西公園 (仙台市)

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西公園
West Park (Sendai) in the cherry blossom season.jpg
桜の季節の西公園(2005年4月19日)
分類 都市公園 > 基幹公園 > 都市基幹公園 > 総合公園
所在地
宮城県仙台市青葉区桜ヶ岡公園1-3(および、2-1、2-3、3-2)
座標 北緯38度15分43.8秒 東経140度51分42.4秒 / 北緯38.262167度 東経140.861778度 / 38.262167; 140.861778座標: 北緯38度15分43.8秒 東経140度51分42.4秒 / 北緯38.262167度 東経140.861778度 / 38.262167; 140.861778
面積 10.8033ha
前身 仙台藩家臣邸宅
開園 1875年明治8年)6月20日
設備・遊具 C60形蒸気機関車、キリシタン殉教碑、こけし塔、彫像、池、運動広場、水飲み場、植栽、照明灯
ジャングルジムブランコすべり台
駐車場 なし
バリアフリー バリアフリー公衆トイレ
アクセス #アクセス参照
告示 1875年(明治8年)6月
保存されているC60形蒸気機関車(2007年11月撮影)

西公園(にしこうえん)は、仙台市都心部の西部、広瀬川の左岸沿いにある仙台市都市公園。仙台市による公園としては最も歴史が長い。当初の正式名称は「桜ヶ岡公園」であったが、現在は現称が正式[1]。ただし、現在も住所は「桜ヶ岡公園」のままである。

概要[編集]

広瀬川を挟んで向かい合う青葉山公園や、当園に隣接する定禅寺通りと一体となり、「杜の都仙台」を象徴する地区を形成している。また、勾当台公園に次いで様々なイベントが開かれる集客装置でもある。園内には約190本のが植えられており、市内では花見の名所として著名で、例年4月中旬頃には花見客で賑わう。また、C60形蒸気機関車唯一の保存機がある。

位置・地形[編集]

西側を広瀬川、北側を仙台市民会館、東側を西公園通り、南側を仙台城大手門前から大橋を渡って続く大橋通り[2]で囲まれる。公園の中央を東西に立町新丁(広瀬通りの西に続く道。上下2層に分かれる仲の瀬橋の上層を通る一般道は市道仲の瀬橋線[3]、下層を通る自動車専用道路国道48号仙台西道路)が貫き、北東端に定禅寺通り、南東端に大町および青葉通りが接続する。

園内は、西南部が広瀬川の水面に近い河岸段丘の「仙台下町段丘」面上の部分であり、他の大半が、都心部と同じ段丘面で下町段丘より標高が高い「仙台中町段丘」面上の部分となっている。この2つの段丘面と、両者の間の段丘崖(仲の町崖)が地形的構成となる。中町段丘面部分は、立町新丁によって南北に2分割されているため、園内は大きく3つの部分に分かれる。

広瀬川を挟んだ対岸には、広瀬川仲ノ瀬緑地仙台七夕花火祭花火打上場所)、青葉山公園仙台城仙台市博物館仙台国際センター宮城県美術館宮城県仙台第二高等学校東北大学川内キャンパスなどがあり、文教・公園地区の一部を構成する。

歴史[編集]

16世紀までは原野であったため、近隣の村の草刈りなどを除き、人の居住・耕作などの活動はなかったと考えられる。

江戸時代、仙台中町段丘部分は仙台藩家臣の武家屋敷が並んでいた。本柳町に面したところは小さな区画で中級家臣が住み、その後ろに広い敷地の上級家臣の屋敷があるのが通例だったが、時期により区割りに変動がある。城下絵図などから推定すると、青葉通りの延長となる道路に面する南西角には、寛文4年(1664年)に白石片倉氏の屋敷があり、延宝5年(1677年)に移転した。元禄4、5年(1691年1692年)頃に津田民部、宝暦・明和年間から安政3から6年頃(1751年から1859年頃)には岩沼の古内氏が住んでいた。その北、今グラウンドがあり広瀬通りに面するところには、伊達安房(亘理伊達氏)の屋敷があった。下町段丘部分は上中ノ町という町名で、小人(伊達家直属の従者)の居住地であった[4]

戊辰戦争敗北により仙台藩家臣は没落し、屋敷跡は広瀬川を見下ろす名勝地として櫻岡大神宮料亭芝居小屋などが設置されていく。その流れの中、1873年明治6年)1月15日の公園開設に関する太政官布達により、宮城県も屋敷跡を取得して1875年(明治8年)6月に桜ヶ岡公園(さくらがおかこうえん)を開園した。

後に市の東に「榴岡公園」が作られたとき、これを「東公園」として、桜ヶ岡公園は西公園とされた。これら2つの公園は各々2つの名称を保持していたが、一方は榴岡公園、当方は西公園の名が定着した。当園は開園から戦中まで、4度も博覧会の会場となるなど、市を代表する公園の1つとなっていった。

戦中には園内に防空壕がいくつも造られ、仙台空襲では周辺も含めて建物が焼失した。戦後復興期に、園の北側に隣接してあった仙台偕行社常盤木学園高等女学校、さらには上中ノ町の住民も移転させて同園を拡張した。仙台市は拡張部分を別の緑地帯として計画したが、河北新報でその名前を公募・投票にかけたところ、「西公園」を推す意見が多数を占めたため、西公園の一部にした。園内に鎮座する櫻岡大神宮は、政教分離によって名義上公園から外れ、源吾茶屋も園外となった。

仙台西道路の建設の際、当園の一部が道路用地に転用された。2015年(平成27年)の仙台市地下鉄東西線開業の際には大町西公園駅が園内から青葉通りにかけての地下に建設され、また、これに合わせて園全体の再整備も行われた。

年表[編集]

以下の年表には、現在の公園の範囲内の出来事を掲載している。

前史
  • 1624年2月18日元和9年大晦日 - 宣明暦)午後2時頃、ポルトガル宣教師のディエゴ・カルヴァリョ神父をはじめとするキリシタン信者に対して宗門改が行われた。彼ら9名は、大橋下の広瀬川の水牢に閉じ込められ、水責めにされた。この日2人が殉教2月22日(元和10年正月4日)、生き残った7人が再び水責めにされ、全員が殉教した。これは、「幕府によって迫害を受ける日本のキリシタン30万人の力をバックに幕府を倒し、自ら天下人なるという政宗の構想[5]」を受けた慶長遣欧使節が失敗に終わり、支倉常長が帰国した1年半後のことである。幕府のキリシタン禁止令に13年抗していた政宗だったが、野望が破れ、幕府恭順を示すために行ったとも言われる。
  • 1872年明治5年)、伊勢堂山(現・青葉区千代田町)にあった荒巻神明社(神明宮)が、後に西公園野球場となる場所の西側の土地に遷宮。
  • 1873年(明治6年)1月15日、公園開設に関する太政官布達(明治6年太政官布告第16号)
  • 1873年(明治6年)、現在の園内の櫻岡大神宮近くに芝居小屋「吉岡座」が設置される。
  • 1875年(明治8年)5月、荒巻神明社が櫻岡大神宮に改称。
開園後
戦後
  • 1946年(昭和21年)11月11日戦災復興院告示244号により都市計画公園に決定。
  • 1947年(昭和22年)6月11日、戦災復興院告示第81号により、区域を変更。
  • 1947年(昭和22年)、常盤木学園高等女学校が小田原に移転。
  • 1948年(昭和23年)3月6日、市立仙台中学校が北山五山の1つである満勝寺の東隣に移転。
  • 1948年(昭和23年)度より、失業対策事業並びに公共空地整備事業として戦後の公園整備開始。
  • 1949年(昭和24年)2月、立町小学校が、園外の立町75番地に新築・移転(旧校地の斜向いにある現在地)[8]
  • 1950年(昭和25年)12月、仙台市公会堂が西公園の北端に新築移転。
  • 1954年(昭和29年)12月10日建設省告示第1589号により、区域を変更。
地下鉄東西線工事前の西公園南部。右手奥に旧仙台市天文台(2005年8月撮影)

施設[編集]

街区内・園内[編集]

こけし塔(2007年11月撮影)

街区内・園外[編集]

以下の施設は、管理上、園内ではないことになっているが、西公園のブロック内にあるため園内の施設と認識されて紹介されることも多い。

  • 仙台市民会館(桜ヶ岡公園4-1。公園北端。地図
  • 櫻岡大神宮(桜ヶ岡公園1-1。公園南部中央。地図
  • 源吾茶屋(桜ヶ岡公園1-1。公園南部中央。地図
    • 明治元年創業とも言われるが、文献ではもっと下る年を示すものがある。桜岡大神宮門前
  • 宮城県警仙台中央警察署大町交番(桜ヶ岡公園1-1。地図
    • 南東角の大町交差点(西公園通り・大町・大橋通り・青葉通による変則五叉路)に面してある。城郭風の3階建て建築物。

主な利用実績[編集]

2004年度実績

  • 花見客 約129,000人
  • 市民プール 20,868人
  • 軟式野球場 6,987人
  • 仙台市天文台 57,889人
  • 占用行為許可申請 57件

廃止・移転した施設[編集]

仙台市天文台(2005年12月撮影)
  • 仙台市天文台(南部)1955年 - 2007年
    • 地下鉄東西線建設に伴い廃止。市西部の青葉区錦ヶ丘に2008年7月新築移転。
  • 市民プール(西南部)1961年 - 2006年9月15日
    • 1927年東一番丁に「仙台プール」が仙台初のプールとして開業し、間もなく愛宕橋に「愛宕プール」(水力発電所跡地)が2番目として開業した。広瀬川で無料で泳ぐのが一般的だった時代に、お金を払ってまでプールで泳ぐ者は少なく、それらは早々に閉鎖を余儀なくされた。
    • 仙台空襲で被災した西公園は、戦後の混乱からスラム化していた。市は園内から不法占拠者を退去させ、市立仙台中学校の跡地に東北電力がプールを建設[14]。完成後に市に寄付し、市民プール(西公園プール)として営業を開始した[14]1990年の全国高校総体の競泳会場としても使用していた。
    • 地下鉄東西線建設に伴い市民プールは廃止となった。
  • 西公園駐車場(西南部)xxxx年 - 2006年?
    • 地下鉄東西線建設に伴い廃止。

主なイベント[編集]

アクセス[編集]

仙台市電があった頃は、大町西公園前市民会館前の2つが最寄電停であった。

脚注[編集]

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  1. ^ (仮称)西公園駅 (PDF) (仙台市「地下鉄東西線なんでもサイト」)
  2. ^ 仙台市道青葉1168号・青葉山線の一部
  3. ^ 仙台市道青葉1344号・仲の瀬橋線
  4. ^ 『桜ヶ丘公園遺跡 第3次調査報告書』2-3頁。
  5. ^ 第309回 天下に旗をあげよ 〜伊達政宗・ヨーロッパに賭けた夢〜NHK総合その時歴史が動いた」)より引用
  6. ^ 写真
  7. ^ 桜ヶ岡公園遺跡発掘調査 遺跡見学会(仙台市)
  8. ^ a b 沿革の概要(仙台市立立町小学校)
  9. ^ ロシア人捕虜収容所(仙台市教育委員会中央市民センター)
  10. ^ 本校の沿革(仙台市立仙台高等学校)
  11. ^ 『仙台市史』続編第2巻193頁。
  12. ^ 彫刻のあるまちづくり事業(仙台市)
  13. ^ 西公園野球場(仙台市スポーツ振興事業団)
  14. ^ a b 番外 広瀬川橋りょう等(仙台市「地下鉄東西線なんでもサイト」)
  15. ^ 杜の都づくり「植木市」(仙台市)

参考文献[編集]

  • 仙台市教育委員会『桜ヶ丘公園遺跡 第3次調査報告書』(仙台市文化財調査報告書第335集)、仙台市、2008年12月。
  • 仙台市史続編編纂委員会『仙台市史』続編第2巻(経済文化編)、仙台市、1969年。

外部リンク[編集]