西浦勝一

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西浦勝一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 高知県高知市
出生は長崎県島原市
生年月日 (1951-02-07) 1951年2月7日(73歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会
所属厩舎 京都栗東土門健司(1969.3 - 1992.2)
栗東・フリー(1992.3 - 引退)
初免許年 1969年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 1996年2月29日
重賞勝利 26勝
G1級勝利 5勝
通算勝利 6103戦635勝
調教師情報
初免許年 1996年(1997年開業)
重賞勝利 25勝(中央16勝/地方9勝)
G1級勝利 9勝(中央5勝/地方4勝)
経歴
所属 栗東T.C.
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西浦 勝一(にしうら かついち、1951年2月7日-)は日本中央競馬会 (JRA) の元騎手、現調教師栗東トレーニングセンター所属。高知県高知市出身(生まれは長崎県)。

1969年に騎手デビュー。1984年にカツラギエースと臨んだ国際競走ジャパンカップで日本調教馬としての初勝利を挙げ、当時「世界の西浦」と呼ばれた。ほかヤエノムテキでの皐月賞優勝などがある。騎手引退後の1997年より調教師として開業し、それぞれ牝馬二冠を制したテイエムオーシャンカワカミプリンセスなどを管理している。

父は公営高知競馬所属の騎手・調教師であった西浦孫一。自厩舎所属の調教助手である西浦昌一は長男。

来歴

1951年、長崎県島原市[1]に生まれる。後に高知に移り、馬が身近な環境で自然と騎手を志す。その希望を父・孫一に告げた際、「騎手になるなら地方より中央の方が良い」という勧めで、孫一と付き合いがあった土門健司を紹介され弟子入りが決まった[2]。中学卒業後、中央競馬の馬事公苑騎手養成長期課程に入所。

騎手時代

騎手課程修了後の1969年3月1日、土門厩舎の所属騎手としてデビュー。同4月13日にミシマホープで初勝利を挙げた。5年目の1973年にプリムラクインでタマツバキ記念(春)を制し重賞初勝利を挙げたが、当初の10年ほどは目立たない存在であった[3]。一方で関西のトップ騎手であった栗田勝からは、「土門さんの西浦いう子は、実に騎座も安定し将来性十分」との評も送られていた[4]

1979年に土門厩舎のテルテンリュウと共にクラシック戦線を賑わせると、翌1980年には春のグランプリ競走宝塚記念に優勝した。これを契機に他厩舎からも有力馬への騎乗を依頼されるようになり[5]、翌1981年にはアグネステスコで牝馬三冠最終戦のエリザベス女王杯も制した。そして1983年秋より、土門健司の長男で弟弟子の土門一美が管理するカツラギエースの主戦騎手を務める。同馬とのコンビでは翌1984年にグレード制が導入されGI競走となった宝塚記念に優勝。さらに秋には国際競走ジャパンカップに臨んだ。この競走では前年に史上3頭目のクラシック三冠馬となったミスターシービーと、当年2年連続・4頭目の三冠馬となったシンボリルドルフの対決が注目され、カツラギエースは14頭立て10番人気と人気薄であった。西浦は通常より手綱を30cm長く持ってカツラギエースをリラックスさせ[6]、道中は気分良く逃げさせる形となった。余裕を残してスパートをかけると、直線でイギリスベッドタイム、シンボリルドルフらの追走を振り切り、ジャパンカップ創設から4年目にして初の日本馬優勝を果たした。西浦はこの勝利について、「見てる人もまさかと思ったでしょう。乗ってるぼく自身が『勝った!』っていう喜びじゃなくて、『勝ってしまった』という感じでしたから。不安というか、困惑というか、そんな感じでしたね」と述懐している[7]。この勝利によって西浦には「世界の西浦」という異名が冠された[8]

1985年にはカツラギハイデン阪神3歳ステークスに優勝、1988年にはヤエノムテキで皐月賞を制し、クラシック競走を初制覇した。土門健司の定年引退を控えた1992年よりフリーとなった後、1996年の調教師試験合格に伴い、同2月29日付で騎手を引退した。JRA通算6103戦635勝(うち障害2勝)、重賞27勝。

調教師時代 

1年を技術調教師(研修中の状態)として過ごし、翌1997年3月1日、定年引退した布施正の跡を引き継いで厩舎を開業した。同日サンセットムーンで初勝利。さらに5月にはネーハイジャパン京都大障害(春)を制し、開業2カ月で重賞初勝利を挙げた。

カワカミプリンセス。西浦厩舎では所属馬が出走する際に橙色と水色の縦縞で統一された柄のメンコ(覆面)を着用させている。

また、布施に所有馬を預託していた竹園正繼がそのまま顧客として付き[9]、2000年には竹園の所有馬テイエムオーシャン阪神3歳牝馬ステークスに優勝し、GI競走初制覇を果たす。同馬は翌2001年にも桜花賞秋華賞の牝馬二冠を制し、JRA賞最優秀3歳牝馬に選出された。なお、同年より馬齢表記が従来の数え年から出生年齢を0歳とする形に改められたため、旧表記3歳の前年から2年連続で最優秀3歳牝馬に選ばれるという珍事ともなった。2006年春にはカワカミプリンセスが牝馬クラシックの優駿牝馬(オークス)を制し、テイエムオーシャンの二冠と合わせて西浦は調教師として史上8人目の牝馬三冠を達成。同馬は秋華賞にも勝利してオーシャンに次ぐ二冠牝馬となり、最優秀3歳牝馬として表彰された。

2013年春にはホッコータルマエ地方競馬との統一重賞・かしわ記念を制し、ダートのGI級(JpnI)競走初勝利を挙げた。

2000年以降、本田優(現・調教師)や角田晃一への騎乗依頼が多かった。本田、角田の引退後は長谷川浩大池添謙一等への依頼が多い。一方、武豊藤田伸二への騎乗依頼はあまり多くなかったが、2012年の春頃から武豊への騎乗依頼が多くなっている。

2014年12月7日に開催された第15回チャンピオンズカップにてホッコータルマエが優勝した。

成績

騎手成績

区分 1着 2着 3着 4着以下 騎乗数 勝率 連対率
1969年 平地 1 5 3 64 73 .014 .082
障害 1 2 2 10 15 .067 .200
2 7 5 74 88 .022 .102
1970年 平地 3 5 7 67 82 .037 .098
障害 0 0 0 1 1 .000 .000
3 5 7 67 83 .036 .096
1971年 平地 8 11 15 99 133 .060 .143
障害 1 5 1 7 14 .071 .429
9 16 17 106 147 .061 .170
1972年 平地 16 11 12 72 111 .144 .243
障害 0 0 1 4 5 .000 .000
16 11 13 76 116 .138 .232
1973年 平地 20 15 17 96 148 .135 .236
1974年 平地 14 14 13 62 103 .136 .272
1975年 平地 19 25 13 73 130 .146 .338
1976年 平地 23 26 27 119 195 .118 .251
1977年 平地 19 12 4 73 108 .176 .287
1978年 平地 24 21 18 143 206 .117 .218
1979年 平地 19 18 20 108 165 .115 .224
1980年 平地 23 19 16 114 172 .134 .244
1981年 平地 22 24 20 139 205 .107 .224
1982年 平地 30 22 16 172 240 .125 .217
1983年 平地 30 23 29 153 235 .128 .226
1984年 平地 29 21 24 145 219 .132 .228
1985年 平地 39 36 38 250 363 .107 .207
1986年 平地 28 25 27 190 270 .104 .196
1987年 平地 24 22 16 216 278 .086 .165
1988年 平地 23 18 28 199 268 .086 .153
1989年 平地 41 54 35 278 408 .100 .233
1990年 平地 35 30 37 266 368 .095 .177
1991年 平地 26 33 22 202 283 .092 .208
1992年 平地 32 24 25 232 313 .102 .179
1993年 平地 26 31 36 260 353 .074 .161
1994年 平地 18 31 20 226 295 .061 .166
1995年 平地 37 21 32 215 305 .121 .190
1996年 平地 4 6 0 29 39 .103 .256
平地 633 603 570 4262 6068 .104 .204
障害 2 7 4 22 35 .057 .257
総計 635 610 574 4284 6103 .104 .204
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1969年3月1日 - フサトロジニー - - 11着
初勝利 1969年4月13日 - ミシマホープ - - 1着
重賞初騎乗 1973年2月4日 中日新聞杯 ロングウイナ 12頭 9 4着
重賞初勝利 1973年5月5日 タマツバキ記念(秋) プリムラクイン 12頭 2 1着
GI級初騎乗 1976年4月11日 桜花賞 アイアンポーラ 22頭 18 19着
GI級初勝利 1980年6月1日 宝塚記念 テルテンリュウ 15頭 1 1着

受賞

主な騎乗馬

※括弧内は西浦騎乗時の優勝重賞競走

GI級競走・グランプリ競走・牝馬三冠競走優勝馬
その他重賞優勝馬

調教師成績

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走・初勝利 1997年3月1日 1回中京1日6R 5歳上500万下 サンセットムーン 16頭 4 1着
重賞初出走 1997年3月8日 1回阪神5日9R 阪神障害S(春) ネーハイジャパン 10頭 5 5着
重賞初勝利 1997年5月10日 3回京都7日9R 京都大障害(春) ネーハイジャパン 7頭 2 1着
GI初出走・初勝利 2000年12月3日 5回阪神2日11R 阪神3歳牝馬S テイエムオーシャン 18頭 1 1着

主な管理馬

GI級競走優勝馬
その他重賞優勝馬

関連項目

出典

  1. ^ 鶴木(1991)、p.85
  2. ^ 『優駿』2009年1月号、p.121
  3. ^ 『優駿』2009年1月号、p.122
  4. ^ 『日本の騎手』、p.254
  5. ^ 『優駿』2009年1月号、p.123
  6. ^ 『優駿』2009年1月号、p.124
  7. ^ 『優駿』1996年4月号、p.69
  8. ^ 『優駿』1996年4月号、p.70
  9. ^ 『優駿』2001年10月号、p.24
  10. ^ 東京大賞典競走優勝馬 - 南関東競馬公式サイト、2014年12月30日閲覧
  11. ^ 川崎記念競走優勝馬南関東4競馬場公式 2015年2月2日閲覧

参考文献

  • 中央競馬ピーアール・センター(編)『日本の騎手』(日本中央競馬会、1981年)
  • 鶴木遵『スーパージョッキー - 格闘する表現者たち』(コスモヒルズ、1991年)ISBN 978-4877038069
  • 優駿』1996年5月号(日本中央競馬会)
    • 杉本清の競馬談義 ゲスト・西浦勝一調教師」
  • 『優駿』2001年10月号(日本中央競馬会)
    • 江面弘也「テイエムオーシャンで初のクラシックを手にした西浦勝一調教師」
  • 『優駿』2009年1月号(日本中央競馬会)
    • 江面弘也「続・名ジョッキー列伝 第11回西浦勝一」

外部リンク