オイゲン・ポランスキ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Eugen Polanski | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ポーランド ドイツ | |||||
生年月日 | 1986年3月17日(38歳) | |||||
出身地 | ソスノヴィエツ | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (CH) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2008 | ボルシアMG | 53 | (1) | |||
2008-2010 | ヘタフェ | 26 | (0) | |||
2009-2010 | → マインツ (loan) | 21 | (1) | |||
2010-2013 | マインツ | 66 | (3) | |||
2013-2018 | ホッフェンハイム | 123 | (9) | |||
代表歴 | ||||||
2005-2008 | ドイツ U-21 | 19 | (1) | |||
2011-2014 | ポーランド | 18 | (0) | |||
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オイゲン・ポランスキ(Eugen Polanski, 1986年3月17日 - )は、ポーランド・ソスノヴィエツ出身でドイツ育ちの元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)(センターハーフ)。出生時の名前はボグスワフ・エウゲニウシュ・ポラニスキ (Bogusław Eugeniusz Polański)。
経歴
[編集]クラブ
[編集]10歳からボルシア・メンヒェングラットバッハに在籍し、2005年2月12日のヴェルダー・ブレーメン戦でトップチームデビューした。このシーズンは1試合のみの出場だったが、2005-06シーズンに大きく成長してチームの主力となった。2007-08シーズンは2.ブンデスリーガ2部で戦ったが、ヴァランシエンヌFCから移籍してきたパトリック・パーウヴェが重用され、ポランスキの出場時間は大きく減少した。2005年11月19日のバイヤー・レバークーゼン戦で決めた得点がブンデスリーガで決めた唯一の得点になった。
2008年7月7日、スペインのヘタフェCFに移籍。9月28日のアスレティック・ビルバオ戦でデビューした。序盤戦は出場機会が少なかったが、冬頃からレギュラーに定着。中盤センターでハビエル・カスケーロとコンビを組み、26試合に出場した。
2009年6月12日、ブンデスリーガ1部に昇格した1.FSVマインツ05へレンタル移籍し、再びドイツでプレーすることとなった[1]。9月17日、2年契約でマインツに完全移籍した[2]。
2013年1月25日、ホッフェンハイムへ2015年シーズン終了までの2年半契約で完全移籍した[3]。 2017-18シーズン終了時に契約満了によりホッフェンハイムを退団。その後無所属状態になったが、2019年1月に現役引退を表明した[4]。
代表
[編集]ドイツU-21代表ではキャプテンを務め、2006年のUEFA U-21欧州選手権ではセルビア・モンテネグロ戦でロングシュートを突き刺した。ポーランド代表のパヴェウ・ヤナス監督は2006 FIFAワールドカップを前にポランスキに国籍を変えるよう説得した。2011年8月10日、ジョージア代表との親善試合でポーランド代表デビューを果たした。
脚注
[編集]- ^ kicker.de (2009年6月12日). “Polanski: Einigung mit Getafe erzielt”. 2009年9月30日閲覧。
- ^ transfermarkt.de (2009年9月17日). “Polanski bleibt bis 2011 beim FSV Mainz 05”. 2009年9月30日閲覧。
- ^ ホッフェンハイム公式HP (2013年1月25日). “TSG holt Eugen Polanski aus Mainz”. 2013年1月26日閲覧。
- ^ Kicker日本語版 (2019年1月6日). “元ポーランド代表ポランスキが引退、ザンクト・ガレンのコーチへ”. 2018年1月7日閲覧。