]、フランス人3人の体制となった[W 5]。マシンはP160Eを引き続き使用する[W 4]

参戦2年目を迎えるシャドウはドライバーラインナップが一新され、前年マクラーレンで2勝したピーター・レブソン前年のヨーロッパF2選手権チャンピオンのジャン=ピエール・ジャリエのコンビとなった[W 4]。レブソンには新車DN3が与えられたが、ジャリエは前年型のDN1で開幕を迎える[W 4]

サーティースカルロス・パーチェヨッヘン・マスのコンビとなり、新車TS16が投入された[W 4]

ウィリアムズは前年同様「イソ・マールボロ」として参戦し、ドライバーは前年フェラーリに在籍したアルトゥーロ・メルツァリオを迎えた[W 4]。マシンは前年のIRジャンパオロ・ダラーラが改修したFWを使用する[W 4]

エンサインリッキー・フォン・オペルが残留し、新車N174が投入された[W 4]

グラハム・ヒル率いるエンバシー・レーシングローラにマシン製作を依頼し、T370をヒル自身と新人ガイ・エドワーズの2人がドライブする[6]

プライベートチーム

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ヘスケスは自製マシンの完成までマーチ・731を使用する。ドライバーはジェームス・ハントが残留[W 4]

ゴールディ・ヘキサゴン・レーシング英語版はブラバムの前年型BT42ジョン・ワトソンがドライブする[W 4]

タイヤ

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ロータス、ティレル、マクラーレン、ブラバム、マーチ、フェラーリ、シャドウがグッドイヤー、BRM、サーティース、ウィリアムズ、エンサイン、エンバシー・ヒル、ヘスケス、ヘキサゴンがファイアストンを使用するが、この年有力と見られた5チーム(ロータス、ティレル、マクラーレン、ブラバム、フェラーリ)が全てグッドイヤーを使用していることから、グッドイヤーの優位は揺るぎない状態であった[W 4]。なお、ファイアストンはこの年をもってF1から撤退することになる[W 4][注 2][7]

エントリーリスト

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チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イギリスの旗 ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス 1 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス 72E フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス
イギリスの旗 エルフ・チーム・ティレル 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル 006 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
4 フランスの旗 パトリック・デパイユ 005
イギリスの旗 マールボロ・チーム・テキサコ 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン M23 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
6 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム
イギリスの旗 ヤードレー・チーム・マクラーレン 33 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド
イギリスの旗 モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム BT44 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
8 イギリスの旗 リチャード・ロバーツ英語版
イギリスの旗 マーチ・エンジニアリング 9 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ 741 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
10 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 312B3-74 フェラーリ 001/11 3.0L F12 G
12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ
イギリスの旗 チーム・モチュール・BRM 14 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM P160E BRM P142 3.0L V12 F
15 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ
37 フランスの旗 フランソワ・ミゴール
アメリカ合衆国の旗 UOP・シャドウ・レーシングチーム 16 アメリカ合衆国の旗 ピーター・レブソン シャドウ DN3 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ DN1
イギリスの旗 チーム・サーティース 18 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ サーティース TS16 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
19 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス
イギリスの旗 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロ FW フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 チーム・エンサイン 22 リヒテンシュタインの旗 リッキー・フォン・オペル エンサイン N174 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 ヘスケス・レーシング 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント マーチ 731 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 エンバシー・レーシング・ウィズ・グラハム・ヒル 26 イギリスの旗 グラハム・ヒル ローラ T370 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
27 イギリスの旗 ガイ・エドワーズ
イギリスの旗 ジョン・ゴールディ・レーシング・ウィズ・ヘキサゴン 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ブラバム BT42 フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
出典: [W 8]

予選

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(特記のない出典: [W 5]

ロータスロニー・ピーターソンポールポジションを獲得した。フェラーリクレイ・レガツォーニフロントローに並び、冬の間にどれだけの進歩を遂げたかを示した。エマーソン・フィッティパルディピーター・レブソンが2列目に並び、ジェームス・ハントハーベイ・ポスルスウェイトによって改修されたマーチ・731で5番手を得た。母国グランプリのカルロス・ロイテマンは6番手、ジャッキー・イクスニキ・ラウダが4列目、マイク・ヘイルウッドデニス・ハルムが5列目に並ぶ。最下位に終わったリッキー・フォン・オペルはハンドリングの問題で決勝出走を取りやめ[8]、そのままエンサインを去っていった[W 4]

予選結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 1 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータスフォード 1:50.78 - 1
2 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 1:50.96 +0.18 2
3 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレンフォード 1:51.06 +0.28 3
4 16 アメリカ合衆国の旗 ピーター・レブソン シャドウフォード 1:51.30 +0.52 4
5 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント マーチフォード 1:51.52 +0.74 5
6 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバムフォード 1:51.55 +0.77 6
7 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス ロータスフォード 1:51.70 +0.92 7
8 12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ フェラーリ 1:51.81 +1.03 8
9 33 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド マクラーレンフォード 1:51.86 +1.08 9
10 6 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレンフォード 1:52.06 +1.28 10
11 18 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ サーティースフォード 1:52.20 +1.42 11
12 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレルフォード 1:52.47 +1.69 12
13 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロフォード 1:53.14 +2.36 13
14 14 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 1:53.18 +2.40 14
15 4 フランスの旗 パトリック・デパイユ ティレルフォード 1:53.27 +2.49 15
16 17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウフォード 1:53.66 +2.88 16
17 26 イギリスの旗 グラハム・ヒル ローラフォード 1:53.90 +3.12 17
18 19 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス サーティースフォード 1:53.90 +3.12 18
19 10 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ マーチフォード 1:54.21 +3.43 19
20 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ブラバムフォード 1:54.39 +3.61 20
21 15 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ BRM 1:54.67 +3.89 21
22 8 イギリスの旗 リチャード・ロバーツ英語版 ブラバムフォード 1:54.73 +3.95 22
23 9 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチフォード 1:55.19 +4.41 23
24 37 フランスの旗 フランソワ・ミゴール BRM 1:55.43 +4.65 24
25 27 イギリスの旗 ガイ・エドワーズ ローラフォード 1:56.43 +5.65 25
26 22 リヒテンシュタインの旗 リッキー・フォン・オペル エンサインフォード 1:57.86 +7.08 DNS 1
出典: [W 9][W 10][W 11]
追記
  • ^1 - フォン・オペルはハンドリングの問題により決勝の出走を見合わせた[8]

決勝

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(特記のない出典: [8]

アルゼンチンの観客たちは母国のヒーローであるカルロス・ロイテマンの活躍を見ようと続々とサーキットに詰めかけた。アルゼンチンが生んだ世界チャンピオンであるファン・マヌエル・ファンジオが振り下ろすアルゼンチン国旗を合図にレースはスタートした[注 3]

ポールポジションロニー・ピーターソン、3列目から好スタートを切ったジェームス・ハントクレイ・レガツォーニの3台が一体となって1コーナーへ突っ込んでいったが、レガツォーニはマイク・ヘイルウッドと激しく接触して大きくスピンしてしまい、すぐ横にいたレブソンもスピンしてしまう。ジャン=ピエール・ジャリエは同僚のレブソンを避けきれずに接触し、シャドウは2台ともリタイアした。ハントはピーターソンを抜いて首位に立つが、直後にスピンを喫して後方に沈み、代わってロイテマンが2位となりピーターソンを追っていく。

3周目にロイテマンがピーターソンを抜いて首位に立つと、サーキット全体が大歓声の坩堝と化した。ロイテマンが後方との差を徐々に広げていく一方、ピーターソンはフロントブレーキがフェード気味となり、エンジンの調子も上がらずペースが落ち、10周目にはデニス・ハルム、次の周にジャッキー・イクスにも抜かれ4位に後退する。

ニキ・ラウダは徐々に順位を上げていき、15周目にヘイルウッドとピーターソンを抜いて4位に浮上し、その前を走るイクスとの激しい3位争いが繰り広げられたが、25周目にイクスがスローダウンして3位となる。

ロイテマンは首位を独走していたが、40周目を過ぎたところでドライバーズシートの背後にあるエアスクープがぐらつき始め、さらに半分ちぎれてブラブラになってしまう。このトラブルでロイテマンのペースが落ちたが、それでも2位ハルムとの差は30秒以上あり、母国グランプリ優勝は間違いないものと見られた。他のマシンも終盤が近づくにつれてトラブルが出始め、ピーターソンはタイヤのトラブルでピットインし入賞の望みは絶たれた。ヘイルウッドはラジエーターに石が当たって破損し、レガツォーニに抜かれた。そしてあと6周になったところでロイテマンのイグニッションワイヤー[注 4]が1本外れてしまい、排気音がおかしくなる。1気筒が死んだ状態[9]で走るロイテマンに観衆は祈るような声援を送るも、あと2周となったところでハルムがロイテマンを抜いて首位に立った。ロイテマンは次の周にラウダにも抜かれて3位に落ち、最終ラップに燃料が切れ、ゴールまで残り1.6kmの地点でマシンを止めた。ロイテマンが優勝を逃し、貴賓席で観戦していたフアン・ペロン大統領をはじめとした観衆は大きく落胆した。

逆転優勝を果たしたハルムはこれが結果的に最後の勝利となる[3]。ラウダとレガツォーニが2-3位に食い込み、フェラーリは早くも復調の様子を見せた[3][注 5]。3台目のマクラーレンを駆るヘイルウッドが4位[9]BRMジャン=ピエール・ベルトワーズが5位に入り、6位のパトリック・デパイユティレル)は初ポイントを獲得した[W 4]

レース結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 6 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 53 1:41:02.01 10 9
2 12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ フェラーリ 53 +9.27 8 6
3 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 53 +20.41 2 4
4 33 イギリスの旗 マイク・ヘイルウッド マクラーレン-フォード 53 +31.79 9 3
5 14 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 53 +51.84 14 2
6 4 フランスの旗 パトリック・デパイユ ティレル-フォード 53 +1:52.48 15 1
7 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 52 燃料切れ 6
8 10 ニュージーランドの旗 ハウデン・ガンレイ マーチ-フォード 52 燃料切れ 19
9 15 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ BRM 52 +1 Lap 21
10 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン-フォード 52 +1 Lap 3
11 27 イギリスの旗 ガイ・エドワーズ ローラ-フォード 51 +2 Laps 25
12 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ブラバム-フォード 49 +4 Laps 20
13 1 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 48 +5 Laps 1
Ret 26 イギリスの旗 グラハム・ヒル ローラ-フォード 45 エンジン 17
Ret 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス ロータス-フォード 36 クラッチ 7
Ret 8 イギリスの旗 リチャード・ロバーツ英語版 ブラバム-フォード 36 ギアボックス 22
Ret 9 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ-フォード 31 クラッチ 23
Ret 37 フランスの旗 フランソワ・ミゴール BRM 31 水漏れ 24
Ret 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル-フォード 25 エンジン 12
Ret 18 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ サーティース-フォード 21 サスペンション 11
Ret 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロ-フォード 19 オーバーヒート 13
Ret 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント マーチ-フォード 11 オーバーヒート 5
Ret 19 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス サーティース-フォード 10 エンジン 18
Ret 16 アメリカ合衆国の旗 ピーター・レブソン シャドウ-フォード 1 アクシデント 4
Ret 17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウ-フォード 0 アクシデント 16
DNS 22 リヒテンシュタインの旗 リッキー・フォン・オペル エンサイン-フォード ハンドリング 26
出典: [W 12]
追記
  • ^† - リタイアだが、90%以上の距離を走行したため規定により完走扱い
優勝者デニス・ハルムの平均速度[W 13]
187.841 km/h (116.719 mph)
ファステストラップ[W 1]
ラップリーダー[W 14]
太字は最多ラップリーダー
達成された主な記録[W 4]

第1戦終了時点のランキング

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  • : トップ5のみ表示。有効ポイントは前半8戦のうちベスト7戦と後半7戦のうちベスト6戦の合計。

脚注

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注釈

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  1. ^ 2人とも1972年にスポット参戦を開始していたが、フル参戦は初となる。
  2. ^ 終盤戦の北米ラウンドから参戦を開始したパーネリが翌1975年の開幕戦アルゼンチンGPまでファイアストンを使用していたが、前年(1974年)の在庫品であり、同GPを最後にパーネリもグッドイヤーに変更したことにより、グッドイヤーのワンメイクとなった。
  3. ^ 当時は国旗を振り下ろすのがスタートの合図だった。
  4. ^ エンジンのディストリビューターとプラブを結んでいるパーツ。
  5. ^ フェラーリ2台が表彰台に立つのは1972年ドイツグランプリ以来であった。

出典

[編集]
書籍
  1. ^ a b c d (林信次 1993, p. 74)
  2. ^ a b c (林信次 1993, p. 86)
  3. ^ a b c d (林信次 1993, p. 76)
  4. ^ a b (林信次 1993, p. 87)
  5. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 278-279)
  6. ^ (林信次 1993, p. 88)
  7. ^ (林信次 1993, p. 98)
  8. ^ a b c Jeff Hutchinson「アルゼンチン・グランプリ」『AUTO SPORT No.138』、三栄書房、1974年3月15日、10-20頁。 
  9. ^ a b (ダグ・ナイ 1989, p. 228-229)
ウェブサイト
  1. ^ a b Argentina 1974 - Best laps” (英語). STATS F1. 2024年3月27日閲覧。
  2. ^ a b 戦績:D.ハルム”. F1 DataWeb. 2024年3月27日閲覧。
  3. ^ New Zealand - Wins” (英語). STATS F1. 2024年3月27日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w Argentina 1974” (フランス語). STATS F1. 2024年3月27日閲覧。
  5. ^ a b c d e Argentine GP, 1974” (英語). grandprix.com. 2024年3月27日閲覧。
  6. ^ 全ドライバーの番号決定!カーナンバーはどう決める?|F1コラム”. The Sporting News (2022年12月27日). 2024年3月27日閲覧。
  7. ^ F1’s numbers game: The 1 and only” (英語). The Race (2020年4月10日). 2024年3月27日閲覧。
  8. ^ Argentina 1974 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2024年3月27日閲覧。
  9. ^ Formula One 1974 Argentine Grand Prix Classification” (英語). Motorsport Stats. 2024年3月27日閲覧。
  10. ^ Argentina 1974 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2024年3月27日閲覧。
  11. ^ Argentina 1974 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2024年3月27日閲覧。
  12. ^ 1974 Argentine Grand Prix” (英語). formula1.com. 18 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
  13. ^ Argentina 1974 - Result” (英語). STATS F1. 2024年3月27日閲覧。
  14. ^ Argentina 1974 - Laps led” (英語). STATS F1. 2024年3月27日閲覧。
  15. ^ 戦績:N.ラウダ”. F1 DataWeb. 2024年3月27日閲覧。
  16. ^ 戦績:P.ドゥパイエ”. F1 DataWeb. 2024年3月27日閲覧。
  17. ^ 戦績:H.J.シュトゥック”. F1 DataWeb. 2024年3月27日閲覧。
  18. ^ 戦績:G.エドワーズ”. F1 DataWeb. 2024年3月27日閲覧。
  19. ^ 戦績:R.ロバーツ”. F1 DataWeb. 2024年3月27日閲覧。
  20. ^ a b FIA Formula One World Championship 1974 Argentine Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2024年3月27日閲覧。

参照文献

[編集]
  • Wikipedia英語版 - en:1974 Argentine Grand Prix(2024年2月12日 8:56:34(UTC))
  • 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ISBN 4-938495-05-8 
  • アラン・ヘンリー 著、早川麻百合/島江政弘 訳『チーム・フェラーリの全て』CBS・ソニー出版、1989年。ISBN 4-7897-0491-2 
  • ダグ・ナイ 著、森岡成憲 訳『チーム・マクラーレンの全て』CBS・ソニー出版、1989年。ISBN 4-7897-0504-8 
  • AUTO SPORT No.138 1974年3月15日号(三栄書房

外部リンク

[編集]
前戦
1973年アメリカグランプリ
FIA F1世界選手権
1974年シーズン
次戦
1974年ブラジルグランプリ
前回開催
1973年アルゼンチングランプリ
アルゼンチンの旗 アルゼンチングランプリ 次回開催
1975年アルゼンチングランプリ