チョ薫鉉

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 曺薰鉉 九段
名前 曺薰鉉
生年月日 1953年3月10日(62歳)
プロ入り年 1962[1]
出身地 全羅南道木浦市
所属 韓国棋院
師匠 瀬越憲作
段位 九段
戦績
主要棋戦優勝回数 160
国手 15期
名人 13期
最高位 17期
王位 14期
覇王 12期
棋王 12期
国棋 12期
七大タイトル
チョ・フンヒョン
各種表記
ハングル 조훈현
漢字 曺薰鉉
発音: チョ・フンヒョン
日本語読み: そうくんげん
ローマ字 Jo Hunhyeon
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本来の表記は「薫鉉」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。

薫鉉(チョ・フンヒョン、조훈현、1953年3月10日 - )は、韓国囲碁棋士全羅南道木浦市出身、瀬越憲作名誉九段門下、韓国棋院所属、九段。日本では、チョ・フニョン、日本語読みでそうくんげんと読むこともある。韓国囲碁界のタイトル王であるとともに、世界選手権でも多数優勝した、現代の世界最強棋士の一人で、囲碁帝王と呼ばれ、軽くスピードの速い棋風は、ツバメ流と言われる。李昌鎬の師匠としても知られる。

名前の漢字表記について[編集]

韓国の漢字では、「曺薰」と書く。手記には「鉉」とも。

」字は「曹」の異体字である。現在の韓国では韓国人の姓としては「」、他の用法(一般名詞や中国人の姓など)では「曹」と区分して書いている。韓国以外の国では「」字の代わりに「曹」と表記する場合もある。

」は「薫」の康熙字典体で、日本では旧字体とみなす(黒部#字体差を参考)。しかし、「黑」と「黒」は伝統的に同一な文字と見做し、韓国でも手字には「」ではなく、「鉉」と書く場合も少なくない。

経歴[編集]

4歳の時に父が打っているのを見て碁を覚える。囲碁の修行のために1958年にソウルに引っ越し、趙南哲の碁会所に通い始め、7歳で韓国棋院の院生となり、1962年9歳で韓国棋院初段、翌年二段昇段。1963年来日し瀬越憲作に入門、日本棋院の院生4級となり、1966年に初段。1970年、33勝5敗1ジゴの成績で棋道賞新人賞受賞。1971年五段。1972年に兵役のために帰国し空軍に入隊(1976年除隊)、1973年に韓国棋院に五段として所属する。

1973年に金寅を破り初タイトルである最高位、1976年から国手戦10連覇など、韓国で多数のタイトルを取り、1980年には韓国の全公式タイトル制覇(名人、王位、国手、国棋、覇王、最高位、最強者、棋王、KBS杯)を成し遂げる。1979年に韓国では趙南哲に次ぐ2人目の八段、1982年には韓国初の九段となる。国内総タイトル数は約150。1979年の棋王戦挑戦手合で、観戦記者による「短槍の名人」との評は名高い。

1989年、第1回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦で、決勝5番勝負において中国聶衛平に3勝2敗で勝って優勝。これを機に韓国では、趙治勲の名人位獲得以来の第二の囲碁ブームとなる。1990年には日本棋院の機関誌「棋道」誌の800号記念企画として、前年の富士通杯に優勝した武宮正樹との「荏原製作所・暁星グループ杯世界頂上対決三番勝負」が行われ、曺は0-2で敗れはしたものの、この棋戦に韓国の囲碁ファンは熱狂し、実況放送の視聴率は75%となった。1994年には富士通杯、東洋証券杯にも優勝して、当時の3つの世界選手権を制するグランドスラムを達成。その後も数々の世界選手権に優勝。1992年からの日中韓三国の対抗戦である真露杯戦では韓国チームの主将として活躍し、韓国優勝4回の立て役者となった。

1980年に結婚。1984年から李昌鎬を内弟子として育てたが、1990年の最高位戦で李に初めてタイトルを奪われ、その後も多くのタイトルを争い、特に1993年末から94年初めにかけては5つのタイトル戦を戦って27番勝負と言われた。1995年には一時遂に無冠となるが、同年に覇王、棋王、BCカード杯を李から取り返すなど、タイトル戦で活躍を続ける。1999年第1回春蘭杯では初めて世界選手権決勝で李昌鎬と当たり、世界選手権決勝で10連勝中の李を2-1で破って優勝。2000年には富士通杯優勝の他、4つのタイトル戦に登場し、1995年からの韓国賞金ランキング公表以来で初の1位となった。2008年には世界初の公式戦2500局を達成(通算1770勝721敗9ジゴ)。中国囲棋甲級リーグ戦では2005年に四川、乙級で2003年香港新世界チームに参加。韓国囲碁リーグでは、第一火災チームなどで出場。2009年のBCカード杯世界囲碁選手権ではベスト4進出。

在日時から藤沢秀行の研究会に参加するなど深い薫陶を受け、瀬越を精神的な師、秀行を盤上の師と呼ぶ。1988年に応昌期杯の準決勝がソウルで行われた時には、闘病中の秀行の対局に毎朝夫人の手作りのお粥を届けた。1999年の秀行の引退碁では第2局の相手を務めた。2009年には訪韓した日本の政治家小沢一郎と指導対局を行う。

タイトル歴[編集]

国際棋戦[編集]

棋戦 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010
応昌期杯 優勝 - 16強 - 8強 - 16強 - × - × -
富士通杯 16強 3位 4強 16強 8強 準優勝 優勝 16強 16強 24強 8強 16強 優勝 優勝 16強 16強 16強 × × × × × ×
三星杯 - 16強 32強 16強 16強 8強 優勝 優勝 8強 16強 8強 32強 16強 32強 × ×
LG杯 - 8強 8強 16強 4強 8強 準優勝 8強 16強 24強 × 32強 16強 × × ×
春蘭杯 - 優勝 8強 3位 - 8強 - 16強 - × - × - ×
BC杯 - 4強 32強
トヨタ杯 - 16強 - 32強 - × - × 終了
東洋杯 - 4強 - 4強 優勝 4強 4強 - 優勝 16強 終了
中環杯 - × × - × 終了
アジア杯 - × × 1R 準優勝 × 1R 準優勝 × 1R 4強 × 優勝 優勝 準優勝 × × × × × × × ×
農心杯 - 1:1 2:1 1:1 0:1 × × × 0:1 × × × ×


囲碁世界タイトル優勝記録
順位 優勝回数 棋士名
1位 21 韓国の旗李昌鎬*
2位 18 韓国の旗李世乭*
3位 11 韓国の旗曺薫鉉*
4位 8 中華人民共和国の旗古力*
5位タイ 6 日本の旗武宮正樹* | 韓国の旗劉昌赫* | 中華人民共和国の旗孔傑*
8位 4 日本の旗依田紀基*
9位タイ 3 中華人民共和国の旗兪斌* | 韓国の旗朴永訓* | 中華人民共和国の旗常昊* | 韓国の旗崔哲瀚* 
*は現役棋士

主な国内タイトル[編集]

他の棋歴[編集]

日本・中国での棋歴[編集]

受賞等[編集]

代表局[編集]

「生涯の大勝負」1989年第1回応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦 決勝五番勝負第1局 曺薫鉉-聶衛平戦

黒番聶が黒1(113手目)と出たところ、右辺一体が薄い白だったが、白2〜黒7までを利かしたのが機敏な手。この折衝で白一間トビの切断が消え、白8が打てて白地がまとまり優勢を確立した。曺は中国杭州で行われたこの第1局に勝った後、杭州、寧波での2、3局目を落としてカド番となるが、シンガポールでの4、5局を連勝して優勝、賞金40万ドルを手にした。

1989年9月5日 曺薫鉉−(先番)聶衛平

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著作[編集]

  • 『曺薫鉉囲碁名局集』三一書房 1995年
  • 『曺薫鉉名局選集(上)(下)』 棋苑図書 2003、08年
  • 『ノゾキにツグ馬鹿、ツガぬ馬鹿』東京創元社2015、04年

その他[編集]

  • かつてはヘビースモーカーであったが、禁煙補助食品「禁煙草」で禁煙し、その広告にも登場している。

関連書籍[編集]

  • 李光九『曹フンヒョンとの対話』1999年

外部リンク[編集]

  • ^ 日本棋院入段は1966年