杜の都

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勾当台公園付近から見た、仙台・青葉まつりの「時代絵巻巡行」パレード中の東二番丁通り(2012年5月)

杜の都(もりのみやこ)とは、宮城県仙台市雅称および愛称である。「杜の都・仙台」として知られる。「杜」は常用漢字に含まれていない[† 1]ため、ルビが振られたり、「杜(もり)の都」と表記されたりする場合もある。

2008年平成20年)時点で発見されている文献による初出年は、仙台を「森の都」と記したのが1909年明治42年)、「杜の都」と記したのが1916年大正5年)である[1]1970年昭和45年)9月22日に市が制定した「公害市民憲章[2]」に「杜の都」と記されて以降、市は同表記を公文書における統一表記として用いている[3][4]

「社」と「杜」と「森」[編集]

漢和辞典での説明
漢字 読み 意味
シャ( 1. 土地の神。神を祭る施設。
2. 人々の集団。社会
3. 「会社」の略。
やしろ
ズ(
ト(漢)
1. 山野に自生する落葉果樹
2. ふさぐ。とじる。
もり 神社境内の木立。
シン(漢呉) 1. 多数の樹木が生い茂る場所。
(その他の意味は省略)
もり

木偏の「」の音読み呉音で「ズ」(ヅ)、漢音で「ト」であり、中国古来の意味では山野に自生する落葉果樹ヤマナシコリンゴなど)を指すことはあっても「もり」の意味はない。訓読みには「もり」「やまなし」「ふさ-ぐ」があるが、「もり」は国訓とされる[5]。一方、示偏の「」の訓読みには「やしろ」のほかに「もり[† 2]」もあったが、平安時代以降、示偏の「社」を「やしろ」、木偏の「杜」を「もり」と使い分けるようになった[5]。このため、「杜(もり)」は神社の「鎮守の森」「ご神木」を意味するともされる。

しかし、「もり」という訓読みが共通する同訓異字の「」と「杜」とは古くから混用されており、例えば鎌倉時代には地名であっても書き分けられていない[1]。また、「杜の都」という表記の初発とみられている1916年(大正5年)発行の『仙台繁盛記』(富田広重 著)の中で、同じ著者が「森の都」と「杜の都」の両方を使用しているため、明治期に生まれた「森の都」という名称を、著者が意味の違いを意識して大正期に「杜の都」に書き換えたという説明も成り立たない[1]

1970年(昭和45年)に「公害市民憲章」を制定したのを機に、仙台を指す場合は「杜の都」が公式表記と定められた[3]。これ以降、仙台市役所により「杜」と「森」とは意味が異なるとされ、「杜」は江戸時代から仙台の人々が植え育ててきた防風林・防火林・防雪林防潮林屋敷林・寺社林・里山街路樹などの人工林を指し、それらが仙台の風土や歴史に立脚しているという説明がなされてきた。

歴史[編集]

江戸時代の植林[編集]

仙台藩祖、伊達政宗によって築かれた城下町・仙台は、農民の割合に対して武士の割合が高い、武士の都市であった[6]。そのため、侍屋敷に植えられた屋敷林が仙台城下を美しく覆っていたという。 伊達政宗による仙台開府以前、この土地は「宮城野」と呼ばれており、仙台平野には風雪を防ぐ木がほとんどなかったと言われている[7]。また、仙台の気候風土や地形的な特色のため、城下町を開くには積極的な植林奨励策が必要とされた。植林された樹木は、防風林防雪林防火林として機能したのであり、現在よりも森林が豊富であったであろう江戸時代に、美観のために植林されたのではない。

防風林・防雪林・防火林としての樹種は、冬季に葉が繁茂している必要があるためスギマツなどの常緑樹が中心であり、落葉樹が主である周囲の山や丘陵地の樹種とは異なった。ただし、樹勢の良いカラマツなどの落葉針葉樹も用いられた。

なお、江戸時代は小氷期にあたり、現在より気温が低かった(参照)。現在の仙台地方気候極相林については、東北大学植物園#天然記念物「青葉山」を参照。

防風林・防雪林[編集]

仙台平野の旧来の農家は、(小山・丘も含む)と平野田んぼ)との際に立地していることが多い。山と平地との境は井戸の水位が浅いという利点があり、山によって冬季の北風西風ナライ)が遮られるため、元々仙台平野に至る台風はほとんど「雨台風」でそれほど風速を気にする必要がなかったということもあり、強度をあまりあげなくても住宅(茅葺木造)を建てることが出来る利点もあった。

山から離れた平野に建っている旧来の農家の住宅には、冬季の風雪に耐えるため、例外なく北側から西側にかけて防風林・防雪林が植えられている。これはイグネ居久根…屋敷まわりの杜)と呼ばれる。

防火林・水利[編集]

西公園から見た広瀬川(2006年8月)。河岸段丘のため、広瀬川の水面と、写真右側(左岸)にある旧・城下町(現・都心部側)とは大きな標高差があり、広瀬川由来の地下水は城下の井戸を涵養出来ない。

冬の仙台平野は、基本的に奥羽山脈で雪雲が遮られるため、晴天で乾燥し、空っ風が吹く。このために火事が頻発し、木造住宅が密集すると類焼が引き起こされる。江戸の場合、町人町で木造住宅が密集していたが、この冬季の火事類焼を防ぐために「火消し」集団を組織したり、防火水槽を設置したりして対応した。

仙台は河川中流域の河岸段丘上に城下町が開かれたが、一般的な河岸段丘とは異なり、地下5-10mにある不透水層のおかげで井戸の水位は浅くも深くもなかった。しかし、火災のような緊急の場合には充分な消火用水を確保できなかった。そのため侍屋敷では、建坪を200坪以上の広さにすることで屋敷同士を離し、また防火林として居久根を築くことで類焼対策とした。また、屋敷林を増やすことにより井戸の水位もさらに浅くなったと考えられている(城下町の人口増に対応するため、四ツ谷用水という上水道も整備された)。

明治・大正期[編集]

明治時代に入ると、仙台では1889年(明治22年)に市制が施行された他、第二高等中学校(明治20年4月設立)、第二師団(明治21年5月設立)、東北帝国大学(明治40年設立)等の国の主要機関が設置され、六大都市に次ぐ都市として発展していった。

日露戦争によって大量の戦死者が出ると、1904年(明治37年)8月27日仙台城天守台(本丸)に招魂社(のちの宮城縣護國神社)が建立され、第二師団管下と山形県の戦死者の一部が祀られた。この期に及び、仙台城の天守台が初めて一般開放された。天守台からの仙台の眺めは、周囲の丘陵地の森林に加え、広瀬川沿いに生えた草木、段丘崖に繁茂する樹木、そして河岸段丘上の屋敷林に囲まれた旧侍屋敷など、視野全体に広がる緑に覆われた街であった。ただし、仙台城からの眺められる範囲にある屋敷は、ほぼ全て仙台藩の上級家臣の邸宅であり(→片平丁)、庶民が住んだ現在の仙台市都心部は遠くに霞むかたちになっている。

このような仙台の発展と天守台の一般開放が重なった明治時代後期から「の都」と言われるようになり、既に1909年(明治42年)の観光案内書『仙臺塩釜松島遊覧の栞』に記載例が見られる[8][9]。その後、大正時代には仙台の異名として定着した。

第二次世界大戦後[編集]

第二次世界大戦の末期の1945年(昭和20年)、アメリカ軍は大規模空襲を予告するため撒いたビラに「仙台よい町 森の町 7月10日は灰の町」と印刷していたという[10]。そして予告どおりの同年7月10日、仙台市街は戦略爆撃によって焼き尽くされた(仙台空襲)。この空襲によって市街地にあった屋敷林も同時に焼かれ、仙台は「杜の都」とは言えない状況になった。

戦後の復興において、市当局は市街地を縦横に貫く広幅員の街路を計画し、計画線上の家屋は取り壊された。防風林としての機能があった屋敷林が戦災で無くなったこと、広幅員の道路が風をよく通したこと、細い道も含めて道路舗装が中々行き届かなかったこと、等のため、復興期の仙台の街では埃が舞って「仙台砂漠[11]」と言われた。また、家庭の燃料として亜炭が大量に使用されたため、昭和30年代までの仙台では夕方になると煙突から立ち上る煤煙と亜炭特有の甘酸っぱい匂いが街中に漂うようになり[12]、埃っぽさに拍車をかけた(仙台亜炭参照)。「杜の都」の再生を願い、街路への植樹が段階的に行われ、青葉通りでは1950年(昭和25年)頃から1965年(昭和40年)頃までにケヤキが植えられた。

1976年3月31日になると仙台市電が廃止された。これにより、道路に余裕が出来たため、市電の通っていた道路では中央分離帯に植樹がなされたり、両脇の歩道を広げて植樹がなされた。

1978年6月12日宮城県沖地震では、ブロック塀の下敷きになって死亡する例がみられた。そのため、ブロック塀から生垣への作り替えに市が助成を出すようになり、市中心部のみならず、郊外においても緑化が促進された。

1978年第20回日本レコード大賞の新人賞を受賞したさとう宗幸の「青葉城恋唄」は、仙台に「杜の都」のイメージを定着させ、その知名度を全国的に上げる契機となった。

現在[編集]

定禅寺通りの様子

戦災や都市の近代化の流れの中、屋敷林(常緑樹)は失われてゆき、替わって定禅寺通りなどの並木道(落葉樹)や緑化公園、または都心周囲の保全林などに「杜」の象徴が移った。特に定禅寺通りのケヤキ並木は市民に親しまれ、江戸時代の屋敷林に用いられたスギ・マツ・カラマツから、ケヤキへ「杜」の象徴が変化しつつある。また、宮城県沖地震の後の、ブロック塀から生垣への作り替えなどもあって、新しい「杜の都」に変貌した。現在、定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台SENDAI光のページェントなどの仙台の都市イベントは、その「杜」を想起させる定禅寺通りや勾当台公園で好んで開催され、多くの市民を惹き付けている。

年表[編集]

  • 1873年明治6年)1月14日全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方(廃城令)により、仙台城(青葉城)が仙台鎮台(後の第2師団)の所有となり、破却が進む。
  • 1874年(明治7年)、仙台藩祖・伊達政宗を祀る青葉神社創建。
  • 1875年(明治8年)、桜ケ岡公園(現・西公園)が開園[13]
  • 1882年(明治15年)、仙台城二の丸御殿が焼失。
  • 1887年(明治20年)
  • 1889年(明治22年)
  • 1895年(明治28年)、学校林設置の訓令がなされ、教育の一環として学校による植林活動が推奨された。
  • 1898年(明治31年)、天皇および皇后が出席して初代天皇を祭る宮中祭祀神武天皇祭」が行われる4月3日が「植栽日」とされた。 
  • 1899年(明治32年)
    • 「仙台開府三百年祭」開催。市内に電線が張り巡らされたため、山鉾運行を伴う仙台祭は最後となる[† 3]
    • 外国人居留地の廃止と内地雑居が実施される。
  • 1900年(明治33年)、宮城県会決議により、県立公園管理規則が定められた。
  • 1901年(明治34年)
  • 1902年(明治35年)
    • 仙台城本丸に「昭忠碑」建立。
    • 松島の観光地区である観瀾亭や瑞巌寺等を含む範囲を県立公園に組み入れる許可を得た[14]
    • 榴岡公園が開園[13]
  • 1903年(明治36年)、(旧制)第二高等学校尚志会会歌の募集において、優秀作品7篇の1つである同校学生の応募作品の歌詞の中で「森の市」(「もりのいち」あるいは「もりのし」)と謳われた[1]
  • 1904年(明治37年)
  • 1905年(明治38年)
    • 3月、『尚志会雑誌』65号が発行。同号の付録に、2年前の尚志会会歌の優秀作品が収録され、「森の市」は仙台市の新熟字であると紹介された[1]
  • 1907年(明治40年)
    • 6月22日、東北帝国大学(現・東北大学)創立。
    • 8月15日、仙台市会で「五大事業調査の建言」が提出され、可決。
    • 10月、『松島の志を李』(「松島の」、荒井偉三郎 著、三澤書店)の中で、仙台を「深林の都会」(しんりんのとかい)と紹介[1]
    • 12月、地元紙において仙台を指して「学都学界」という標題の記事が見られた[15]
  • 1908年(明治41年)
    • 8月、仙台市にとって初の自治体史仙台市史』刊行。
    • 9月、『「仙台」しをり』(東北文芸社)の初版が発行[1]
  • 1909年(明治42年)
    • 『「仙台」しをり』の第三版として『仙臺松島塩釜遊覧TRON 9-837B.gif栞』(「仙台松島塩竈遊覧の栞」、荒井偉三郎 著、東北文芸社)が発行。この中で、仙台を「森の都」(もりのみやこ)と紹介。これが2008年時点で見つかっている、仙台を「森の都」と記した初めての文献だが、前年発行の『「仙台」しをり』と内容的に同様である可能性があるため、文献的初出はこれより以前になる可能性がある[1]
    • 松島湾全体を県立公園に組み入れる許可を内務省から得た[14]
  • 1910年(明治43年)、松島公園整備が本格化[14]
  • 1913年大正2年)
    • 東京府の竹内書房から『松島大観』(山下重民 著)が発行。「青葉城跡 天主台」の項目において、仙台城本丸より眺める仙台を紹介し、仙台を「森の都」と紹介[1]
  • 1914年(大正3年)
    • 勝山公園が開園[13]
    • 斎洛花が発行した『宮城野』に「杜鵑青葉の森に啼いて、森都新緑の香に匂ふ」と記された[16]
  • 1915年(大正4年)、「松島公園落成記念大会」が催行された[14]
  • 1916年(大正5年)、『仙台繁盛記』(富田広重 著)の中で、「仙台は杜の都と謳はれて居る」と記された。これが仙台を「杜の都」と記した文献的初出とされる(2008年時点)。なお、本文中では「森の都」と「杜の都」の両方を使用[1]
画像外部リンク
1922年度(大正11年度)の旧制二高卒業アルバムにおける「杜の都」の文字
1927年(昭和2年)頃の仙臺市および近郊地図
空襲で焼け野原となった仙台市街を走る仙台市電(1945年9月18日)

仙台を表す記号[編集]

近年、「杜」(もり)の一文字で「仙台」を表す例が増加している。「杜の囲碁サロン」「杜のホテル」、その他店舗の名前として、自然林とも人工林とも関係なく「杜」という言葉が用いられている。当然、「杜」は仙台を指しているが、仙台を指す場合は「杜の...」「~の杜」というように「杜」単独で用いられることは少ない。ただし、団体名において、「杜都」と書いて「もりと」「とと」と読ませる例も見られる。

他の地方でも「自然と共生」している施設や公園などに「杜」という言葉を使う例があるが、宮城県では「仙台」または「仙台都市圏」という意味が付加されていることが多い。公共施設の他、自然の多い住宅地や自然の中の喫茶店などに「~の杜」という命名も見られる。住宅地の場合は「~の丘」「~ヶ丘」と命名する代わりに用いられていると考えられるが、いずれにせよ、「仙台市または仙台郊外」「自然と共生」という意味あいを含んでいる。

なお、仙台を示すものを列記すると、以下のようになる。

  • 記号
    • 「杜」(←杜の都より)
      • 」「フォレスト(forest 英語)」「ラ・フォーレ(la forêt 仏語)」「セルバ(selva 西語)」
      • 」「グリーン(green 英語)」「ヴェール(vert 仏語)」
    • 青葉」 (←仙台城の雅名「青葉城」や青葉山より)
    • 「ケヤキ」(←杜の都の象徴の樹木。仙台市木。zelkova)
    • 」(←ミヤギノハギ。仙台市花。bush clover)
    • 「伊達」(←伊達氏伊達政宗
    • 「竹に雀」(←伊達家の家紋)→すずめ踊り
  • 異名(→仙台参照)
  • 異字
    • 仙臺(せんだい)、僊臺
    • 千代(せんだい、ちよ)

具体例[編集]

杜の都[編集]

組織・大会・通称名

全国規模の組織では支部の名称を「杜の都」としている団体もある。

* 杜の都献血ルームAOBA(日本赤十字社宮城県赤十字血液センター
* 日本棋院杜の都支部[58]
* 日本スポーツ吹矢協会 杜の都仙台支部 / 杜の都仙台KHK国見支部 / 杜の都仙台中山支部[59]
* 住友生命保険相互会社 仙台総支社 杜乃都桃李支部[60]
作品名

[編集]

「杜」を仙台または仙台都市圏を表す記号として用いている主なもの。住宅地の名称や商店名は除く。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 人名用漢字には含まれる。
  2. ^ 万葉集の古写本や風土記において、「神社」あるいは「社」と書いて「もり」と訓読みする例がしばしば見られる。
  3. ^ 1985年(昭和60年)の政宗没後350年を機に仙台・青葉まつりとして再興された。
  4. ^ 『ミス仙台』が好評だったため、曲はそのままに『乙女十九』と改題して新たに歌詞を付け直し、またも二葉あき子が歌って1937年(昭和12年)1月に発売した。
  5. ^ 新民謡:ミス仙台(国立国会図書館デジタルコレクション)によれば、1950年(昭和25年)12月発売。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『「杜の都・仙台」の原風景 -樹木を育てた城下町-』(大崎八幡宮 仙台・江戸学 実行委員会)
  2. ^ a b 公害市民憲章(仙台市)
  3. ^ a b c d e f g h 『流行歌「ミス・仙台」~郷土・仙台の近現代史散歩~』(著者:石澤友隆 著、発行所:河北新報出版センター、発行日:2005年11月1日 ISBN 4-87341-196-3) p.94-p.175
  4. ^ 商都仙台400年 (PDF)七十七ビジネス情報 2006年秋季号 2006年10月13日)
  5. ^ a b 国訓の構造 : 漢字の日本語用法について(上) (PDF)東京学芸大学紀要 2000年2月)
  6. ^ 佐藤雅也「地方都市の近代」 『都市と暮らしの民俗学1 都市とふるさと』、新谷尚紀・岩本通也編、吉川弘文館、2006年
  7. ^ 八幡さま便り03号大崎八幡宮
  8. ^ 仙台の緑の歴史(仙台市 百年の杜)
  9. ^ 「杜(もり)の都」のいわれ(キッズ百年の杜)
  10. ^ 石沢友隆 『七月十日は灰の町 仙台空襲と戦争中のこと』 河北新報出版センター 2008年 ISBN 978-4873412184
  11. ^ 仙台砂漠(1954年の青葉通り
  12. ^ 広瀬川の記憶 vol.14 「天守台に向き合って立つ経ヶ峯の崖が物語るもの」(仙台市「広瀬川ホームページ」)
  13. ^ a b c d e f g h 建設局事業概要(仙台市)
  14. ^ a b c d 松島公園の整備 (PDF) (宮城県公文書館だより 13号 2008年6月)
  15. ^ 学都仙台とは学都仙台コンソーシアム
  16. ^ [1] (PDF)仙台市図書館
  17. ^ a b c 「全国育樹祭」開催の経緯 (PDF) (愛媛県)
  18. ^ 国土緑化推進機構とは(公益社団法人国土緑化推進機構)
  19. ^ a b 全国植樹祭開催一覧 (PDF) (林野庁)
  20. ^ a b 東北大学植物園の歴史(東北大学)
  21. ^ 健康都市宣言(仙台市)
  22. ^ 我が国石炭政策の歴史と現状 (PDF)経済産業省資源エネルギー庁 2009年2月5日)
  23. ^ 県民の森緑地環境保全地域(宮城県)
  24. ^ 仙台市風致地区指定状況 (PDF) (仙台市)
  25. ^ 仙台自然休養林マップ(林野庁東北森林管理局仙台森林管理署)
  26. ^ a b 紋章、市の花・木・鳥・虫 Archived 2004年6月6日, at the Wayback Machine.(仙台市)
  27. ^ 青葉山(仙台市)
  28. ^ 杜の都の環境をつくる条例(仙台市)
  29. ^ a b 都市緑地法国土交通省都市・地域整備局公園緑地・景観課「公園とみどり」)
  30. ^ 広瀬川の清流を守る条例(仙台市)
  31. ^ 彫刻のあるまちづくり(仙台市)
  32. ^ 仙台市彫刻のあるまちづくり事業 (PDF) (一般社団法人全日本建設技術協会『21世紀の「人と建設技術」賞』)
  33. ^ a b みやぎ高度電子機械産業集積形成基本計画 参考資料 (PDF) (宮城県)
  34. ^ 平成2年第3回定例会(第2日目) 6:◯三番(庄子晋)(仙台市議会 1990年9月14日)
  35. ^ 平成3年 国民生活白書 東京と地方―ゆたかさへの多様な選択総理府経済企画庁 1991年11月19日)
  36. ^ 「杜の都の風土を育む景観条例」について(仙台市)
  37. ^ 仙台市環境基本条例(仙台市)
  38. ^ 杜の都環境プラン(仙台市環境基本計画)(仙台市)
  39. ^ 杜の都環境プランの概要(仙台市)
  40. ^ 緑の基本計画「仙台グリーンプラン21」(仙台市)
  41. ^ a b c d e f g 仙台市基本計画(仙台21プラン)の策定後の状況 (PDF) (仙台市 2009年10月)
  42. ^ 環境影響評価(環境アセスメント)(仙台市)
  43. ^ 杜の都の風土を守る土地利用調整条例「土地利用調整制度」(仙台市)
  44. ^ 第1回グリーン購入世界会議in仙台(仙台市)
  45. ^ 緑の都市賞(財団法人都市緑化機構
  46. ^ a b 仙台市「杜の都」景観計画(仙台市)
  47. ^ 仙台市みどりの基本計画(仙台市)
  48. ^ 杜の都産業保健会
  49. ^ a b 大会予定・結果(仙台市卓球協会)
  50. ^ 仙台YEG第30回杜の都Kidsウォークラリー(仙台商工会議所青年部)
  51. ^ 11月2日(日)、「第5回杜の都 U-10 ベガルタ・クリーンコヤマカップ」を開催いたしました。(ベガルタ仙台)
  52. ^ 2015年6月 > 第19回 杜の都大茶会(一般社団法人 茶道裏千家淡交会 宮城支部)
  53. ^ 平成27年度「杜の都ふれあいコンサート」開催のお知らせ(仙台市)
  54. ^ 上野の森・杜の都コンサート(公益財団法人東日本鉄道文化財団)
  55. ^ a b 演奏会のページ仙台吹奏楽団
  56. ^ 日本アマチュア歌謡祭とは…(日本アマチュア歌謡連盟)
  57. ^ [2] (PDF) (仙台市テコンドー協会)
  58. ^ 日本棋院
  59. ^ 地域支部一覧(日本スポーツ吹矢協会)
  60. ^ 住友生命保険相互会社仙台総支社/杜乃都桃李支部(iタウンページ)
  61. ^ 医師・円城寺修「杜の都の死刑囚」TBSチャンネル
  62. ^ 宮城県農業・園芸総合研究所
  63. ^ 杜の乙女
  64. ^ 杜の精
  65. ^ 杜のロマン
  66. ^ まなびの杜
  67. ^ 杜の奇跡

参考文献[編集]

  • 国宝大崎八幡宮 仙台・江戸学叢書6 『「杜の都・仙台」の原風景 -樹木を育てた城下町-』(菊池慶子 著、大崎八幡宮 仙台・江戸学 実行委員会、2008年)
  • 『近代日本の国際リゾート - 一九三〇年代の国際観光ホテルを中心に』(砂本文彦 著、青弓社、2008年。ISBN 978-4787220318
  • 『八木山物語』(石澤友隆 著、河北新報出版センター、2000年)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]