辻直四郎

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辻 直四郎
人物情報
別名 福島 直四郎
生誕 (1899-11-18) 1899年11月18日
日本の旗 日本東京都
死没 1979年9月24日(1979-09-24)(79歳)
出身校 東京大学
学問
研究分野 言語学インド文学
研究機関 東京大学
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辻 直四郎(つじ なおしろう、1899年11月18日 - 1979年9月24日)は、日本の古代インド学者、言語学者東京大学名誉教授、東洋文庫第8代理事長。

経歴[編集]

戦前[編集]

東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)で生まれた。旧姓は福島。府立一中一高文乙(英文科)を経て、東京帝国大学文学部言語学科卒業。在学中は主に藤岡勝二高楠順次郎に師事し、比較言語学サンスクリット語学を学んだ。また、哲学・ギリシア語を晩年のラファエル・ケーベルに学んだ。

1924年より1927年まで、梵語研究のため渡欧。イギリス・オックスフォード大学、ドイツ・マールブルク大学においてパーリ語・サンスクリット語、ヴェーダを初めとする古代インド文学神話学、加えてケルト語バルト語・印欧比較言語学を学び帰国。

1927年に東京帝国大学印度哲学梵文学科・梵語学梵文学講座の担当講師、同年助教授となった。1932年に同講座は印度哲学科と併合し、1942年以降はその教授に就いた。門下生からは仏教学者渡辺照宏インド文学者の田中於菟弥言語学者西洋古典学者の高津春繁が育った。

戦後[編集]

戦後はインド学や印欧比較言語学がアーリアン学説に繋がるものと見なされ、公職追放の対象となる危機に直面したが、敗戦後も引き続き東京大学で教鞭をとることができた。戦後の学生には、古典文献学の原實、インド学者の松山俊太郎らがいる。大相撲を好み、和服で講義した。学界では、1951年に日本印度学仏教学会を創立し、その発展にも大きく寄与した。

1960年の定年退官後は、慶應義塾大学教授に就任した。戦後東洋文庫が財政的支援者を失い、国立国会図書館の支部となっていたが、1961年にユネスコ東アジア文化研究センターが併設されると委員となって海外との学術交流に貢献した。東洋文庫理事を務め、1974年には理事長を没時まで務めた[1]。1953年に日本学士院会員に選ばれ[2]、1978年に文化功労者となった。

1979年に死去。墓所は北鎌倉東慶寺(門下生である井上禅定が住職を務めていた)。

受賞・栄典[編集]

研究内容・業績[編集]

インド古典学研究[編集]

日本におけるインド古典学研究を開拓した。海外留学を通じて欧州の研究動向に通じており、戦後の東洋文庫の発展に大きく寄与すると同時に、その業績は海外の学会でも高く評価された。

没後に蔵書1万2000点が東洋文庫に納められ、「東洋文庫所蔵 辻文庫目録」(1982年 - 1985年)が発行されている。

その他

著作[編集]

著書[編集]

「言語と文学」「梵文金華瑶英」を収録
  • ブラーフマナとシュラウタ・スートラとの関係』(東洋文庫、東洋文庫叢書33) 1952
  • ヴェーダとウパニシャッド』(創元社) 1953
  • 『インド文明の曙 ヴェーダとウパニシャッド』(岩波新書青版) 1967、のち新装版
  • 『現存ヤジュル・ヴェーダ文献 古代インドの祭式に関する根本資料の文献学的研究』(東洋文庫、東洋文庫論叢52) 1970
  • サンスクリット文学史』(岩波書店岩波全書) 1973、のち新装版
  • 『サンスクリット文法』(岩波書店、岩波全書) 1974、のち新装版
  • 『サンスクリット読本』(春秋社) 1975
  • 『ヴェーダ学論集』(岩波書店) 1977
  • 『古代インドの説話 ブラーフマナ文献より』(春秋社) 1978
  • 「辻直四郎著作集」全4巻(法藏館) 1981 - 1982
第1・2巻は『ヴェーダ学』、3巻は『文学』、4巻は『言語学』

翻訳[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 東洋文庫(辻直四郎)
  2. ^ 日本学士院(物故会員)
  3. ^ Naoshiro Tsuji - Nomination Datebase(ノーベル財団)
  4. ^ Naoshiro Tsugi - Nomination Database(ノーベル財団)1964年度のみ、姓を"Tsugi"と誤記しているため、別人扱いになっている。
  5. ^ 1967年ノーベル文学賞候補者リスト (PDF) - ノーベル財団(スウェーデン語)
  6. ^ 「辻直四郎博士を囲んで」門下生と座談会で回想。
  7. ^ 大正後期から昭和にかけ活躍した東洋学者24名の業績を紹介。
  8. ^ 東洋文庫