華厳経
『華厳経』(けごんぎょう)、正式には『大方広仏華厳経』(buddhaavataMsaka-naama-mahaa-vaipulya-suutra、महावैपुल्यबुद्धावतंसकसूत्र)は、大乗仏教の経典のひとつで、大方広仏、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。華厳とは別名雑華ともいい、雑華によって仏を荘厳することを意味する。原義は「花で飾られた広大な教え」という意味になる。
沿革
華厳経は、インドで伝えられてきた様々な経典が、3世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたものである。 華厳経の全体のサンスクリット語原典は未発見であるが、入法界品・十地品などは独立のサンスクリット経典が存在する。
完本の漢訳として、
がある。 また、唐の般若による「入法界品」のみを訳出した40巻本(「四十華厳」)もある。この他、チベット語訳完本も存在する。
中国では華厳経に依拠して地論宗・華厳宗が生まれ、特に華厳宗は雄大な重重無尽の縁起を中心とする独特の思想体系を築き、日本仏教にも大きな影響を与えた。
日本では審祥が大陸より華厳宗を伝来し、東大寺で「探玄記」による「六十華厳」の講義を3年に及んで行なった。東大寺は、現在華厳宗の本山である。
ネパールでは『十地経』とともに九法宝典(Nine Dharma Jewels)に数えられている[1]。
内容
智顗の見解では、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏」と音写される。毘盧舎那仏は、真言宗の本尊たる大日如来と同一の仏である。
華厳経にも、如来蔵思想につながる発想が展開されている[2]。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
「六十華厳」の中で特に重要なのは、最も古層に属する「十地品」[3]と「入法界品」の章とされている。
- 「十地品」には、菩薩が踏み行なうべき十段階の修行が示されていて、そのうち六番目までは自利の修行が説かれ、七番目から十番目までが利他行が説かれている。
- 「入法界品」には、善財童子(ぜんざいどうじ)という少年が、人生を知り尽くした53人の人々を訪ねて、悟りへの道を追究する物語[4]が述べられている。
隋の智顗は五時八教の教相判釈で、華厳経を釈迦が成道後まもなく悟りの内容を分かりやすくせずにそのまま説いた経典であらけずりの教えであるとした。 唐の法蔵は「華厳五教章」のなかで五教十宗判の教相判釈を行い、華厳の教えを最高としている。
関連文献
- 荒牧典俊訳注 『十地経』 <大乗仏典8>中央公論社、新版中公文庫、2003年
- 梶山雄一監修、丹治昭義、桂紹隆ほか訳注 『さとりへの遍歴 華厳経入法界品 (上下)』、中央公論社、1994年
- 木村清孝訳著 『華厳経 浄行品 夜摩天宮菩薩説偈品 十地品(抄) 入法界品(抄)』 <仏教経典選5>筑摩書房、1986年
- 木村清孝、小林円照訳注 『華厳五教章 原人論』 <大乗仏典中国・日本篇7>、中央公論社、1989年 「華厳」は木村訳注で訳文のみ
- 鎌田茂雄訳著 『華厳五教章』 <佛典講座28>大蔵出版、1979年、新装版2003年
- 「新国訳大蔵経」 大蔵出版、木村清孝校注で『華厳部 十住経』、大竹晋校注で『釈経論部 十地経論』が刊行中 。