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「生坂藩」の版間の差分

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== 概要 ==
== 概要 ==
[[備中国]][[窪屋郡]][[菅生 (倉敷市)|生坂]](現・[[倉敷市]])周辺を領有した。石高は1万5000石であるが、この石高は岡山藩の内高に含まれる。寛文12年([[1672年]])、光政の三男・輝録が立藩した。藩主は岡山城下に居住していた。[[江戸時代|江戸]]期を通じての名称は'''岡山新田藩'''(おかやましんでんはん)で、[[明治]]3年([[1870年]])に生坂藩と改称した。明治4年(1871年)、廃藩置県により生坂県となった。
[[備中国]][[窪屋郡]][[菅生地区 (倉敷市)|生坂]](現・[[倉敷市]])周辺を領有した。石高は1万5000石であるが、この石高は岡山藩の内高に含まれる。寛文12年([[1672年]])、光政の三男・輝録が立藩した。藩主は岡山城下に居住していた。[[江戸時代|江戸]]期を通じての名称は'''岡山新田藩'''(おかやましんでんはん)で、[[明治]]3年([[1870年]])に生坂藩と改称した。明治4年(1871年)、廃藩置県により生坂県となった。


== 歴代生坂藩主 ==
== 歴代生坂藩主 ==

2024年4月15日 (月) 22:28時点における最新版

生坂藩(いくさかはん)は、岡山藩の支

概要[編集]

備中国窪屋郡生坂(現・倉敷市)周辺を領有した。石高は1万5000石であるが、この石高は岡山藩の内高に含まれる。寛文12年(1672年)、光政の三男・輝録が立藩した。藩主は岡山城下に居住していた。江戸期を通じての名称は岡山新田藩(おかやましんでんはん)で、明治3年(1870年)に生坂藩と改称した。明治4年(1871年)、廃藩置県により生坂県となった。

歴代生坂藩主[編集]

池田家 - 外様 1万5000石

  1. 輝録
  2. 政晴
  3. 政員
  4. 政弼
  5. 政恭
    • 幕府の公式記録にはないが、はじめ政房が藩主を継ぎ、その身代わりで政恭が擁立された。
  6. 政範
  7. 政和
  8. 政礼
先代
(備中国)
行政区の変遷
1672年 - 1871年 (岡山新田藩→生坂藩→生坂県)
次代
深津県