武蔵野陸上競技場

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武蔵野市立武蔵野陸上競技場
"武蔵野陸上競技場"
武蔵野陸上競技場
武蔵野陸上競技場の位置(東京都区部および多摩地域内)
武蔵野陸上競技場
施設情報
所在地 東京都武蔵野市吉祥寺北町5-11-20[1]
位置 北緯35度43分4.27秒
東経139度34分3.36秒
座標: 北緯35度43分4.27秒 東経139度34分3.36秒
拡張 1989年
所有者 武蔵野市
運用者 公益財団法人武蔵野生涯学習振興事業団
グラウンド 天然芝
ピッチサイズ 105m × 64m
照明
大型映像装置
使用チーム、大会
当項目を参照
収容能力
5000人(スタンド(総合体育館側)、芝生席)[要出典]
アクセス
#アクセスを参照。

武蔵野市立武蔵野陸上競技場(むさしのしりつ むさしのりくじょうきょうぎじょう)は、東京都武蔵野市にある陸上競技場球技場としても使用される。施設は武蔵野市が所有し、公益財団法人武蔵野生涯学習振興事業団が指定管理者として運営管理を行っている。

概要[編集]

1937年より建設が始まった中島飛行機武蔵製作所の敷地内に陸上競技場が存在していたが、太平洋戦争における空襲により1945年4月に競技場を含む武蔵製作所は破壊された[2]

太平洋戦争の終戦後に武蔵製作所の跡地を利用して、東京グリーンパーク球場、陸上競技場や市営サッカー場などが整備された[2]

1989年平成元年)11月、陸上競技場の隣接地に武蔵野総合体育館や温水プールが完成し、同時に陸上競技場も改築され総合体育館と一体の施設となった[2]

なお、規定によりメガホンやタンバリンなどによる鳴り物での応援は禁止されている[3]

毎年3月から4月上旬にはの開花に合わせ、芝生席を市民に一般開放している。

施設概要[編集]

  • 日本陸上競技連盟第3種公認[4]
  • トラック400m×8レーン、天然芝ピッチ[4]
  • 使用可能期間:4月から7月、9月から1月[4]
  • フィールドを貸し出し使用している時間に限り、トラックの外周(520m)をジョギングコースとして開放している[4]

開場時間・休場日[編集]

開場時間

  • 9:00 - 17:00(5 - 8月は19時まで、9月は18時まで)

休場日

  • 毎月15日(土・日曜日、祝日にあたる場合は翌平日)
  • 12月29日 - 翌年1月3日

スタンド部分のフロア構成[編集]

  • 2階の屋根付きスタンド部分は総合体育館と一体化しており、競技場スタンドと体育館2階の間を行き来することができる。また、この部分は体育館4階下(3 - 2階)の吹き抜けとなっており、3階、中3階の窓から陸上競技場全景を眺望することができる。
  • スタンド下の1階は、競技場の管理棟と倉庫がある。また、体育館との間に通路があり、体育館玄関ホールへの移動が可能。

開催された主なイベント・大会[編集]

陸上競技[編集]

  • 市内駅伝競走、市民健康マラソン大会(毎年3月、陸上競技場 - 中央公園周回コース)
  • 市民陸上記録会(毎年6月)

サッカー[編集]

JFL・横河武蔵野FC対鹿児島ユナイテッドFC戦(2014年11月9日)

ラグビー[編集]

その他[編集]

  • 第4回国民体育大会1949年
  • 市民体育大会(毎年2月 - 4月)
  • 市民体育祭(毎年9月下旬 - 2月)
  • 市民スポーツフェスティバル(毎年9月第4日曜日→2009年より毎年10月体育の日

武蔵野市民大運動会[編集]

1990年から18年にわたって毎年体育の日に開催された武蔵野市民大運動会(写真は2007年10月、第18回の開会式。この年を最後に市民大運動会は打ち切りとなった)。

1990年平成2年)より18年間にわたり、毎年体育の日に武蔵野市民参加による武蔵野市民大運動会を開催してきた。市内各小学校の地区から市民1000人以上が参加し、市内の12の小学校学区域に分かれ[5]、地区対抗の形式で開催。毎年、秋晴れの中で競技や応援合戦などが展開されてきた。なお、大会会長は一貫して武蔵野市長が務めた[6][7]。大会役員には、武蔵野市在住のシンガーソングライターみなみらんぼうらが名を連ねていた。

主な競技には男子・女子によるリレー走紅白玉入れ障害物競走綱引きなどがあり、また、午前の部と午後の部をつなぐ休憩時間はアトラクションが行われ、参加者らを楽しませていた。また、運動会当日は競技場駐車場に模擬店が出ていたほか、総合体育館内に子供向けの遊びコーナーも用意していた。

しかしながら、出場希望者が少なく、運営に頭を悩ませていた地区もあり、経費の問題や少子高齢化、私生活の多様化などにより、その後の開催方法・開催の可否について武蔵野市議会などで議論されてきたが、2008年(平成20年)8月、武蔵野市は市民大運動会の開催終了を決定した。

運動会では雨天の場合、原則として中止(1993年(平成5年・第4回)あたりまでは、順延日が体育の日翌週の日曜日、体育の日が日曜日の場合は翌日の振替休日に設定されていたが、1994年(平成6年・第5回)以降、順延はなくなった)の形を取ってきた。体育の日10月10日時代( - 1999年)には1991年(平成3年)の第2回が雨天中止になっただけだったが、2000年(平成12年)にハッピーマンデー制度導入で体育の日が10月第2月曜日になって以降は、第11・16回が雨天中止となり、第12・14・18回の計3回は降雨により途中で打ち切られた。特に末期には開催が天候不順で危ぶまれることが多くなり、予定の全種目の消化が困難になってきていた。

また、1996年平成8年)10月10日に行われた「第7回武蔵野市民大運動会」の午後の部、綱引きの競技中、競技に出場した男性が心臓発作を起こして突然倒れ、救急車病院に搬送されたが、搬送先の病院で急性心不全のため死亡。当時その男性は64歳で、綱引きの参加者の年齢制限である61歳をオーバーしていた[8]。この事故を受け、市民大運動会では翌年の開催から数年間、綱引きを競技から除外されることになった。

市民大運動会の最終回となった2007年(平成19年・第18回)は10月8日に開催され、この年は武蔵野市市政60周年の記念大会だったが、天候不順により午前のみで終了、午後の部の競技が全て中止となり[9]、市民大運動会の最終回は雨による途中打ち切りという形で18年の歴史に幕を下ろした。

市民大運動会終了後の翌2008年10月13日(体育の日)に「むさしのスポルト2008」として市民自由参加型のスポーツイベントとして開催。イベントは陸上競技場のほか総合体育館、温水プール、ストリートスポーツ広場等で行われ、プロトランポリン選手でシドニーオリンピックにも日本代表で出場した中田大輔らによるデモンストレーション演技とトランポリン体験教室、藤村女子中学校・高等学校新体操部のデモンストレーション演技などがあり、大勢の家族連れらを楽しませた。[10]

2009年(平成21年)より、前年まで9月第4日曜日に開催してきた武蔵野市民スポーツフェスティバルが体育の日に開催されるようになった。

アクセス[編集]

周辺の体育施設[編集]

メインスタンド。総合体育館と一体となっている。

映画ロケ[編集]

1964年昭和39年)に公開された映画『日本一のホラ吹き男』(植木等主演)のロケが行われた。映画で植木が演じた「初等(はじめ・ひとし)」が三段跳選手で東京オリンピックの候補という設定だった。

ちなみに東京オリンピックの行われたこの年の10月、聖火が武蔵野市に1泊した事がある。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 武蔵野市立武蔵野陸上競技場”. 日本フットボールリーグ. 2016年4月17日閲覧。
  2. ^ a b c 吉祥寺 このまちアーカイブス”. 三井住友トラスト不動産. 2016年4月17日閲覧。
  3. ^ スタジアム”. 東京武蔵野シティFC. 2016年4月17日閲覧。
  4. ^ a b c d 武蔵野陸上競技場”. 武蔵野生涯学習振興事業団. 2016年4月17日閲覧。
  5. ^ 1995年(平成7年)までは13の学区域だった(桜野小学校1996年(平成8年)に旧・境北小学校と旧・桜堤小学校が統合して開校した)。
  6. ^ 第1回(1990年)~15回(2004年)は土屋正忠、17回(2006年)と18回(2007年)は邑上守正
  7. ^ 2005年(平成17年・第16回)は雨天中止となったが、運動会予定日の前日の10月9日が武蔵野市長選挙の投票日で、当選した邑上守正現市長は正式に就任していなかったため、この年も前市長で衆議院議員に初当選して間もない土屋正忠が大会会長を務める予定だった。
  8. ^ 参考文献:1996年10月11日付、朝日新聞「むさしの版」
  9. ^ なお、雨による大会の途中打ち切りは2001年(平成13年10月8日、第12回)、2003年(平成15年10月13日、第14回)そして2007年で3例となり、21世紀に入っての奇数年開催は、中止となった2005年を除き全て降雨打ち切りとなってしまった。
  10. ^ 市長の活動日誌 平成20年10月11日〜20日 - 武蔵野市ホームページ
  11. ^ a b c d 交通アクセス”. 武蔵野生涯学習振興事業団. 2016年4月17日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
平和台陸上競技場
福岡市
国民体育大会
主競技場

東京国体 (1949年)
次代:
瑞穂陸上競技場
名古屋市