オージンのワタリガラスの呪文歌

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『オージンのワタリガラスの呪文歌』の一節。イズンロキヘイムダルブラギLorenz Frølich画(1906年)。

オージンのワタリガラスの呪文歌』(Hrafnagaldur Óðins)は、古エッダの形式で書かれた、古くとも中世後期の14世紀、おそらくは17世紀頃成立のアイスランド語である。正題が記された写本にはすべて『(または)序詩』((al./eþur) Forspjallsljóð) という副題も付記される[1][2]。邦題は他に『オーディンの鴉の歌[3]など。

年代[編集]

ソーフス・ブッゲは、自らが編集した影響力を持つ『古エッダ』1867年版の中で、この詩が17世紀の作品で、『または序詩』という副題は、『バルドルの夢』への導入として作られたと推論した。それ以来、古エッダの各版には収録されなくなり、また広く研究されることもなくなっていた。しかしブッゲ以前は、古エッダの一部と考えられ、例えばエイモス・サイモン・コトル英語版による英語訳(1797年)、ベンジャミン・ソープの英語訳(1866年)、カール・ヨーゼフ・ジムロックの有名なドイツ語訳(1851年)には古エッダの一篇として収録されていた。

2002年、アイスランド文献学ヨウナス・クリスティアンソンが、アイスランドの「Morgunblaðið」誌上でこの年代問題を蒸し返し、ブッゲの分析に反論を試みた。ヨウナスは言語学的な根拠とテキストが改悪されたと見られる状況に基づき、詩の成立年代はブッゲの主張より古く、おそらく14世紀(1300年代)であろうと異論を唱えた[4][5]。それに対し、言語学者クリスティアン・アウルトナソンアイスランド語版は、韻律の分析に基づき、伝わっている詩の成立年代を16世紀以前に遡るのは困難であろうと主張した[6]

アネッテ・ラッセン(Annette Lassen)の初期段階の随筆、いわばこれからの研究課題発表文(2006年)では、この詩は少なくとも『フョルスヴィーズルの言葉』や『太陽の歌』(*いずれも紙写本でしか伝わらず、より後期に成立したとされる)に比しても、懐疑の対象とすべきではないという中立的な立場を示した[7]。しかし、氏が研究を完成させて発表した、この詩の校訂版・新訳(2011年)においては、この詩が「中世終焉後」(postmedieval)の産物であることを明確にしており、おそらく「1643年に≪王の写本≫が再発見された直後」に書かれたものと推定する[8]。バラッド研究のホイクル・ソルゲイルソン(2010年)は、やや早い17世紀前半の成立を提唱している[9]

ラッセンによれば、詩の第22節にあるのは、「夜に助言は訪れり」(ラテン語: in nocte consilium)という諺の借用だということは早々より判明しているが[10]、これは古い格言であっても、アイスランドへの伝達はエラスムス格言集英語版』(1500年初版)経由であることは必至で、詩の成立は、この格言集以後だと力説する[11][注釈 1]。また、第20節にある máltíd という中期低地ドイツ語英語版の外来語の使用から、14世紀中葉以降という年代制限を割り出せるが、その詩が「そこまで古いことはまずありえない」とする[12]

内容[編集]

この詩は歌謡旋法で書かれた26のスタンザ(詩節)から成っている。おおまかの粗筋は、神々が来たる滅亡の日(ラグナロク)に備えて何らかの情報か策を得ようとするが、首尾悪く失敗に終わる。神々は、情報を得んとして常若の女神イズンを世界樹の根元の冥府(?)に降臨させ、追って3人の神をイズンのもとに派遣するが、イズンは睡眠か仮死状態のようで何の答えも得られず、ブラギは妻イズンのもとに残り、あとの使者二人(ヘイムダルロキ)は神々の宴の大堂に帰参する。神々は、日がな夜もすがら思案しようとするが、時はめぐり、ヘイムダルが神々の滅亡ラグナレクの到来を告げるギャッラルホルンを吹き鳴らす、というものである[13][14]

題名は、北欧神話最高神主神オージンが、2羽のワタリガラスフギンとムニン)を放って毎日世界から集めさせる情報の一報告のことだという見解がある[15](ただし、これは後年に付け足された題名にすぎなくカラスとの関係は誤解に発するとの意見もある[16][注釈 2])。あるいはその題名は鴉たちを呼ぶための召喚呪文、あるいはより広義的に「鴉遣い」をあらわすとの見方もある[17]。2羽の鴉のうちの一方の名フギンとおぼしき「フグ (Hugr)」が、第3詩節に見えるが、それ以外には登場場面はない[18]

ともあれ、もたらせられた予兆は、凋落・滅亡を示唆していた。神々はそれに備えるため、役に立つ情報や助言などを求めて足掻いている様子が語られる:[19]

(第1詩節)

Alföþr orkar, álfar skilia, vanir vitu, vísa nornir,

elr íviþia, aldir bera, þreyia þursar, þrá valkyrior.[20]

全父〔オージン〕は(物を)働かせ、エルフは見分け、ヴァン神族は知り、ノルンどもは明かし、女巨人〔イーヴィジア〕[注釈 3]は産み、人間はこらえ、巨人〔スルス〕は待ちわび、ヴァルキュリヤはこいねがう。

上は逐語訳だが、ベンジャミン・ソープに倣って言葉を補うと、「全父オージンは(森羅万象を)使役し、エルフは(来たる凶事〔まがこと〕を)判別し、ヴァン神族は(凶事が迫りしことを)知悉し、ノルンどもは(凶兆を)啓示し、女巨人は(その怪異なる子供を)出産し、人間は(災禍を)辛抱し、巨人は(自由の時を)待望し、ヴァルキュリヤは(紛争を)渇望する」のように補足説明できる[21]

(第2詩節)予兆は悪しきものであり、ヴェッティル英語版という精霊たち(英国のワイト英語版に相当)がルーン占いを狂わせている。ノルンたちの長女ウルズには、オーズレリル英語版(通常は詩の蜜酒の容器の意味[22])の守護がまかせられた、「増えつつある群衆」から守るのである(ソープ英訳)[23]、または「極冬からそれを守るためである」(エイステイン・ビェルンスソン訳)[24]。ただしラッセン訳では、次のような斬新な解釈が充てられる:「オーズフレリル(人名、おそらくドワーフ)は、ウルズ(運命)を守るべきなれど、彼は(計画の)大半から(彼女を)守り得ず」[注釈 4][注釈 5]

(第3詩節)鴉のフグ(フギン)が放たれて[注釈 6][注釈 2]、聡明な小人であるダーイン、スラーインの考えを諮るが、二人は「重かりき夢なり」、「不明な夢なり」などと意見するばかりであった[25]

(第4詩節)ドワーフの力は萎え、各界は「ギンヌングの奈落」(≒ギンヌンガガプ[注釈 7])に沈み、アルスヴィズ(太陽を牽引する馬)は、上より突き落としたり、拾い上げたりする[注釈 8]

(第5詩節)地界も太陽も定まらず、悪風はやまず、全ての知識を湛えるのはミーミルの泉。「そなたらにはわかったか、どうだまだか?」という句が発せられる[注釈 9]。これは迫りくる世界の終焉のことだと解釈される[26]

(第6~8詩節)ここで常若の林檎の守護女神であるイズンが登場する。彼女は、常住する天上から転落し、「谷々のうち」とも「世界樹ユグドラシルの幹の下」とも形容される場所に居させられ、難儀している。そして「ネルヴィの娘」ノート(夜)のところで、つまり夜中、闇中にあって居心地を悪くしている[27]。そして神々から狼の皮をあてがわれ、姿を変身させ、狡猾さを弄すようになった。この一連の詩節で、イズンは「ディース」、「エルフ族」、「イーヴァルディの娘」(すなわち小人)、ナウマ(女巨人[28]などと様々な種族の一員とされている。

(考察:世界樹の根元の泉の衰退)まず、イズンが落とされた「幹の下」というのはその根元であろう。古エッダによれば世界樹の三本の根元にはそれぞれ泉があるが[29]、それらの泉の衰退が語られているというのが、19世紀の研究家たちの解釈である。ただし、通常ウルズと詩の蜜酒は関連しないため、この解釈にあたっては、それなりの読み換えが必要となってくる。リュードベリ(1886年)は、詩の蜜酒の容器オーズレリル英語版ウルズの泉と読み換えて、その無力化[注釈 10]を講じている[30]ジムロックもやはり、この詩におけるオーズレリルはウルズの泉との混合であり、その中身の蜜酒は「アース神族の不死の飲物(ドイツ語: der Asen Unsterblichkeitstrank)」、イズンとウルズは同一でその「飲物の番人」(Wärterin des Tranks)、神々の若さを保てるはずのその聖なる泉の力が失われつつある("Diese heilige Quelle hat also ihre verjüngende Kraft entweder schon verloren")と説く[31]。なるほどこの「不老の飲物」説は、不老の源をイズンが守る黄金の林檎にもとめる通論と相反する。しかし『スノッリのエッダ』で引用されているこの話の原話、スカルド詩長き秋』第9詩節では単に「老いの妙薬 」(ellilif)としか書かれておらず、スノッリがそれを「林檎」(epli)のことであるとあてはめたにすぎない、ともいえる[32]。さて、同『長き秋』のなかではイズンのことを「麦酒ゲヴン英語版」(Öl-Gefn)と呼んでいるが、このことに注目したリュードベリはイズンが「成長と再生の飲物を..神々に供する女神」であると結論する[33]。ジムロックもイズン=ウルズを「飲物の番人」と見たことは既に述べた。リューニンクもよく似た解釈を展開する[注釈 11] 。 また、イズンが落とされた場所は、冥府にも似た暗黒の地ニヴルヘイムあたりとも解釈される[35]。ただ、新エッダによれば、ここは世界樹の根を大蛇ニーズヘッグがかじっている場所であるが、その根の元にある水源はフヴェルゲルミルであることを念頭に置きたい。

(第9~11詩節) この一連の詩節では、オージンが様々な異名で登場する(ヴィズリル[36]、レグニル[37]、聡き神)。第9、第11でオージンは、イズンに[注釈 12]世界について、ひいては天界、冥界、地界の起源・永続の長さ・終焉を尋ねるのである。はじめのくだりでは、天の架け橋ビフレストの番人ヘイムダルに任じて尋ねさせ、ロプト(ロキ)とブラギ(イズンの夫)が立ち会ったとある。第10では神々が呪歌〔ガルドル英語版〕をとなえ、狼〔ガンド〕にうちまたがり[注釈 13]、世界の屋根に行くが、オージンはその玉座フリズスキャールヴにとどまり、「長かりき旅となろう」と申す。

(第12~16詩節) 彼女は答えられず、黙したまま涙し目を赤くする。彼女の様子がどうだったかというと、次のような婉曲表現が述べられる:「さながら東のエーリヴァーガル川から、霜のように冷たい巨人の野[38]から(眠りの)棘が来りて、ダーインがこれをもて、中つ国〔ミズガルズ〕の諸人を夜な夜な刺した、かのようであった[39]」と。そして行動は鈍くなり、手はだらけ落ち、頭はめまい感が上に漂うようで、非理性が思考に走る、そんなようだった。第14には回りくどいケニングが使われている。まず「白い神の剣」だがこれは「ヘイムダルの剣」すなわち「頭〔ホヴズ〕」と解される[40]。また「老女たちの風」は「トロル女の風」すなわち「思考〔フギン〕」と解す[41]。ことほどさようにヨールン(イズン[42])は、悲しみに侵され口すらきけない、(3人の)神たちはたたみかけて聞こうとするが言葉の無駄だった。尋問団の団長たるヘイムダルはロキを伴って去り、ブラギがイズンのもとに残された。ブラギはイズンの夫である。第16では、3柱の神がケニングで呼ばれている[注釈 14]

(第17~26詩節) ヴィーザル[注釈 15]の家来たち(すなわちオージンの使節たち、ヘイムダルとロキ)は両者とも風[注釈 16]に運ばれ女神たちの宮殿ヴィーンゴールヴに帰参して、入るや、「恐ろしき者〔ユグ〕(オージン)の宴たけなわ」[43][44]を祝す。(二人の)アース神族たちは、「吊るされた神〔ハンガテュール〕」( オージン)[45]を祝す。もっとも幸福なる神オージンに幸福あれ、神々に幸運あれ、と。「上座の新酒麦酒」[46][47]を統べるオージン[注釈 17]と神々は永遠に共に(宴に)あれ、と祝す。「悪しき所行をなすもの〔ベルヴェルク〕」(オージン[48])の定めにしたがい着席せし神々は、不思議の猪セーフリームニルの肉に満腹し、スケグル英語版ヴァルキュリアの一人)は、フニカル(オージン)の樽桶を蜜酒を角盃にくんで配膳した[49]。B本では「ミーミルの角盃」とあるが、異本では「祝杯の角盃」と読む[注釈 18]。神々は真昼から薄暮にかけて、彼女がなにか予言か箴言をもたらしたか、色々と二人に訪ねた。二人は、使命は収穫はなく、不名誉に終わった;彼女から答えを得るには(寄る)知恵が足らぬ、と答えた[50]。オーミ(オージン[51])は、一同に向かって答えた:夜をして「新たなる助言」をひねりだせ、朝までかけてアース神族に栄華をもたらす助言を、と[52]。「フェンリルの好餌」すなわち日輪(または月輪)は西方にめぐり(ブッゲ等の説による)[53]。神々との挨拶をすませ、フロプト(オージン[54])とフリッグは、フリームファクシ(夜の女神ノートの馬)の元へと(参る)[注釈 19][注釈 20]。「デリングの息子」(昼の神ダグ)が、「宝石散りばめた獣、人間界にたてがみの輝く牡馬を駆った」、そして馬は「ドヴァリン英語版玩具」(太陽)をその馬車で牽いた[58][注釈 21]、つまりあくる日が到来したことが語られる。様々な種族(女巨人ギューグ[注釈 22]、巨人〔スルス〕[59]、屍体たち、ドヴェルグ闇のエルフ〔デックアールヴ〕、これらが北の大地の果て、世界樹の下で寝床に就いた[60]。そして最終第26節:神々ら〔レグン〕は起き[注釈 23]、日輪はめぐり[注釈 24]、夜〔ニョーラ〕[注釈 25]ニヴルヘイムに追いやる[注釈 26]ヒミンビョルグに君臨するウルヴルーン[注釈 27]の子(ヘイムダル)が、argiǫll(?) で角笛を吹き鳴らす。この(?)の語は諸説あるが、ブッゲ編本では「ギョッル川」[61]ソープ英訳本では「虹の橋ビフレストの異名」[62]。ラッセン訳では、ギョッルとは「ラッパの一種」(与格)だとする[63]

写本[編集]

この詩は、近世の紙写本にしか伝わらないもので、最古のもので17世紀後半から最新のもので1870年成立のものまで、つごう37点、あるいはそれ以上の例が現存する[8]。以下、ラッセンの校訂版で使用された諸本を示す:

  • A写本 - Stockholm papp. 8vo nr 15
スウェーデン王立図書館所蔵、八つ折本。1650年-1699年頃[64]。ヨウナス・クリスティアンソンがMorgunblaðið誌に発表した校訂版(2002年)の底本[65][注釈 28]、アネット・ラッセン英訳(2011年)の底本。
  • B写本 - Lbs 1562 4to
アイスランド国立図書館英語版所蔵、四つ折本。(1650年-1799年頃?)[66][注釈 29]
  • C写本 - Stockholm papp. fol. nr 57
スウェーデン王立図書館所蔵、二つ折本〔フォリオ〕。1650年-1699年頃[67]
  • D写本 - Thott 1491 4to
デンマーク王立図書館所蔵18世紀。第1葉の表題に「パウル助祭の書による」とあり、これはパウル・スヴェインスソン・トルファソナル(Páll Sveinsson Torfasonar、1704–1784)のことだとラッセンは洞察する[68][注釈 30]
  • E写本 - Lbs 1441 4to
アイスランド国立図書館所蔵、四つ折本。1760年頃[69]

版本[編集]

活字版本による初出は、旧アーナマグネアンスケ財団(Legati [Arna-]Magnæani)編『詩エッダ』の第1巻(1787年)に所収されるもので[7]、これはラテン語対訳版である。同書は複数の共編者があるが、 ラッセンによればグズムンドゥル・マグヌッソン(Guđmundur Magnússon 1741-1798 ラテン語: Gudmundus Magnæus)の編訳・解説であり[70]、詩のテキストの底本は、ヨーン・エイリークスソンアイスランド語版(1728–1787)が作成した手写本版エッダ(ハーバード大学ホートン図書館英語版所蔵 Icel. 47 写本、一名「Codex Ericianus」。)だという[71][注釈 31]。また共著者グンナル・パウルスソンアイスランド語版(1714-1791)が、AM 424 写本に記入したこの詩についての解説も、脚注に多用されている[72]

評価[編集]

1852年にイギリスの作家ウィリアム・ハウイット英語版メアリー・ハウイット英語版夫妻は、この詩を「『エッダ』中、最も真に詩的な、唯一の聖歌」と評している[73]


大衆文化[編集]

日本語訳[編集]

2010年現在、日本語訳は刊行されていないが、再話は存在している。

  • 松村武雄編『北欧の神話伝説〔Ⅰ〕 《世界神話伝説大系 29》』1927年初版、名著普及会より1980年改訂版 - 「イヅンの神話 氷寒世界への墜落」の章題で収録(抄録)。
  • 植田敏郎『北欧神話の口承』鷺の宮書房、1968年 - 「イクドラジルのこずえから沈んで行くイドゥーン」の章題で収録。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 古くは紀元2世紀の用例もあるが(ギリシア語: ἐν νυκτὶ βουλή)、中世以降の初出は15世紀のギリシア人、ミカエル・アポストリオス英語版の『諺集』である。
  2. ^ a b 第3詩節にhugurとあるが、これをオージンの飼うカラスの名前フギンの異綴りとみるか、「勇気」を意味する普通名詞ととるかで意見が分かれる。ラッセン英訳では「勇気」だと訳しており、当詩では「オージンのワタリガラスは、いかなる役も演じていない」とする。(Lassen 2011, p. 21)
  3. ^ íviðia は「森の中(に住む女)」の意で、巫女の予言第2詩節にみえる「女巨人」のこと。グリムは「シュラト英語版/野人」の章でこれに触れ、きちんと説明はできないと断りながらも、スノッリの「ギュルヴィたぶらかし」がいうイアルンヴィジア(鉄の森に住まう女)たちと同系と見る。スノッリによれば、イアルンヴィジアらは「トロール女」であるとされ、狼の姿をした巨人を生む。(Stallybrass英訳) Grimm 1883, vol. 2, p.483, Simrock 1874, p. 411
  4. ^ ラッセン英訳(Lassen 2011, pp. 82, 96)。ラッセンはまず、文法上の構成では、オーズレリルは主語であり、脈略から人名でなくてはならず、おそらくドワーフとする。従来解釈では文法の誤りがあるだけで、「容器」のことと解釈するのだが、ラッセンによれば、それには2つの文法訂正が必要なので、詩の作者が「オーズフレリル」の名を人名/ドワーフ名と勘違いしたという可能性の方がありえるとしたのである。また、この箇所にある "at"は従来は前置詞扱いだが、ラッセンは"-at"否定形接尾辞とするので、ラッセン訳は「守りえず」と否定形になるのである。
  5. ^ オーズフレリルだろうとオーズレリルだろうと「思考を動かすもの」の意味と解釈される。詩の綴り通りだと「オーズフレリル」でラッセンは"mind mover"「思考を動かすもの」意(Óðr + hræra)と注釈する。一方、詩の蜜酒の容器である「オーズレリル」は"Óðrerir"と綴りこそ違い、Cleasby-Vigfusson 辞書では"rearer.. of wisdom" 「叡智をもたげるもの」としている。しかし追って調べるとC-V辞典でのhræraの定義は"to move"だが、英語の"rear"と同源語との附記がある。
  6. ^ ラッセン英訳(Lassen 2011, pp. 83, 96)では、「彼(オーズレリルという名のドワーフ)の勇気はくじけ」としている
  7. ^ 諸英訳ではギンヌンガガプと同義とされていないのだが、ラッセンは、その共通の語幹「ギンヌング」は本来「偉大なる空間の」('of the mighty space(s)')や、「幻想や魔法に満ちた」('filled with illusion or magical power')の意味があると推察する[26])。「ギンヌング」は「鷹」の異名でもあり、これはコットル英訳でも脚注されているCottle 1797, p. 197。さらにリームル英語版歌謡ではオージン神の異名として使われるとラッセンはフィンヌル・ヨーンスソン(Finnur Jónsson 1926–28, p. 132)を引いて指摘している。
  8. ^ 「アルスヴィズ」は「全知」「おしなべて聡明」の意ともとれるので、あるいはオーディンの異名である可能性が指摘される[26]。オーディンは、人の落命を定め、そのなかから勇者を選び抜いてヴァルハラに拾い上げる。
  9. ^ 「そなたらにはわかったか、どうだまだか?」の繰り返しの文句は、『巫女の予言』第28詩節の、ミーミルの泉に関するくだりでも使われているので、その模倣と思われる。
  10. ^ その浄化作用がある水や泥の力をもってしてももはや来たる極寒から世界樹を守るに及ばないことを
  11. ^ 『オージンのワタリガラスの呪文歌』第2節の容器オーズレリルを「若返りの泉」(Verjüngungsbrunnen)のこととする一方で、第5詩節の「ミーミルの泉」の力が失われていると説いている[34]
  12. ^ 第9ではイズンと明言されないが、「女」のケニングである「ギェルの太陽の戸柱」という表現が使われている。ギェル(Gjöllr)とは川の名であるが、「川の太陽」は、「黄金」であり、「黄金の支柱」は、黄金の装飾品で飾り立てるもの、つまり女性である。第11では、「神々の献酌係」(burða banda)という表現である。
  13. ^ gandr はソープ英訳など、従来「狼」の意味と捉えられてきたが、ラッセンは、魔女の箒のような一種の棒であるとする。Lassen 2011, p. 86
  14. ^ 原詩にある「ヘリャンのギャラルの角笛の番人」とはヘイムダルであり、「ナールの息子」はロキ、「グリームニルの詩人」はブラギ。Lassen 2011, p. 89参照。
  15. ^ ヴィーザルは実はオージンの子である。ここでは「しかし詩作者は、なりふりかまわずオージンのこととして用いたのかもしれない」とブッゲ(Bugge 1867, p. 374n)は指摘する。ラッセン訳もこれに準ずる。
  16. ^ 第17では「風」のケニングとして「フォルニョートの縁者」という表現がつかわれる。同等の「フォルニョートの息子」を「風」のケニングとする用例は「詩語法」27「風」の部にみえる。Lassen 2011, pp. 90, 103参照。
  17. ^ ここ第18詩節後半ではオージンの異称「ユグユングル」(Yggjungur)がつかわれる。この異称は「巫女の予言」28に見えるが、『散文エッダ』にはみられない。Lassen 2011, pp. 90, 103参照。ラリングトン女史による詩エッダ英訳(Larrington 1999, p. 7)では、前出のユグと同じとみなして"the Terrible One"と訳すが、Yggjungr は直訳すれば"the Teriible Youth"「恐ろしき若人」である。
  18. ^ ソープは固有名詞と見て、Mimir's horns (Minni's horns)と訳す。ラッセンは普通名詞と解し"toast horns"と英訳する。Lassen 2011, pp. 91参照。minni "II. a memorial cup or toast" Cleasby-Vigfusson 辞書。
  19. ^ ラッセンは、第23詩節の前半のテキストは劣化していると言い、しかしながら逐語訳を述べるだけでなんら独自の解説をしないので要領を得ない。ラッセンはこの箇所は未解読だとしたいのであろう。ラッセンは、かわりにブッゲの解釈(Bugge 1867, p. 375)を引用するが、それは前例のない文字の順序換えを必要とするとして否定的なのである。第23詩節。Lassen 2011, pp. 93, 104参照。ちなみにラッセンによるこの箇所の逐語訳は"The mother of Rind ran with long strides, [she and] the scarcely tired father of Fenrir (Loki) left the feast" 「リンドの母は長い足幅で走り、まるで疲れをしらないフェンリルの父(ロキ)と宴を去った」となっている。
  20. ^ リューニンク編本(Lüning 1859, p. 524)も「月あるいは太陽が、疲れてリンドの野の高きを行く」としているが、さらにリンドとは「冬季の硬い大地(der winterlich starren erde)」のことだとする。リューニンク編本を底本とするソープ訳でもリンドは「大地 (earth)」であるとする。その根拠は不明だが、Cleasby-Vigfusson 辞書によれば、「リンドの側室(ライバル)」elja Rindarという表現は「地球」を意味し、スノッリの『詩語法』24章で、ショーゾルヴ・アルノールソン英語版ハーラル苛烈王に捧ぐ詩、「6つのリフレイン (Sexstefja)」で用いられる[55][56]。また、関連があるか不明だが、A本の欄外には"jarþar" 「大地の」の記入がある[57]。もっともこれは、第23詩節の3行目のlardur「疲れた」の読み換えとみるのが妥当である。ブッゲの解釈では第2行のmoþirと第3行のlardur改めJarðarを合わせて"móðir Jarðar"「大地の母」と読み、これを「夜の女神〔ノート〕」のこととし、この夜の女神が最後行のフリームファクシにうちまたがって出る、という読み換えをするので、これをもってラッセンは「前例のない」無理な順序替えとしているのであろう。
  21. ^ 昼の神ダグの馬はスキンファクシであり、その馬名(またフリームファクシの名も)エッダ詩『ヴァフスルーズニルの言葉』に挙げられる。スノッリ『詩語法』58によればこれら馬には別名がある。また、太陽の女神ソールが御するのはアールヴァクとアルスヴィズの二頭立ての馬車。
  22. ^ Cleasby-Vigfusson 辞書 gýgr.. "an ogress, witch"; ラッセン訳では"troll-wife"であり、さすれば「鬼女」の訳が妥当だが、ソープ英訳の巻末註(Thorpe 1866, vol. 2, p.136)では"giantess"としており、健部, 伸明『モンスター』新紀元社〈幻獣大全〉、2004年。 などでも「女巨人」とする。
  23. ^ 原文 racknar をragnarと読み換えるが、これが「神々」を意味することは、「神々の黄昏」ラグナロク (Ragnarök)に照らせば、推察するに難くない。ただ、文法的に正しくはない。どうやらragnarは、rögnあるいは"regin"を単数形と勘違いしたうえで創作した複数形であるが、rögnも"regin"も複数形としてしか形のない、いずれも「神々」をさす言葉である。ラッセンの説明はもう少し詳しい(Lassen 2011, p. 106)。"regin"は英訳では"the powers"という定訳が使われるが、ソープ訳でもこの箇所は"the powers rose"となっている。
  24. ^ 「エルフの輪」という言い回しだが、太陽の事
  25. ^ エッダ詩『アルヴィースの言葉』30によれば「夜」はアース神族の言葉で「ニョール」njól (直訳すると「闇」の意)と呼ぶ。ところが、スノッリの『詩語法』63では、この同じ詩節を引用するも、「夜」はヘルでニョーラ Njóla と呼ぶ、と入れ替わっている。(Lassen 2011, p. 106)
  26. ^ 「追いやる」sótti はsækja "to seek, to pursue"の過去形。
  27. ^ 『ヒュンドラの歌』37に列記されるヘイムダルの九人の母親のひとり。
  28. ^ まぎらわしいが、ヨウナス・クリスティアンソン編本エッダ(2002年)には、「オージンのワタリガラスの呪文歌」は収録されていないのである、同氏がこの詩の中世成立説を提唱したにもかかわらず。(Lassen 2006)
  29. ^ 1650年-1799年頃とはhandrit.isサイトの年代。ラッセンによれば、1673-7年頃にÁsgeir Jónssonが書いた部分と、18世紀に書かれた部分とがあり、総じて8~9人による書写である。
  30. ^ ヨーン・エイリークスソンアイスランド語版の写本「Codex Ericianus」(以下、#版本の節を参照)でも、この写本を「P.S.」 の略称をもちいて引用している。欄外に異読みを記した異本の一つである。
  31. ^ 版本の脚注には異本の読みが付記されているが、異本の略称は次の通り:Eが底本のCodex Ericianus、GはGeir Vídalín (1761–1823)がかつて所持していた写本、Pはグンナル・パウルスソンアイスランド語版(記事本文参照)による解説、Al. はCodex Ericianusの欄外にヨーン・エイリークスソンが記したいくつかの写本からの異読みの総称である。(Lassen 2011, pp. 8, 44、Guðmundur Magnússon 1787, pp. xlii–xlvii)

出典[編集]

  1. ^ Lassen 2011, p. 22, "All manuscripts that contain Hrafnagaldur include the subtitle ‘Forspjallsljóð’". ‘Forspjall’ (‘preface’)と意訳される語で初出は1649年の近代語であり、おそらくラテン語prologusから転じた訳語であろう釈義する。Cleasby-Vigfusson辞典での定義は"prelude"
  2. ^ Jónas Kristjánsson 2002.
  3. ^ 松村武雄編『北欧の神話伝説〔Ⅰ〕 《世界神話伝説大系 29》』(名著普及会、1927年初版、1980年改訂版)p.222 に見られる邦題。
  4. ^ Jónas Kristjánsson 2002
  5. ^ Lassen 2006,Lassen 2011, pp. 10, 12, 15
  6. ^ Kristján Árnason 2002.
  7. ^ a b Lassen 2006
  8. ^ a b Lassen 2011, p. 7
  9. ^ Haukur Þorgeirsson (2010). “Gullkársljóð og Hrafnagaldur: Framlag til sögu fornyrðislags”. Gripla 21: 299-334. https://notendur.hi.is/haukurth/Gullkarsljod_og_Hrafnagaldur.pdf. 。別の論文で "Hrafnagaldur Óðins, which Haukur Þorgeirsson (2010: 315) has recently dated to the first half of the 17th century," Aðalheiður Guðmundsdóttir. The Tradition of Icelandic sagnakvæði. p. 19n4. http://www.helsinki.fi/folkloristiikka/English/RMN/RMNNewsletter_6_MAY_2013.pdf#page=15. と言及
  10. ^ 最初の印刷本(Guðmundur Magnússon 1787, I, 227註)で既に指摘されているという(Lassen 2011, pp. 18–20)
  11. ^ Lassen 2011, pp. 18–21。エラスムスが遡れる最古年の限度 (terminus post quemとする。
  12. ^ "hardly be as old as that" Lassen 2011, pp. 18
  13. ^ a b ラッセンの英訳・注釈書の紹介Lassen, Annette. “Hrafnagaldur Óðins (Forspjallsljóð)”. Nordisk Forskningsinstitut:Publikationer. July-2013閲覧。
  14. ^ Lassen 2011, pp. 23
  15. ^ "The main title probably meant ‘Song of Óðinn’s ravens’, i.e. one of the reports said to have been brought to Óðinn from all over the world every evening"[13]
  16. ^ Lassen 2011, pp. 21–22
  17. ^ ルートヴィヒ・ウーラント:"Beschwörungsformel", "Rabensendung" (Uhland, Ludwig (1836). Mythus von Thôr. J. G. Cotta. pp. 127-. https://books.google.co.jp/books?id=eRa6AM8jhyoC&pg=PP7 )
  18. ^ Thorpe 1866, p. 28(序文)
  19. ^ 以下、訳出はソープ英訳(Thorpe 1866, p. 28)、エイステイン・ビェルンスソン英訳(Eysteinn Björnsson 2002)を参照し、特にアネット・ラッセン訳注(デンマーク語から Anthony Faulkes が英訳したもの、Lassen 2011)を基に重訳している。補足説明は、ソープ、ジムロック、またリュードベリ(Rydberg & 1906-1911)からも得るが、リュードベリの再話エッダのような逸脱した意味づけの展開はなるべくここではしない方向で解説する。
  20. ^ Bugge 1867, p. 371
  21. ^ 補足の文句は、ソープ英訳 (Thorpe 1866, p. 28)の補注を流用。
  22. ^ ジムロックなど従来の解説・訳出では、詩の蜜酒の容器と解する。Cleasby-Vigfusson 辞書 "óð-rærir, m. a 'rearer' or inspirer of wisdom, one of the holy vessels in which the blood of Kvásir was kept, Edda."
  23. ^ Thorpe 1866, p. 29: "the increasing multitude"
  24. ^ Eysteinn Björnsson 2022 "from the mightiest winter"。Cleasby-Vigfusson 辞書þorra > þorri "the name of the fourth winter month".
  25. ^ 原詩ではフグが空に放たれ、二人がその考えを伝えるだけだが、「フギンが小人のダーインとスラーインの元へ送られ、その言い分を聴きにいった」という明確な解釈は、例えばSimrock 1874, pp. 407~)やその典拠Uhland 1836, pp. 127-)を参照。
  26. ^ a b c Lassen 2011, p. 97
  27. ^ ネルヴィ (Nörvi, Nörfi)。スノッリのエッダの『ギュルヴィたぶらかし』10章にネルヴィの娘がノートだとの記述がある。Simrock 1874, p.413
  28. ^ 原文によれば狼の皮をあてがわれたのはこのナウマ(Nauma)であるが、それはつまりイズンのことであるとソープ補注にある(ただし"Nanna"と綴る)。Thorpe 1866, p. 29, n4
  29. ^ スノッリのエッダ』、『ギュルヴィたぶらかし』に記述される「ウルズの泉」、「ミーミルの泉」、「フヴェルゲルミル」。エッダ詩『グリームニルの言葉』でも三本の根の元に3つの世界があるとする。
  30. ^ (Anderson英訳)Rydberg & 1906-1911, Vol.2, p.452
  31. ^ Simrock 1874, p. 411
  32. ^ Olsen, Karen (2001), Bragi Boddason's Ragnarsdrapa: A Monstrous Poem, , Monsters and the Monstrous in Medieval Northwest Europe (Peeters Publishers): p. 127n, ISBN 9789042910072, https://books.google.co.jp/books?id=tw8F3BJe2wcC&pg=PA127 
  33. ^ (Anderson英訳)Rydberg & 1906-1911, Vol.1, p.197
  34. ^ "Mimirs brunnen hat seine kraft verloren," Lüning 1859, pp. 516
  35. ^ 第26使節にニヴルヘイムへの言及がある。ジムロックは、「ネルヴィの娘」=「夜」を、「ネルヴィの親戚」=ヘルに読み替えて訂正すればその結論が導きやすくなるという旨を書いている(Simrok 1874, p. 413)
  36. ^ Viðrirは、『ロキの口論』26や、「ギュルヴィたぶらかし」にみえるオージンの異称Lassen 2011, p. 86
  37. ^ Rǫgnirはオージンの異称で、新エッダで引用されるスカルド詩やリスト(þulur)のなかのいくつかのケニングの一部をなしている。Lassen 2011, p. 100
  38. ^ 原文 atri を acri 「耕せる野、田畑」と読み換える(Scheving, Bugge 1867, p. 373, Lassen 2011, p. 88、Eysteinn Björnsson 2002等)
  39. ^ 「眠りの棘」というのは、同詩の早期の編者 Hallgrímur Schevingの解釈(Lassen 2011, p. 101)
  40. ^ ブッゲ脚注(Bugge 1867, p. 374n)、ラッセン訳。
  41. ^ 「呪文歌」にみえるglygvi(与格) < glyggは「風」の雅語であり、glygg rýgjar (詩では逆順)は「老女の風」を意味する。ブッゲ(Bugge 1867, p. 374n)は、これを新エッダにある「トロル女の風」=「思考」ではないかと指摘している(「詩語法」70「心臓」の部、原文 Huginn skal svá kenna at kalla vind trollkvenna ; アンソニー・フォークスの英訳Faulkes 1995, p. 154では "Thought shall be referred to by calling it wind of troll-wives" )。ラッセン訳もこれに準じる。
  42. ^ 四つの写本では Jormi であるが、その名は他に用例がなく、E本の Iorun→Jórunnが採択されている。10世紀の実在人物に「詩女ヨールン」 (Jórunn skáldmærがいるが、ここでの「ヨールン」はやはり「イズン」の別名として使われているとみなされる。本文第15詩節。Lassen 2011, pp. 89, 102, 118参照。
  43. ^ 「ユグ」 Yggr =「恐ろしき者」については英訳 "The Terrible One" (Hagen, SIvert N. (June 1903). “Origin and Meaning of the Name Yggdrasill”. Modern Philology 1 (1): 59, 65. https://books.google.co.jp/books?id=vvQNAAAAYAAJ&pg=PA65. 等を参照)。「グリームニルの言葉」53などに用例あり(Lassen 2011, p. 103)。
  44. ^ 「宴たけなわ」öl-teiti, f. cheer, merriment over drink (Cleasby-Vigufusson 辞書)。
  45. ^ Hanga-Týr。「詩語法」58(Faulkes 1995, p. 64の英訳は "Hanged Tyr")。Lassen 2011, pp. 90, 103参照。
  46. ^ öndvegi, "opposite-seat, high-seat," Cleasby-Vigfusson 辞書。酒宴の大堂のベンチの端に置かれた一対の座がもっとも栄誉ある座であり、二つのうち太陽に面する北側の席がより上座との説明がある。
  47. ^ virtr, "the sweet-wort, new beer, not yet fully fermented" Cleasby-Vigfusson 辞書
  48. ^ 用例は、「オージンの箴言」109、「グリームニルの言葉19や『散文エッダ』にある。Lassen 2011, pp. 90, 103参照。フォークス英訳『散文エッダ』の索引(Faulkes 1995, p. 231)では、 Bölverkur を"evil work"と意訳する。
  49. ^ Hnikarr は、オージンの異称で、「グリームニルの言葉」47に用例があり、「ギュルヴィたぶらかし」で引用される。本文第19詩節。Lassen 2011, pp. 91, 104参照。
  50. ^ 第20詩節。Lassen 2011, pp. 91, 104参照。
  51. ^ Ómi。 オージンの異称で、「グリームニルの言葉」49に用例があり、「ギュルヴィたぶらかし」で引用される。本文第22詩節、Lassen 2011, pp. 92, 104参照。
  52. ^ 第22詩節。Lassen 2011, pp. 92, 102参照。
  53. ^ フェンリル狼の餌」Fenris fóðr(原詩どおりではなく散文読くだしでの句)については、ソープ(Thorpe 1866, p. 31n)はハティ狼との混同と見ていると註しているので、つまりハティが追いかけて食らわんとする「月」の意味だと言いたいことが明白である。一方、ブッゲは、「太陽」の意味だと註するので、フェンリル狼を太陽を食らおうとするスケル狼に読み換えていることがあきらかである。ソープはそして月輪が「母なるリンドの方向へ走る」と訳し、ブッゲは、日輪が向かうリンドの方向とは「西の方角」だとしているが、それについては『ヴェグタムルの歌』(『バルドルの夢』)第11節「リンドが西の広間でヴァーリを出産する」という句を根拠としている。
  54. ^ ラッセン訳(Lassen 2011, p. 93)括弧書きで付記される。古エッダ詩『シグルドリーヴァの言葉』13に用例。
  55. ^ アンソニー・フォークスの英訳『詩語法』24章(Faulkes 1995, p. 91)
  56. ^ Vigfusson, Gudbrand; Frederick York, Powell (1883). Corpus Poeticum Boreale. 2. Oxford: Clarendon. pp. 205, 462. https://books.google.co.jp/books?id=5SczAQAAMAAJ&pg=PA205 (第3聨)
  57. ^ Lassen 2011, p. 93
  58. ^ 第24詩節。Lassen 2011, pp. 93, 105参照。
  59. ^ Cleasby-Vigfusson 辞書 þurs .."a giant, with a notion of surliness and stupidity"、じっさいは"スゥッス" þuss と発音するとある。
  60. ^ Lassen 2011, pp. 94, 105–6
  61. ^ ブッゲ編本(Bugge & 1867 376)では "ar Giöll"読み換えており、ラッセン( Lassen 2011, p. 106)によると "could be ár Gjǫll, ‘river Gjǫll’"; "ar-"はCleasby-Vigfusson辞書によれば川を意味する複合語である。
  62. ^ Thorpe 1866, p. 130 巻末註。""Argiöll, a name of the bridge Bifröst""
  63. ^ Lassen 2011, p. 106。ラッセンは、Blöndal編のアイスランド=デンマーク語辞典でgjöllを「トランペットの一種」と定義するとする。Cleasby-Vigusson辞書は"din, alarum" (騒音、警報)の意しか載らないが、Árni Böðvarsson (1963) (snippet). Islenzk ordabok. https://books.google.co.jp/books?id=dUUjAQAAIAAJ Jónas Jónasson; Björn Jónsson (1896). Ný dönsk orðabók med íslenzkum þýðingum. p. 523. https://books.google.co.jp/books?id=dUUjAQAAIAAJ&pg=PA523 
  64. ^ Lassen 2011, p. 29
  65. ^ Lassen 2011, p. 9
  66. ^ Lassen 2011, p. 35
  67. ^ Lassen 2011, p. 64
  68. ^ Lassen 2011, pp. 64–5
  69. ^ Lassen 2011, p. 67
  70. ^ Lassen 2011, pp. 6, 8, 76, 116
  71. ^ Lassen 2011, pp. 6–8, 44
  72. ^ Lassen 2011, pp. 8
  73. ^ Howitt 1852:85.
  74. ^ Service 2002
  75. ^ 「エッダ(北欧神話)編」は、秋田書店文庫版では第1巻(ISBN 4-253-17020-X)に収録されている。作中で引用されている文章は、植田『北欧神話の口承』の訳文とほぼ同一である。

参考文献[編集]

編本
英訳書・独訳書
研究・ほか

参照[編集]

外部リンク[編集]