ちはや (潜水艦救難艦・2代)

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ちはや
JS Chiyaha (AS-403) at Honolulu, -8 Nov. 2001 a.jpg
経歴
運用者  海上自衛隊
建造所 三井造船 玉野事業所
種別 潜水艦救難艦
計画 平成8年度計画
発注 1996年
起工 1997年10月13日
進水 1998年10月8日
就役 2000年3月17日
要目
排水量 基準5,450t / 満載6,900t
全長 128.0 m
全幅 20.0 m
深さ 9.0 m
吃水 5.1 m
機関 三井造船12V42M-A
 ディーゼルエンジン×2基
推進 可変ピッチ・プロペラ×2軸
サイドスラスター×4基
出力 19,500PS
速力 21ノット[1]
航続距離 6,000海里 (13kt巡航時)[2]
乗員 125名
搭載艇 ・深海救難艇(DSRV)×1隻[3]
・11メートル作業艇×2隻
・無人潜水装置 (ROV)
搭載機 ヘリコプター甲板のみ
レーダー 航海用×2基
その他 深海潜水装置 (DDS)
大気圧潜水装置
自動艦位保持装置 (DPS)
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ちはやローマ字:JS Chihaya, ASR-403)は、海上自衛隊潜水艦救難艦[3]。計画番号はJ141[1]

艦名は千早城に由来し、この名を受け継いだ日本の艦艇としては4代目である。

設計[編集]

老朽化していた「ふしみ」(46ASR)の代替艦として建造された[3]。設計面では、潜水艦救難母艦「ちよだ」(56AS)の拡大改良型とされており、潜水艦母艦機能を廃する一方で医療設備を強化している[1]

DSRV運用のため、船体中央部にムーンプール(センターウェル)を備えるという基本構成は56ASと同様だが、船首楼は艦橋構造物付近まで延長され、基準排水量にして1,800トン大型化している。これによって、従来は暴露部に格納されていた装備も艦内に収容できるようになった。また遭難現場へ迅速に進出できるよう高速巡航能力に意が払われており、造波抵抗低減のためバルバス・バウが採用されているほか、センターウェル下部には艦底閉鎖装置が設けられている[1]。これは2分割した閉鎖板を油圧によって開閉する方式であり、スライド式や内開き式などの構造が検討されたが、救難という任務に求められる確実性から、外開きによる観音開き方式が採用された[4]

主機関としては三井造船12V42M-Aディーゼルエンジン2基を備えている。これは「ちよだ」で主機関とされた直列8気筒機関と同系列だが、V型12気筒とすることで出力を増強したものであった。推進器としては、可変ピッチ・プロペラ2軸のほか、艦首と艦尾にサイドスラスターを2基ずつ備えている。これらは、「ちよだ」と同様に艦位保持装置(Dynamic Positioning System, DPS)を装備しており、洋上の一点に静止することが可能である[1]

能力[編集]

艦橋の直後には、半甲板上げて救難指揮所(RIC)が設けられている[1]

潜水艇・潜水機運用機能[編集]

上部構造物後方に深海救難艇(DSRV)の格納庫を設け、その後方の船体中央部のムーンプール(センターウェル)から発進・収容するという基本的な構成は「ちよだ」と同様である。DSRV揚降装置も基本的に同構成であるが、「ちよだ」では油圧であったのに対し、本艦では相当部分を電動に変更して、整備性を向上させている[5]

「ちよだ」との最大の変更点は、DSRVの発進・収容方向の変更である。同艦では、DSRVの艇首方向を母艦と一致させるため、艦尾側に向けて発進し、艦尾側から進入する方式としていたが、これでは母艦のプロペラ雑音や気泡のためにソナーが影響され、DSRVの位置把握や通信を妨げるという問題があった。このため、本艦の搭載艇(09DSRV)では艦尾側に向けて発進し、艦尾側から進入する方式としており、艇首を母艦の艦尾側に向けて収容されることになっている。09DSRVの主用目は56ASの搭載艇(57DSRV)とほぼ同様である(排水量約40トン、全長12.4メートル、幅3.2メートル)[4]が、は充電池補充などの支援位置が異なるなどの為、両艦のDSRVに互換性はない。そのため、DSRVはLCACと異なり「母艦の搭載艇」扱いである。

DSRVの活動を支援するため、無人潜水装置(ROV)も搭載した。これは「ちよだ」にはなかった装備で、左舷中部に搭載されており、空中重量3トン、速度3ノット、最大潜航深度2,000メートルで、水中作業のためマニピュレーター2基を備えている[1]

潜水作業支援機能[編集]

「ちよだ」と同様に、深海潜水装置(DDS)も搭載した。これは、遭難潜水艦へのDSRVメイティングの支援などのために飽和潜水で潜水士を進出させることを想定したものであるが、また同時に、遭難潜水艦が浸水して、乗員が高圧に曝露されていた場合、飽和潜水の技法を用いた減圧を行ったり、減圧症の治療を行うためでもある。大型の再圧チェンバーである艦上減圧室(Deck Decompression Chamber, DDC)と、これと連結できる潜水球である人員輸送カプセル(Personnel Transfer Capsule, PTC)1基によって構成されているが、「ちよだ」ではDDCを左右舷に独立させていたため、大重量のDSRV(40トン)やPTC(13トン)を艦上で左右に移動させてメイティングする必要があり、艦の動揺の影響が大きかったのに対して、本艦のDDC室は船体中心線に対して「コの字」型に配置することで、メイティング位置を船体中心線上としたことで、この問題を解決している[4]

上記の通り、本艦の特徴の1つが医療機能の充実であり、手術室X線撮影室が新設された。医療区画はDDC室とのアクセスを考慮して、艦中央部付近の第1甲板上、PTC格納所後方に配置した。また本艦は、救助した潜水艦乗員のために80名分の居住区を確保しているが、ここは病室への転用が考慮されており、医療区画の近傍に配置されている[4]

艦尾甲板はヘリコプター甲板とされており、MH-53Eの運用に対応している[4]

艦歴[編集]

「ちはや」は、中期防衛力整備計画に基づく平成8年度計画潜水艦救難艦1103号艦として、三井造船玉野事業所で建造され、1997年10月13日起工、1998年10月8日進水、2000年3月17日に就役の後に第1潜水隊群直轄艦とされた。

2001年2月10日に発生したえひめ丸事故の遺体捜索の要請を愛媛県から受けた政府は防衛庁に対応を求め、災害派遣をもって2001年8月から遺体捜索作業を行った[6][7]

2002年4月に実施された「国際潜水艦救難訓練Pacific Reach 2002」に参加。荒天にもかかわらず全てのオペレーションを成功させた他、DSRVは当初予定のソフトメイト(沈没潜水艦への達着)だけでなく、ハードメイト(ハッチを開ける、より実際的な救難訓練)も成功している。なお、この時点で、輸送ヘリコプターMH-53Eシードラゴンは着艦訓練には成功していたが、レギュレーションが承認されていなかった為に、代表取材陣や参加国海軍高官はいったん旗艦ぶんごにMH-53で移動し、「ぶんご」と「ちはや」の間はSH-60Jで移動した。

参考文献[編集]

  1. ^ a b c d e f g 「海上自衛隊潜水艦史」、『世界の艦船』第665号、海人社、2006年10月、 92-95頁、 NAID 40007466930
  2. ^ Eric Wertheim (2013). The Naval Institute Guide to Combat Fleets of the World, 16th Edition. Naval Institute Press. p. 377. ISBN 978-1591149545. 
  3. ^ a b c 自衛隊装備年鑑 2006-2007 朝雲新聞 P266 ISBN 4-7509-1027-9
  4. ^ a b c d e 後藤万寿夫「5,400トン型潜水艦救難艦 (海上自衛隊の新型艦船)」、『世界の艦船』第550号、海人社、1999年4月、 92-95頁。
  5. ^ 「海上自衛隊全艦艇史」、『世界の艦船』第630号、海人社、2004年8月、 204頁、 NAID 40006330308
  6. ^ 潜水艦救難艦「ちはや」 平成14年度防衛白書
  7. ^ 「えひめ丸」衝突事故の概要 平成14年2月28日 外務省
  • 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)

外部リンク[編集]